7.永久凍土の融解は現在も続いている
現在は地球温暖化が進行中ですので、永久凍土を融解させないためにどうすべきかということを考えなければなりません。その際には、前回の温暖化の時にはどのような状況であったかを知ることが、1つの手がかりとなるかもしれません。5年前、サセックス大学のジュリアン・マートン教授は、研究チームを率いてヤクートの中央部にある永久凍土が融解して出来た窪地であるバタガイカ・クレーターを訪れました。その窪地は、イェドマが融解し、地表面が下がり地滑りが起きたことで出来たものです。バタガイカ・クレーターは、この手の窪地としては世界最大のもので、地表面で測った窪地の長さは0.5マイル(800メートル)で、深さは280フィート(約85メートル)もありました。現在でも、常に融解が続いていて、崩壊も続いています。1年に100フィート(30メートル)の割合で大きくなっています。地元の人たちは、そのクレーターを「地獄への入り口」と呼んでいます。もう少しマシな呼び名は無いのかと思うのですが、「地層のレイヤーケーキ(ジャムやクリームを挟んで何層かに重ねたケーキ)」という洒落た呼び名もあるようです。そのクレーターの側面を見ると、何十万年もかけて積み重なった永久凍土の層を一度に見ることが出来ます。
マートンが私に言ったのですが、彼がそのクレーターに行った時に一番驚いたのは、その音だったそうです。彼は言いました、「まるでオーケストラのように騒々しいんです。夏には、クレーターの上方の地表面に近い部分の壁が急速に融解して、まるで第一ヴァイオリン奏者の音のように、絶え間なく水の音が聞こえるのです。そして、ときどき巨大な永久凍土の塊が、大きいものだと0.5トンもあるのですが、大きな音をたてて下に転がり落ちて行くんです。それはパーカッションのような音ですよ。」と。
マートンたちは、そのクレーターの壁に穴を開け、永久凍土を採取してルミネッセンス年代測定法で年代を推定しました。その結果、永久凍土の最下層は、少なくとも65万年前のものであることが判明しました。マートンが説明したのですが、そのことは、そのクレーターが出来ている部分の永久凍土は約13万年前に始まった間氷期には融解しなかったことを示しているのです。その時期、北極圏の一部では現在よりも気温が4〜5℃も高かったことが分かっています。「ユーラシア大陸最古の永久凍土は、50万年以上も前から存在しているのです。過去に起こった強烈な温暖化の影響を受けても融解せずに残っているのですから、かなり暑さに対して耐性があったと考えられます。」と、マートンは言いました。
それは良いニュースだと言えます。マートンは言いました、「私たちが生きている間に永久凍土が全て融解してしまうような事態には陥らないでしょう。」と。マートンは、永久凍土の暑さに対する耐性がそれなりに強いということを発見したわけですが、それが当てはまるのは地表から数百フィート下に広がっている永久凍土だけなのです。「残念ながら、永久凍土の最上部の数メートルは確実に温暖化の脅威にさらされていて、影響を受けてしまいます。」と、彼は言いました。しかし、永久凍土最上部の数メートルというのは、最も沢山の炭素が蓄積されている所なのです。その僅か数メートルの部分には、さらに下の部分に含まれている全ての炭素の半分の量が蓄積されているのです。また、マートンは言いました、「地中深くの永久凍土は豊かな自然が残っている場合には、高温の大気からも生態系によって守られるのですが、一旦その生態系が乱れてしまうと、守られなくなり非常に脆弱になってしまいます。」と。巨大なバタガイカ・クレーターはその良い例です。あれは、1960年代以降に突然出来たもので、あっという間に巨大化したのですが、広範な森林伐採が原因で形成されたものなのです。
今日、火災は永久凍土にとっての最大の脅威となっています。昨年の夏、ヤクートでは火災が頻発しました。史上最悪でした。メイン州とほぼ同じ面積の800万ヘクタールが燃え、500メガトン以上の二酸化炭素が放出されました。そうした火災が長期的に永久凍土にどのような影響を与えるのかは、予測困難です。ヤクートの一部では、自然に亜寒帯の植生が再生し、新しい木々や下草が生え出しました。それらは炭素を吸収しますので、炭素の排出量と吸収量が再び均衡する状態に近づきつつあります。しかし、他の場所では、特に氷を沢山含んだイェドマが多い場所は、状況が全く違い、火災によってサーモカルスト湖や、バタガイカ・クレーターのようなクレーターができました。永久凍土に取り返しのつかない変化がもたらされています。アムステルダム自由大学の気象学の権威であるサンダー・フェラベルベークは、ヤクートで広範なフィールドワークを行っているのですが、私に言いました、「このままでは、融解した永久凍土が再び凍結することはない。」と。
ある日、チェルスキーに居たのですが、ジモフが私に永久凍土の上で火災が起こるとどうなるかを説明しようとしました。それで、彼が運転するモーターボートで川を下って行きました。風が強く感じられ、ジャケットが膨らみ、目も開けづらいほどでした。モーターボートを茂みにくくりつけ、ツンドラのスポンジ状の苔が生えているところを歩いて進んでいきました。ジモフは言いました、「こういう水辺の場所は苦手なんだよね。蚊がたくさんいるからね。」と。
それから30分ほどさらに進んだところで、ウスン・キュヨル村で見たのと同じようなデコボコした地形の空き地に出ました。そのあたりは、2003年に近くの金鉱山から超大型ブルドーザーを借りてきたジモフによって、灌木やコケを根こそぎ取り除いた後で永久凍土の表層が焼き払ったように削り取られていました。「セルゲイ(ジモフのこと)は、こういう実験が好きなんですよ。彼は、ブルドーザーを実験のためにしばしば使うんですよ。」と、ゲッテゲは私に言いました。ジモフがブルドーザーで灌木等を取り除いて1年も経たない内に、イェドマが溶け始め、地盤が緩み、永久凍土がかつて無い深さまで融解したそうです。
ジモフと私はそれぞれ1個ずつ細長い金属製の器具を携帯していました。永久凍土を研究している科学者は誰でも持っている定番の器具でした。それは、地表から地中に真下に差し込んで、先端が硬い凍土に当たるまで打ち込むことで、永久凍土の融解が進んでいる深さを測るものでした。ジモフは、その器具を打ったときの音を聴いて凍土の固さを判断することができました。彼は、その器具を使ったのですが、「今にも崩れてしまいそうなほど柔らかい。」と言いました。30年前までは、夏でも永久凍土の溶解が1メートル以上進むことはありませんでした。今、ジモフはブルドーザーを使った現場で、2つの器具を繋ぎ合わせて深さを測っていました。3.5メートルの深さでようやく固い凍土にぶつかりました。永久凍土が融解して、溶けた凍土からは二酸化炭素が放出されていました。また、深部からは酸素が少ないのでメタンガスが放出されていました。「融解してしまった凍土を再度凍らせるためには、非常に寒い冬が5回続かないと無理でしょう。しかし、私が死ぬまでに、そうしたことが起こる可能性は限りなくゼロに近いでしょう。」と、ジモフは言いました。