2.1931年 カナダでラット川の気狂い猟師事件発生
1931年の夏、誰も本名を知らない1人の男がカナダのノースウエスト準州に現れ、ピール川の支流のラット川沿いの茂みの奥に小屋(cabin)を建てていました。彼がフォート・マクファーソンにある王立カナダ騎馬警察から狩猟免許をもらっていないことは、奇妙なことでした。というのは、彼が小屋を建てた辺りに住んでいた人たちの主たる生活の糧は動物の毛皮だったからです。その年の冬のことでしたが、先住民からその男に対する苦情の声があがりました。その男が仕掛けた罠の邪魔になるとのことでした。それで、4人のカナダ騎馬警官隊員が、調査のために犬ぞりでその男の小屋まで80マイル(約128キロメートル)の道のりをやってきました。彼はその内の1人をドア越しに撃ち、その後、真冬の厳しい寒さの中をスノーシューズを履いて徒歩で逃げました。いくつもの山を越えて、1ヵ月以上捕まることなく逃走しました。移動距離は約100マイル(160キロ)以上でした。その男は、追っ手の騎馬警官隊員の一団に追いつかれた際に、その内の1人を殺しました。最終的には、空から小型飛行機に乗ってその男を追跡していたパイロットが、無線で彼の居場所を知らせた後、銃撃戦となった末にその男は射殺されました。
その男は、アルバート・ジョンソンと名乗っていましたが、おそらくそれは偽名だと思われます。彼がどこから来たのかは、誰も知りませんでした。彼はラット川の気狂い猟師(Mad Trapper)と呼ばれていたようです。彼に関する書籍や記録映像がいくつも作られたのですが、彼が誰であるかということや、どこから来たかということは謎のままでした。彼が逃亡を始めた時、警官隊は、彼が住んでいた小屋をダイナマイトで破壊しました。そうすることで、彼がそこに戻ることができないようにしたのです。小屋の大きさは、幅8フィート(2.4メートル)、奥行き10フィート(3メートル)と小さいものでしたので、ダイナマイトはそれほど必要ではありませんでした。気狂い猟師(Mad Trapper)の行動は、キャビン・フィーバー(閉所性発熱:家の中に長期間とじこもりきりになっていたことからくる情動不安)の症状を示していました。カナダ北西部の人里離れた8×10フィートの小さな小屋に住んでいたので、キャビン・フィーバーが引き起こされても何ら不思議ではありません。キャビン・フィーバーは、小さな小屋に閉じこもることによって引き起こされます。しかし、小屋に閉じ込められていなくて、周りに広々とした光景が広がっていても、ロシアの2人の極地にいた研究者たちのように、キャビン・フィーバーが引き起こされることはあります。(あるいは、広々とした海原に漂う船室に居てもキャビン・フィーバーは引き起こされます。)