お粗末! オープン AI のアルトマン解任騒動の内情 刺し違える覚悟がないのなら、蜂起しない方がよいかも?

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 ケビン・スコットが AI が世界を変えられると確信したのは、彼自身の人生がテクノロジーによって大きく変わったと認識しているからである。彼はバージニア州グラディス( Gladys )という、リー将軍がグラント将軍に降伏した地からほど近い小さな集落で育った。彼の家族で大学を出た者は誰もいなかったし、医療機関に行く余裕も無く健康保険制度のお世話になったことも無かった。少年の頃、スコットは近所の人に食料を頼らなければならないこともあった。彼の父親はベトナム帰還兵だった。ガソリンスタンド、コンビニエンスストア、運送会社、建設会社などの経営に乗り出したが失敗続きだった。2 度破産宣告を受けていた。

 スコットは父親とは違う人生を歩もうと心に決めていた。両親は月賦で百科事典一式を買い与えた。スコットはまるで最先端の大型言語モデルがあらゆる情報をクロールして学習するように百科事典を隅から隅まで読み耽った。また、趣味でトースターやキッチン・ブレンダーを分解したりした。貯金をしてラジオシャック( Radio Shack )の一番安いパソコンを購入し、図書館の本を読んでプログラミングを学んだ。

 スコットが生まれた 1972 年以前の数十年間、グラディス周辺には家具メーカーや衣料品メーカーの工場がいくつもあった。彼が思春期を迎える頃には、そうした工場の多くが海外に移転してしまっていた。テクノロジーが進化(サプライチェーンの自動化、通信技術の進歩等)したことで、諸経費の安い海外での生産が容易になったことが表向きの原因である。しかし、スコットはまだティーンエイジャーだったが、技術の進化が真の原因ではないと感じていた。「この国は、海外に製造拠点が移ることは避けられないという話を自らに言い聞かせてきた。」と、9 月に彼は私に言った。「製造業の海外移転に伴う社会的、政治的なマイナス面や、地域社会を守ることの重要性を説くこともできたはずだ。しかし、この国でそうした主張が優勢となることは決してなかった」。

 スコットは、地元のディサイプルス派( Disciples of Christ:アメリカで起きた第二次大覚醒の影響のもとで生まれたプロテスタントの団体)が運営するリンチバーグ・カレッジ( Lynchburg College )で学んだ後、ウェイク・フォレスト大( Wake Forest )でコンピュータ関連の修士号を取得し、1998 年にヴァージニア大学( the University of Virginia )の博士課程に進んだ。そこで、AI に興味を持った。しかし、多くのコンピュータ科学者が AI を占星術と同等に見ていることを知った。AI 開発の黎明期にはさまざまな試みが頓挫していた。また、この分野は実を結びそうにないという概念が研究機関やソフトウェア開発企業の間で定着しつつあった。それで、この分野に携わっていた一流の研究者の多くが他の分野に移っていた。2000 年代に、数人の学者が AI の研究を「ディープラーニング( deep learning )」とリブランディングすることによって復活させようとした。しかし、この分野が結実しないという懸念が拭い去られることはなかった。2007 年に開催された AI に関する会議では、一部のコンピュータ科学者が、ディープラーニングを研究する集団はサイエントロジスト(Scientologists:サイエントロジーを信奉する者)に似たカルト信者であると揶揄するパロディー動画を作成して流した。(訳者注:サイエントロジーとは、人間の精神、およびその精神と宇宙や他の生命との関係を学び、それに基づいて人間の精神の浄化、向上、完成をめざし、またその応用を通して経営・組織運営技術なども開発、世界の平和と幸福の実現をめざすこと。カルトと定義する者も少なくない)

 しかし、スコットは博士号を取得する過程で、多くの優秀なエンジニアと出会った。彼らから学んだのは、短期的には悲観主義者で、長期的には楽観主義者であることが重要であるということであった。「そうすることが必須なんだ。」と、スコットは言った。「世の中に上手く行っていないものがあれば、それをつぶさに見て、それを直そうとすることが重要なのだ」。エンジニアは、試みていることが全く上手くいかない時でさえも、あるいは、改善を試みているのに事態がさらに悪化しそうな時でさえも、最終的に事態が好転すると信じなければならないのである。それで、問題を 1 つずつ削り取っていくしかないのである。

   2003 年、スコットは博士課程を中断してグーグルに入社した。そこで、モバイル広告の開発を統括した。3 年後、彼は退職して、モバイル広告のスタートアップ企業アドモブ( AdMob )に移った。開発と運用を統括した。同社は、その後グーグルに 7 億 5,000 万ドルで買収された。次に、彼はリンクトイン( LinkedIn )に移った。そこで、野心的なプロジェクトを刺激的かつ現実的な方法で進めることに異常に長けているという評判を得た。あるチームとの最初のミーティングで、彼は「ここでのオペレーションはまったくのクソだ。これでは駄馬しか産まれてこないぞ。」と宣言した。しかし、同時にメンバー全員に必ず洗練されたサラブレッドを産み出すことができると説いて信じ込ませた。「私たちは皆、彼に恋してしまったようなものです。」と、彼と一緒に仕事をしたエンジニアの 1 人が私に言った。2016 年、リンクトインはマイクロソフトに買収された。

 その時点で既にスコットは非常に裕福になっていた。しかし、テック業界ではそれほど有名ではなかった。人ごみを避ける性格の彼は、有名でないことに満足していた。彼は、マイクロソフトの買収が完了したらリンクトインを去るつもりだった。しかし、2014 年にマイクロソフトの CEO となったサティア・ナデラが再考を促した。ナデラはスコットと同様に AI に対して非常に興味を持っていた。当時、マイクロプロセッサの高速化もあって、AI には明るい未来があるという評判が広がりつつあった。フェイスブック( Facebook )は洗練された顔認識システムを開発したし、グーグルは言語を巧みに翻訳する AI を開発していた。ナデラは、マイクロソフトの社内に向けて、「 AI が当社の活動のすべてを形作ることになる 。」と宣言していた。

 スコットは、自分とナデラが同じ野心を持っているかどうか今一つ確信が持てなかった。スコットはナデラにメールを送信し、もし自分が残るのであれば、テック業界から無視されている人々を支援することに取り組みたいと説明した。彼によれば、IT テクノロジーの進化の恩恵を受けているのはプログラミングの知識がある者か、大企業に勤めている者だけであり、何億人もが蚊帳の外に置かれているという。スコットが望んだのは、自分が子供の頃に周りにいた大人たちのように、つまり高等教育を受けておらずコンピュータに疎い人たちに力を与えるような AI を構築することだった。これは、いささか突飛な目標である。AI による自動化が食料スーパーのレジ係や工場労働者や映画のエキストラの職を奪うという懸念が広まっているわけで、その目標は楽天的すぎるし、現実離れしすぎていると指摘する向きも少なくない。

 しかし、スコットはもっと楽観的な目標も持っていた。彼が私に言ったのだが、かつてはアメリカ人の約 70% が農業に従事していた。技術の進歩によって人手が不要となり、現在では農業に従事しているのは労働人口のわずか 1.2% のみである。数百万人が農業から離れたが失業した者はほとんどいなかった。トラック運転手になる者もいたし、大学に入り直して知識を得て税理士になった者もいた。それぞれが別の職に就いたのである。「おそらく、AI は過去のどんなテクノロジーよりも大きな恩恵をもたらすだろう。アメリカンドリームを体現することを目指す者が再び増えるだろう。」と、スコットはナデラに送ったメールに書いていた。彼には、バージニア州で老人ホームを経営している幼なじみがいた。彼は、その幼なじみがメディケア( Medicare )やメディケイド( Medicaid )に関する事務処理に AI を導入すれば、入所者のケアに職員がより集中できるようになると考えていた。また、テーマパーク用の精密プラスチック部品を製造している町工場で働く幼なじみもいた。そこでも上手く使えば AI は強力な助っ人となり得るだろう。スコットが私に言ったのだが、AI は世の中をより良い方向に変革することができる。これまでの世の中は、勝者と敗者が存在するゼロサムゲームだった。片方が得れば、その分だけもう片方は失った。AI はそれを変えてしまう可能性がある。世の中が非ゼロサムゲームになり、1人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならない状況がもたらされる可能性がある。

 ナデラはスコットのメールを読み、スコットの主張に共感した。1 週間後、スコットはマイクロソフトの最高技術責任者( CTO:chief technology officer )に任命された。