2.スウェーデンの取組み( Hybrit プロジェクト)
スウェーデンのベンチャー企業が取り組んでいるプロジェクトは、Hybrit(ハイブリッド:Hydrogen Breakthrough ironmaking Technology )という名称です。スウェーデン北部のルレオにパイロットプラント(実験的な工場)が建設されました。その建屋には”hybrit”と側面に洗練されたゴシック体のフォントで書かれています。灰色の箱をいくつも組み合わせたような背の高い建物で、スペースシャトルの格納庫や現代的な美術館を彷彿とさせます。旧来の製鉄工場のように環境に負荷をかけそうなイメージは無く、なんだか環境に良さそうに見えなくもありません。このプロジェクトは、スウェーデンの3企業で共同で行っているものです。3社はVattenfall(以下、ヴァッテンフォール社)とLKAB社とSSAB社です。ヴァッテンフォール社は、ストックホルムに本社のある国営電力会社です。LKAB社はルレオに本社のある国営の鉱業会社です。SSAB社は民営の鉄鋼メーカーです。そのパイロトプラントが開設された時、昨年8月のことでしたが、スウェーデンの首相がスピーチを行い、このプロジェクトによって歴史の転換点がもたらされるだろうと述べました。私はHybritの施設に取材と動画撮影の許可を申請しましたが拒否されました。独自技術の流出を防ぐ為というのが理由でした。その施設内がどうなっているかというのは部外秘で窺い知ることはできないわけですが、今年の夏に明らかになったこともあります。それは、初めてグリーンな(環境にやさしい)方法での鉄鋼の産出に成功し、それが市場に出荷されたということです。
通常、鉄鋼生産にはいくつかの段階があります。最も一般的には、一番最初の段階で鉄鉱石を粉砕しペレット化します。また、石炭はコークスに加工しておきます。それから、鉄鉱石とコークスに石灰石を加えて高炉に入れ、真っ赤に燃えるような溶銑が作られます。その際に副産物としてスラグと膨大な量のCO2(二酸化炭素)も生み出されます。それから、銑鉄は、転炉(塩基性酸素転炉)で溶鋼に精錬されます。転炉内では溶銑はコークスを使わずに酸素を吹きかけることで加熱されますが、この工程ではCO(一酸化炭素)やCO2(二酸化炭素)が大量に発生します。この工程を経ると、炭素含有量が約1~4%未満の鉄鋼の出来上がりです。スウェーデンのルンド大学で鉄鋼業の脱炭素化に関する論文を執筆中の大学院生ヴァレンティン・フォクルは、私に言いました、「製鉄所の作業はレシピ本を見て料理を作るようなもので、手順通りに進めなければなりません。製鉄所には沢山の人がいて高炉を監視していますが、彼らはレシピ本を見なくても問題ないほど熟練しています。」と。最終的には、鉄鋼は鋳造され、シート状に圧延され、ロール状に巻かれて出荷されます。
Hybritプロジェクトでは、もう1つの環境にやさしい技術の研究が進められています。それは、いくつかのベンチャー企業によって取り組まれています。その研究では、ペレット状にした鉄鉱石は直立炉の上部に入れられます。直立炉は高炉とほぼ同じサイズです。コークスの代わりに、水素ガスを下部から吹き込みます。直立炉内部の直接還元と呼ばれる工程において、温度は約1,500度まで上昇しますが、それはペレットを溶かすのに十分な熱さではありません。その結果、出来上がる直接還元鉄はまだ十分な硬さを有していません。直接還元鉄は炭素をほとんど含んでいないため、電気アーク炉に入れられます。電気アーク炉では内部の電極間を高圧の電流が流れます。それにより強い熱が放出されるので、少し残っていた石炭成分と一緒に溶けて、鉄鋼が産生されます。同時に少量のCO 2(二酸化炭素)も産生されます。昔ながらの方法では、すべての工程で大量の炭素が放出されますが、可能な限り炭素を排出しない精錬方法が研究されています。Hybritプロジェクトの実験施設では、現在、毎時1トン程度の鉄鋼を生産しています。次の段階では、通常の製鉄所と同等規模(計画では年間鉄鋼生産量は130万トン)のパイロットプラントを稼働させる予定です。スウェーデン北部のイェリバーレに2026年までに作る予定です。
水素を使って鉄を直接還元する方法は、何年もの間、小規模なパイロットプラントで行われてきました。鉄鋼メーカーのSSAB社の最高技術責任者であるマーティン・ペイは、私に言っていたのですが、小規模で行われてきた直接還元法を大規模で行う際に、技術的に困難な点は何も無いとのことでした。困難があるとしたら、どうやって工程を最適化するかという点だけでした。たとえば、炉内に水素をポンプで送り込む必要がありますが、どうやって送り込むのが安全で効率が良いのか等検討する余地がありました。ペイが言っていましたが、一番困難だったのは、水素をどうやって供給するかということでした。純度の高い水素のほとんどは天然ガスに含まれているメタンと水を反応させることで作られています。しかし、メタンから水素を作り出すには大量のエネルギーを必要とし、その段階で大量のCO(一酸化炭素)が生み出されます。一酸化炭素は燃えるとCО2が出ます。自然界にはメタンガスより環境にやさしい水素源が存在しています。それは水です。水は分解されると酸素と水素に成ります。そのためには、水に電流を流すことが必要(電気分解と呼ばれるプロセス)です。しかし、電気分解をするには大量にエネルギーが必要ですから、環境にやさしいということを担保するためには、再生可能エネルギーを使わなければならないという足枷があります。
Hybritプロジェクトのパイロットプラントは小規模であったので、環境にやさしい水素を確保するのに困難はありませんでした。しかし、そのプロジェクトに携わった研究者たちによると、電気アーク炉で1トンの鉄鋼を作るのに十分な環境にやさしい水素を生成するには、約2,600キロワット時の電力が必要とのことでした。それは、平均的なアメリカの家庭が使う電力量の3か月分に相当します。また、Hybritプロジェクトでは、鉄鉱石のペレット化、電気アーク炉の稼働、鉄鋼の圧延など全ての工程で環境にやさしい電力を使用する計画でした。そのために必要な電力量は、鉄鋼1トンあたり合計3,500キロワット時でした。鉄鋼1トンの生産にそれだけ電力が必要なわけですが、現在世界全体で1年間に約20億トンの鉄鋼が生産されているわけですから、それに必要な電力量は約7,000テラワット時ということになります。CO2を排出することなく、それだけの電力を供給するとなると、現状の原子力発電所から得られる電力と再生可能エネルギーの供給量を共にほぼ2倍にする必要があります。それを供給を可能にするためには、既存の原子力発電所で最大規模とされる日本の柏崎刈羽原子力発電所と同規模の施設を100個ほど新設する必要があります。ですので、環境にやさしい電力を確保するというのは非常に困難です。また、CO 2を排出せずに鉄鋼を作ろうと思ったら、既存の製鉄所を改修し、大規模な電気アーク炉を建設する必要もあります。そうすれば、鉄鋼を作る際にCO2はほとんど排出されなくなります。しかし、依然として鉄鉱石を掘り出す際や輸送時にはCO2は排出され続けますから、完全に環境にやさしい鉄鋼生産が達成されるわけではありません。