6.永久凍土が融解 ー 地下から現れたのはマンモスだけではない
2021年の夏の初めに、私はカラ海に突き出た指のように曲がった形のヤマル半島を訪れました。ヤマル半島には、ロシア北部の先住民で、現存する最大の遊牧民族の1つとされるネネツ族が住んでいました。ネネツ族は移動可能なテントに居住し、季節ごとに牧草地を求めてトナカイの群れを率いて半島内を東西南北に行き来しています。ヤマルとは、ネネツ族が使う言葉で「世界の果て」を意味します。
オビ川を遡上するフェリーに乗り込んで、ネネツ族の住んでいるあたりまで行来ました。私はネネツ族の一家が暮らしているテントに泊めてもらいました。トナカイの皮の下で眠り、新鮮な魚の朝食をとった後、さらにオビ川の上流に向かいました。ヤルサレという集落が目的地でした。ヤルサレは、ツンドラ地帯の遊牧民たちにとって行政の中心地でした。私は、そこでトナカイ飼いのヴィタリー・ラプタンデルと出会いました。
2016年7月に、気温が華氏100度(摂氏37.7度)に達する猛暑がヤマルを襲いました。ラプタンデルは半島の真ん中あたりに位置するヤロト湖の近くで、2千頭のトナカイの群れの面倒をみていました。「あれほど暑くなったのは初めてでした。」と彼は言いました。ある朝、彼は恐ろしい光景を目にしたのです。彼が飼っていたトナカイの内の50頭がツンドラで死んでいたのです。その辺りは、電気も通っていないし、携帯電話も繋がりません。ラプタンデルは助けを求めて10時間歩き続け、ようやくネネツ族がテントを張っているのを見つけ、衛星電話を借りました。それから再びトナカイが群れていたところまで戻ったのですが、さらに200頭以上のトナカイが死んでいました。「あの時は、全くどうしたら良いのか分からなかったんです。とにかく、最悪の状態でした。」と彼は言いました。
1機のヘリコプターが到着し、防護服を着た医療関係者と獣医の数人が降りてきました。そして、トナカイの死体からサンプルを採取した後、飛び去りました。サンプルは、モスクワとシベリアの研究所に送られました。2日後、そのヘリコプターが再びやって来ました。ラプタンデルが聞いたのは、死んだトナカイは炭疽菌に感染していた可能性が高いということでした。
それから2日後には、ロシア陸軍のNBC兵器対処(NBC兵器とは、核兵器、生物兵器、化学兵器の三種のこと)の専門家の一行がヤマルまでやって来ました。そして、トナカイの死骸が探し出され、その場で焼却されました。それから2週間後には、トナカイの移動禁止措置がとられ、ワクチン接種が強化されました。それにより、トナカイへの炭疽菌の感染は収束に向かいました。この時までに、半島全体では2,500頭以上のトナカイが死んでいました。ラプタンデルが面倒を見ていたトナカイの群れの個体数は、半分ほどになっていました。また、炭疽菌の感染が動物だけでなく、人間にも広がっていました。そのため、何十人もの人が入院し、1人(12歳の男子)が死亡しました。
ヤマルで炭疽菌の感染者が出たのは、1941年以降では初めてのことでした。ヤマル半島に住んでいる遊牧民は、炭疽菌はとっくの昔に根絶されたものだと信じていました。医療関係者などもそう信じていました。過去10年間に採取された土壌サンプルは20万個以上あったのですが、炭疽菌の存在を示すものは1つもありませんでした。通常、ヤマル半島では、夏に永久凍土の地表部分の20インチ(50センチ)だけが融解します。しかし、2016年には、いくつかの場所では融解した層が3フィート(91センチ)に達していました。後日、炭疽菌の感染に関する報告書が作成されました。ロシア政府の専門調査委員会が調査をして作成したものでした。その報告書には、「炭疽菌の感染が広がったのは、異常なほどの高温と、通常よりも深くまで永久凍土が融解したことが引き金となって、永久凍土の中で眠っていた炭疽菌が活性化されたためである。」と記されていました。
永久凍土の融解によって、数千年に渡って凍土の中に閉じ込められていたものが、いろいろと出てきました。2015年に、プシュチーノ(モスクワ郊外で、ソ連時代には研究施設が集積していた)にあるロシア生物学研究所の研究者たちが、ヤクートで穴を掘ってイェドマのサンプルを採取しました。サンプルを研究室に持ち帰った後、凍っていた沈殿物の一部が滅菌された培養器に入れられました。それから1ヵ月後に観察したところ、培養器の中には「ヒルガタワムシ」と呼ばれるみみずのような無脊椎動物が潜んでいました。放射性炭素年代測定の結果、そのヒルガタワムシは2万4千年前のものであることが判明しました。その年の8月に、私はプシュチーノのロシア生物学研究所まで車を走らせました。私が着くと、スタス・マラヴィン研究員が迎えてくれました。「永久凍土に閉じ込められていたバクテリアが数千年を経て蘇るというのは、ある意味、奇跡的なことなんです。しかも、それが、アメーバ等ではなく、分化した腸や脳や神経細胞や生殖器官を持つ高度な生命体なのですから、非常に奇跡的なことなのです。」と、マラヴィンは言いました。
マラヴィンが私に説明してくれたのですが、そのワムシはクリプトバイオシス(生命体が乾燥などの厳しい環境に対して、活動を停止する無代謝状態のこと)の状態で、永い年月を生き延びてきたのです。ワムシは、永久凍土に閉じ込められた後、数千年を経て再び地表に出現する形になったのです。それを、マラヴィンは地質学的なタイムマシンに乗ったと形容しました。タイムマシンに乗ったワムシは、死ぬこともなく、ピンピンしていて繁殖も可能な状態で現代に再び現れたのです。ワムシは単体では数週間しか生きられないのですが、単為生殖という無性生殖によって死ぬまでに何度も自己複製します。マラヴィンは、永久凍土から採取した土壌の中にいたワムシが自己複製した子孫を実験室の冷蔵保管庫から取り出して、顕微鏡下に置きました。1匹の楕円形のプランクトンがもぞもぞと動いていました。それは0.2ミリの小さな塊でしかないのですが、私には、環境が激変したことを認識して、いきなり数千年後の未来に来てしまって不安で怯えているタイムトラベラーのように見えました。
「ワムシはどうして数千年も死なないのでしょう。とても不思議ですね。」 とマラヴィンは言いました。複雑な構造を持つ動物が、何万年にも渡って代謝を止めていて、その後に再び活動して機能的に何の問題も無いというのは驚くべきことです。その秘密を解明することが出来れば、いろんなことに応用できる可能性があります。例えば、臓器提供のための低温保存のより良い方法のヒントとなるかもしれません。マサチューセッツ工科大(MIT)の神経科学者たちも興味を持っていて、連絡してきたそうです。「私は、今回の発見が、人間を長期間冷凍状態にして生き永らえらせることに繋がると言っているわけではありません。しかし、そうした研究をする際の参考になることは確かです。」とマラヴィンは言いました。
おそらく永久凍土から取り出された生物標本の中で最も人々の興味を引いたのはマンモスの死体だと思われます。その標本の多くは、数千年に渡って自然環境下で超低温保存されていたことにより、驚くほど保存状態が良かったのです。ヤクーツクで、私はマンモス博物館を訪ねました。それは2階建ての建物で、骨や牙や歯がたくさん展示されていました。そこに展示されているマンモスは15万年前のものと推測されています。当時、イベリア半島からベーリング海峡にかけては草原地帯が広がっていて、そこをマンモスが闊歩していたと思われます。
マンモスの絶滅は、更新世の終わり頃に当たる約1万2千年前に始まったと推定されています。その理由については長い間さまざまな議論があるものの良く分かっていませんでした。マンモスは人類によって滅ぼされた最初の種であるという主張をする学者がいて、それなりに支持されています。「マンモスには、人間以外には天敵がいなかったのです。」と、マンモス博物館の展示責任者であるセルゲイ・フェドロフは私に言いました。しかし、10月、国際的な研究者の一団が、この論争に決着をつけるべく、科学誌ネイチャーで研究論文を発表しました。研究チームは、古代の環境DNA(海や川・湖沼・土壌などの環境中に存在する生物由来のDNA)を分析して、急激な気温上昇によって氷河が解けてツンドラが浸水したことや、それによってマンモスの食料源が突然無くなってしまったことなどを突き止めていました。その論文には、「我々が調査した結果を積み上げると、マンモスが絶滅した時期と、草原ツンドラの植生が無くなってしまった時期が一致していることが示唆されます。」と書かれていました。
ヤクートは、世界で一番沢山マンモスが見つかっている場所です。一番最初に見つかったのは、1806年でした。ロシアの研究者が初めて発見したのですが、見つかったマンモスの死体は、更新世全般について多くのことを示唆していました。1971年に発見されたあるマンモスの内臓は非常に保存状態が良く、研究者が内容物を分析することが可能で、最後に何を食べたかを調べることが可能でした。フェドロフは2013年にヤクート北岸の先に浮かぶ島をマリー・リャホフスキーとマンモスの標本を求めて探検した際の話をしてくれました。凍ったマンモスの死骸を掘り起こしたところ、状態が良かったので、肉から血が滴ったそうです。その時、現地に同行していたイギリスの古生物学者は、その標本のことを「本当にジューシーで、まるで ステーキ肉のようだった。」と表現していました。
4万年前のヘモグロビンが存在していたことは、遺伝子編集技術を使って生きたマンモスを再現することを夢見ている科学者たちにとっては、非常に刺激的なことでした。しかし、残念ながら、マリー・リャホフスキーが採取したマンモスの組織片からは、ゲノムを再構築するのに十分な量のDNAを得ることはできませんでした。ハーバード・メディカル・スクールの動物学者で著名な遺伝学者であるジョージ・チャーチは、マンモス研究に関するベンチャー企業を共同設立しました。チャーチは、DNAシーケンスや遺伝子編集に関して、世界でも先駆者でありトップクラスの実績を持つ研究者です。その企業では、絶滅したマンモスを復活させるプロジェクトが進められており、数年以内に復活させるマンモスの胎芽を作り出すことを目指しています。
フェドロフは私を巨大なウォークイン冷凍庫に連れていきました。そこには、金属製の棚に生肉や毛皮の塊が積み上げられていました。三日月状に曲がっている牙もありました。フェドロフの説明によれば、ヤクート近辺で掘り起こされたマンモスの死体は、華氏0度(摂氏マイナス17.8度)で保管されています。カチカチに凍らせて、将来何らかの研究に使われるまで保管されます。ウォークイン冷凍庫内に入ると、保管物が多くて隙間が少なく、超低温でした。私は、永久凍土に閉じ込められたマンモスのような気分になりました。私は、かつてマリー・リャホフスキーが所蔵していたマンモスの赤茶色の毛が生えた太い脚の部分を手に取ってみました。すると、フェドロフが言いました、「見てください、足の裏の肉が完全に残っていますよ。足の爪も残っていますね。」と。