所得格差は拡大し続けるのか?米国では「上位1%」の富裕層の所得が国民総所得の約20%を占めている!

Dept. of Finance September 2, 2019 Issue

The Rich Can’t Get Richer Forever, Can They?
金持ちはより金持ちになり続けるのか?

Inequality comes in waves. The question is when this one will break
.不平等は波のように拡大、縮小を繰り返す。それが壊れるのはいつのことか?

By Liaquat Ahamed  August 26, 2019

1.米国は不平等な国になってしまった

 1831年に、25歳のアレクシ・ド・トクヴィルは、刑罰制度を研究するためにフランス法務省から米国に派遣されました。彼は米国で10か月間を過ごし、実際に刑務所を何度も訪問し、現職の大統領アンドリュー・ジャクソンと前大統領ジョン・クインシー・アダムズを含め、何百人もの人々に会いました。彼は、フランスに戻った後、自分の研究したことを著書「アメリカのデモクラシー」に書きました。その最初の巻は1835年に出版されました。その中で、アメリカでは個人主義が蔓延していること等か記されていました。また、伯爵の子息であったトクヴィルにとって、米国の人たちは自国(フランス)と異なり経済的に平等であることに深い感銘を受けたことも記していました。

 彼がそう感じたは、かなり的を得ていて、実際、当時の米国は世界で最も平等な社会でした。米国の賃金はヨーロッパよりも高く、中西部の土地は豊富で安価でした。金持ちはいましたが、ヨーロッパの貴族のような大金持ちではありませんでした。2人の経済学者ピーター・H・リンダートとジェフリー・G・ウィリアムソンの共著「Unequal Gains: American Growth and Inequality Since 1700(邦題:不平等、貧困と歴史)」によると、当時は、英国では上位1%層の所得シェアは20%以上でした。一方、米国でのそれは10%未満でしたし、平等な社会を作ろうという思想が支配的でした(ただし、平等と言っても、白人以外は蚊帳の外でしたが)。当時の米国人は貧富の差が比較的小さいことを誇りとしていました。トーマス・ジェファーソンは友人に、米国ほど理想的な社会は無いと自慢していました。

 現在、米国の上位1%層の所得シェアは約20%です。トクヴィルの時代のヨーロッパとほぼ同じです。米国はどのようにして、西側諸国で最も平等な国から最も不平等な国の1つになってしまったのでしょうか。その道のりは平坦ではありませんでした。過去2世紀の間、米国では不平等がジェットコースターのように激しく拡がったり縮まったりを繰り返しました。

 米国では不平等が拡大していく過程を数値で体系的に把握するという試みが早くからサイモン・クズネッツによって取組まれていました。クズネッツは、当時ジョンズ・ホプキンス大の教授でした。1955年に、後に非常に称賛されることとなる論文「Economic Growth and Income Inequality(経済成長と収入の不平等)」を発表しました。彼は何年にもわたって熱心に収集したデータを利用して、驚くべき結論に達しました(後にノーベル賞を受賞しました)。ほとんどの経済学者と同様ですが、彼は、私有財産制の資本主義経済体制の一般的な傾向として、金持ちはより金持ちになり、不平等が時間とともに着実に増加すると推定していました。それは工業化の初期の段階では特に当てはまります。しかし、クズネッツはその段階を終えた米国、英国、ドイツでは経済格差が縮小していることに気付きました。そして、より多くの国のより多くのデータが利用可能になるにつれて、クズネッツは、ほとんどの先進国で貧しい人たちが金持ちとの所得の差を詰めつつあることを発見しました。それは、彼にとっては謎で、原因は分かりませんでした。

 そのように格差が縮まったのは、2つの要因が関係しているようです。1つめは、教育水準の向上です。各国が一定の工業化レベルに達すると、生産性を高めるためには、物的資本だけでなく技術(=人的資本)も重要になりました。それで、資金を提供する投資家だけでなく、教育を受けた人の分け前も大きく増えました。2つめは、政治的背景です。貧しい人たちは、お金持ちより人数では勝っています、それで、選挙で金持ちに高い税率を課すことを是とする行動をとることよって、さまざまな方法で自分たちに所得が再分配されるととを可能にしました。

 クズネッツ自身の生活は、教育が貧しい人の収入を増やすということを実証しているかのようです。彼は1901年にユダヤ人一家に生まれ、ウクライナ東部で育ち、21歳の時に、ロシア内戦を逃れ米国に来ました。そして彼はコロンビア大学で経済学博士過程を修了し、米国内でも屈指の経済統計学者になりました。彼は、所得と不平等の関係は逆U字型の曲線で示せることに気づきました。(不平等は経済発展の初期段階で拡大し、その後下降する)。その曲線はクズネッツ曲線と呼ばれるようになりました。米国の不平等の推移もクズネック曲線を当てはめることが出来ます。南北戦争の後、貧富の差は拡大し始めました。大好況時代(1870-1900年)には富の集中が進み、ジャズが流行した1920年代には不平等は最大に拡がりました。その際の上位1%層の所得シェアは20%に達しました。次の25年間では、不平等は縮小し始め、クズネッツが重要な論文を書いた1955年までには、南北戦争当時のレベルに戻りました。

 クズネッツの論文は冷戦の最盛期に書かれたものです。当時、米国経済は活況を呈していました。ますます多くの人が大学に行くようになりました。ホワイトカラーワーカーが増えました。大恐慌を機として、米国政府は社会保障制度や失業保険制度などを導入しました。米国人は、米国の資本主義が世界で最も成長性も生産性も高い経済システムであるだけでなく、着実により公平でより公正になっているという事実に満足していました。当時、米国は不平等の問題を完全に克服したように思えました。その時代は「Great Compression(大圧縮の時代)」と呼ばれるようになりました。それから70年代までは、米国は今日のスカンジナビア諸国と同じくらいに平等でした。

 そして、80年代初頭から、不平等が拡大し始めました。曲線の形状は、逆U字型ではなくなり、N字型になりました。つまり、上昇して、下がって、また上がるパターンです。不平等の拡大は一時的なものではありませんでした。それ以降40年近くその傾向が続いています。不平等の拡大は非常に急激です。上位1%層の所得シェアは1980年代に8%であったものが今日は20%まで上昇しています。米国以外でも不平等が拡大していました。英国、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパの大部分、日本などです。世界全体が課題を抱えてい
るように見えました。(同時期に、先進国の中でもフランスとオランダは不平等がほとんど拡大していませんでした。)

 経済学者の中で、なぜ再び不平等が拡大し始めたのかということが今も議論の的となっています。重大な要因の1つは、多くの経済学者が同意していますが、中国、東ヨーロッパ、他のあまり経済が発展していない地域が世界に向けて貿易の門戸を開き貿易が拡大したことです。もう1つは、資本市場の自由化です。それらにより、輸入が増え、国内製造業の雇用は減り、賃金も抑制されました。また、多くの経済学者が同意していますが、技術の進化も要因です。未熟練労働者は著しく不利な立場に追いやられるようになりました。

 多くの経済学者は、各国政府の政策が不平等拡大と関係しているとはあまり思っていません。しかし、ほとんどの先進国で、不平等が拡大した時期は、経済政策が大きく変化した時と一致します。1970年代には、先進国では生産性の伸びが停滞し、失業率が急上昇し、インフレで物価は上昇して高止まりしました。そのため、税率を引き下げ、市場を解放し、政府の介入を減らすことを公約とする政党が、各国で次々と政権を握るようになりました。そうした変化は、英国と米国で顕著でした。それぞれ、マーガレット・サッチャー首相とロナルド・レーガン大統領が就任した後、顕著になりました。程度の差はありますが、同じようなことが西ヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、日本でも発生しました。