8.人類は出来るだけ永久凍土が融解しないようにすべきである
5月にロシアの環境相は、気候変動の影響による永久凍土の変動を監視する全国的なシステムの構築を提案しました。その際には、永久凍土の融解によって2050年までに600億ドル以上の被害が出る可能性があると指摘していました。ウラジミール・プーチンは、2003年に「地球温暖化とは、毛皮のコートを買わなくなることだ。」と発言していて、地球温暖化の影響の大きさをあまり認識していませんでした。そのプーチンが、環境相が発言した翌月の6月に、永久凍土の溶解について言及しました。プーチンは言いました、「北極圏にあるロシアの領土内には、永久凍土の上に築かれた都市がいくつもあります。もし全ての永久凍土が溶解し始めたら、被害は甚大なものになります。ロシア政府は、永久凍土の問題には常に注意を払っています。」と。
永久凍土の融解が建物や工場や集落全体に及ぼす最悪の影響を回避するために、人為的な解決策を想像することは可能です。実際、さまざまな対策が実施されています。ヤクーツクでは、集合住宅の基礎の近くに大きな金属製のチューブが設置されているのを、私はしばしば目にしました。そのチューブの中には濃縮された冷却剤が満たされていて、冬の間は地中を凍らせるためにその冷却剤が循環します。ヤマル地方の首都サレハルドでは、建物の基礎の下に開けた穴に温度センサーが設置されており、凍土が融解する恐れがある場合には、気象学者等にアラーム信号が送られるようになっていました。アラーム信号が送られると、直ぐに対処する体制が整えられていたようです。ヤマル地方政府が運営する土壌の温暖化の研究機関の責任者であるヤロスラフ・カムネフは言いました、「永久凍土の内部で何が起こっているかを理解できれば、全て解決できるはずです。」と。
さて、地中に大量に蓄積されている炭素は、どのように扱うべきなのでしょうか?それは何もしなければ、いずれ温室効果ガスとして大気中に放出されてしまいます。何百万平方マイルもの広さがある無人のツンドラ地帯を常時監視するなんてことはそもそも不可能ですし、ましてやツンドラ地帯全体を冷却することも不可能です。「テクノロジーを駆使して人為的に解決するなんてことは不可能でしょう。」と、コロラド大学ボルダー校にある北極・高山研究所のメリット・トゥレツキー所長は言っています。永久凍土の中に閉じ込められている炭素を放出させないようにするための最も簡単な方法は、非常に明白です。それは、ただちに人類が化石燃料の使用を劇的なレベルで削減することです。その方法は、誰でも思いつくような凡庸なものなのですが、難点が1つあります。それは、非常に実現可能性が低いということです。トゥレツキーは言いました、「永久凍土を融解させない方法で、確実に効果があると判明しているものが1つだけあります。それは、人類が排出する二酸化炭素の量を削減するということです。他の方法が魅力的に見えたり、興味をそそられることがあるかもしれません。しかし、それは結局のところ気晴らしにしかならないのです。」と。
ジモフには、彼独自のアイディアがあるようです。彼は大学院生の頃に北極圏を訪れたことがあるのですが、その時に、マンモスや馬やバイソンやヘラジカやオオカミなどの骨や死体の一部を見つけ、非常に衝撃を受けたそうです。私もチェルスキー郊外の川沿いの侵食された丘陵地を歩いている時に、野生の馬の黒褐色の頭蓋骨に偶然出くわしました。ジモフの息子で現在は研究所の運営に携わっているニキタは、それを見て2万年〜4万年前のものだと推定しました。
更新世の頃、北極圏は草原に覆われていました。生い茂った草木は、永久凍土にとって天然の緩衝材の役目を果たしていました。その草原の上を哺乳類が食料を求めて歩き回るようになったのですが、草原は維持され続けました。ジモフの理想は、その頃の生態系を再現することです。彼は言いました、「自然の摂理を取り戻さなければならないのです。自然の摂理が取り戻されれば、気候変動の問題はおのずと全て解決されると思います。」と。
自然の摂理を取り戻すためには、積雪の影響で厳冬期でも地表の下はそれほど冷えないという問題を解決しなくてはなりません。ジモフも認識していましたが、大気温を急激に冷やすことは不可能だと思われます。しかし、冬の積雪量を少なくすることで、より多くの冷気を永久凍土に到達させることは可能だと思われます。彼は言いました、「シベリアにシャベルを持った労働者を3億人送り込めば、積もった雪をどかすことが可能です。それが無理ならば、馬やジャコウウシやバイソンや羊やトナカイを使えば良いのです。そうすれば、無料で同じことが出来るわけです。それらの動物が灌木を踏み潰し、土壌も撹拌されますので、草原が再び出現するはずです。夏には、アルベド効果(明るい面は熱を反射し、暗い面は熱を吸収する)によって、草原は現在ツンドラを覆っている茶色の低木よりも色が明るいので、熱を反射するはずで、より涼しく保たれるはずです。」と。
1998年にジモフは初めて馬を研究所から船で1時間のところに放ちました。フェンスで囲まれたエリアに放ったのですが、彼はそこを「更新世公園」と名付けました。それ以降、その公園は8平方マイルの広さまで拡張され、今では、馬だけでなく、バイソン、ヒツジ、ヤク、ラクダなど150頭の動物が放たれています。ニキタは、まだ動物が少なくて手が足らなかった頃には、家族が使っていた巨大な全地形対応輸送車両を乗り回して低灌木や下草をなぎ倒していました。
2年前、ジモフとニキタは、ハンブルク大学の研究チームとの共同研究を終えました。研究で分かったのは、放った動物によって積もった雪の高さは平均すると半分ほどになり、永久凍土の平均温度を2℃近く下げたということでした。その研究に携わった者たちは、大型草食動物を大々的に放てば、北極圏の永久凍土の37%が融解から救われるだろうと推論しました。しかし、すべての気象学者がその推論が正しいと思っているわけではないようです。アルバータ大学の地質学教授で更新世の生態系について幅広い研究を行っているドゥエイン・フローズは、言いました、「セルゲイ(ジモフ)が思い描いているような方法で植生に影響を与えるのは無理ですね。というのは、動物の密度が高すぎるのです。放たれた動物が共存して生きていける密度をはるかに超えています。」と。
ニキタは現在38歳です。応用数学の学位を持っているのですが、厳密に言うと彼は科学者ではありません(研究所の運営スタッフ)。彼が永久凍土に精通しているのは、長年に渡って研究所で父親であるジモフと一緒に過ごしてきたからです。ジモフから得た知識を生かして、彼はジモフがビジョンを実現すべく取り組んでいる際に役に立とうとしてきました。私がチェルスキーに滞在している間、彼は5,000マイルほど離れたデンマークの農場から買い取った12頭のバイソンの輸送の手配をしていました。バイソンは、北極海を航行するコンテナ船で運ばれました。しかし、海が時化たので、輸送に予定より長く時間がかかってしまいました。ある朝、彼から私に連絡がありました。彼は言いました、「アラスカ大学フェアバンクス校の気象学者たちが送ってくれた、温室効果ガスの排出量を測定するための新しいセンサー類を取り付けるために更新世公園に向かう。」と。私も同行したいと言って、同行させてもらうことになりました。
秋晴れで、川面には、金色の灌木の葉とツンドラの矮小な木々の影が映りこんでいました。ニューイングランド地方の秋の光景のようでした。1時間後、私たちは公園の入口に車を止めました。すぐ横のぬかるんだ川岸に、数段の木で作った階段がありました。ニキタはセンサー類をリュックサックに入れて、高さ100フィート(約30メートル)のタワーに登りました。センサー類を取り付けようとしましたが、上手くいきませんでした。ニキタはタワーを降りてきてから、私と2人でそこから離れました。平坦な土地が続き、膝丈ほどの草が生い茂る中を歩きました。「溶解した永久凍土を再び凍結させることは、簡単ではありません。元々は凍結していたのですが、再び凍らせる方法は現時点ではありませんね。まあ、無理ですね。」と、彼は言いました。
私たちは、ラクダの群れに遭遇しました。ラクダは草をむしゃむしゃ食べながら、首をかしげてこちらを警戒しながら見ていました。現在では、そのあたりにはあまりラクダは棲息していません。しかし、化石等を調べて判明しているのですが、ラクダはかつて北極圏の至るところで草を食んでいました。ラクダの脂肪分は、そこで暮らす人たちにとって長い冬の間の貴重なエネルギー源だったことが分かっています。マンモスと同様、北極圏に棲息していたラクダも更新世後期に姿を消しました。巨大なビーバーやナマケモノや馬やホラアナライオンなども同時期に絶滅し、永久凍土の中にのみ痕跡が残っています。
地中深くに封じ込められた永久凍土は、融解を免れ、現時点でも凍結したままのものが多いようです。しかし、永久凍土は常に温暖化の影響を受けていて、それからは永遠に逃れられないでしょう。人類も温暖化の影響からは逃れられません。人類は、永久凍土を融解させています。また、同時に永久凍土を守る取り組みもしています。いずれにしても、永久凍土は永遠に存在し続けるものではないのです。この地球上の自然環境は、永久凍土と同様に、人々が思っているよりも儚いものなのです。「人類が神のように振る舞って自然環境を変化させるようになったのは、50年前とか100年前のことではありません。1,000年前でもなく、1万年前のことなのです。重要なのは、神のように振る舞うことが良いのかどうかではなく、神として慈悲深く、賢明な振る舞いができるかどうかということです。」と、ニキタは言いました。♦
以上