今年の夏も暑かった!人間の身体は非常に効率的な冷却装置である しかし、悲しいかな、それにも限度がある!

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 人間の身体には驚くほどの冷却能力が備わっている。脳の奥深くに視床下部(hypothalamus)がある。アーモンドほどの大きさだ。それが、発汗を促進することで暑さに対処する。同時に心臓の動きを速め、血管を拡張させ、血液を四肢に行き渡らせる。基本的な原理は、熱い血液を体表の近くに行き渡らせ、そこから熱を発散させるというものである。いくつかのメカニズムがある。1つめは、人間の身体を冷たいものに触れさせることだ。伝導(conduction)によって熱を発散させることができる。そのために保冷ジェルや氷水を入れた遺体袋が使われる。2つめは、気流を身体に当てることだ。対流(convection)によって熱が発散される。3つめは、熱を電磁波の放射(radiation)の形で直接放出することである。そして、4つめは、蒸発(evaporation)によって体表温を冷やすことだ。つまり、汗をかくことだ。これが、最も重要だ。極端な暑さの何が問題か。それは、最初の3つのメカニズムが効果的で無くなることだ。熱を上手く発散できないどころか、吸収してしまうこともあるのだ。湿度が上がると、4番目のメカニズムも効果的ではなくなってしまう。

 熱は人間の身体に分子レベルで影響を与える。過度の熱さは、タンパク質の化学結合を妨げる。折り畳まれたタンパク質が、ある特定の動き(構造変化)をすることで、栄養素を分解したり、筋肉を動かしたりといったさまざまな機能を果たしている。それができなくなる。分かりやすい例がある。熱いフライパンは、卵のタンパク質を変性させる。体温が高くなりすぎると、細胞内のタンパク質を変性させるのだ。肝臓、血管、脳などの細胞が正常に機能しなくなることもある。

 もっと大きな視点で見てみると、尋常ではない暑さは、身体全体に負のスパイラルを引き起こす可能性がある。汗をかくことで脱水状態になる。すると、熱を発散するための水分が少なくなる。放熱しようと必死になっている身体は、より多くの血液を四肢に流す。それで、内臓の酸素と栄養が奪われてしまう。熱中症がひどくなると、腸が完全性を失い、致命的な細菌が血流に溶け出すことがある。サイトカインストーム(cytokine storm:免疫暴走)が起こることもある。感染の量が多くなり、炎症の量も多くなり、サイトカイン(免疫系細胞から分泌されるタンパク質)が大量に放出される状況のことだ。酷い熱中症では、身体内の酵素(enzymes)が機能しなくなる(酵素は化学反応を行う生命維持に不可欠なタンパク質である)。

 熱中症は2つに分類される。古典的熱中症は一般的に安静時に起こる。子供や高齢者、慢性疾患のある人に多い。労作性熱中症は、スポーツ選手、労働者、兵士など激しい運動をする人に多い。それらを避けるために、人間の身体は調整をしている。1962年、ショウジョウバエ(fruit flies)を研究していたイタリアの遺伝学者フェルッチョ・リトッサ(Ferruccio Ritossa)は、誰かが誤って培養器の温度を上げたことに気づいた。高熱に晒されたショウジョウバエの染色体を検査した。すると、染色体が異様に腫れていた。熱によって染色体がほぐれ、より多くの細胞物質が作られるようになったと推測された。後世の研究者が、ショウジョウバエが熱ショックタンパク質(heat-shock proteins)を作っていることを明らかにした。熱ショックタンパク質は、細胞が熱などのストレス条件下にさらされた際に発現が上昇して細胞を保護するタンパク質の一群である。分子シャペロン(molecular chaperones)として機能する。分子シャペロンは、タンパク質のフォールディング制御をする。こうした熱に対する基本的な防御機能は、地球上のほぼすべての生物種に存在している。

 検査室の中で、私の熱ショックタンパク質はあまり役に立たなかった。脈拍が速くなり、額から汗が流れ、目が焼けるようだった。スターンズは、天井の2つの大きなライトを点灯した。直射日光の影響をシミュレートするためだ。その威力に圧倒された。反射的に顔をそむけた。肌が焼けるような感じがした。

 私はトレッドミルの上を歩き続けた。私が歩いている間、スターンズと運動生理学専攻の院生2人、デビッド・マーティン(David Martin)とショーン・ランガン(Sean Langan)が交代で私のそばにいた。2人はランナーのような体格をしていた。私は腹筋に力を入れ、トレッドミルのバーにつかまり歩き続けた。

「頑張りすぎないでっ!」と、バリバリのトライアスリートであるマーティンが私に声をかけた。

 10分おきに3人が私に質問してきた。「どれくらい辛いか?」、「ちょっとハードだな。」、「どれくらい熱く感じる?」、「まだ大丈夫。」。質問していない時には、研究所がしている研究等を説明してくれた。熱中症にかかった人の話も聞かせてくれた。

 30分が過ぎた。集中するのが難しくなった。話す代わりに、黙ってうなずくことにした。ランガンは私に、熱さを示すスケールを示した。一番下は、”耐えられないほど冷たい” 、一番上は、”耐えられないほど熱い” だった。

「気分はどうですか?」と彼が聞いてきた。

私は 、スケールの ”とても熱い” を指差した。

 彼は私の体幹温度を記録するモニターに目をやった。クリップボードに何かを書いた。それによると、うつ病や不安神経症、パーキンソン病の治療薬を服用していると酷い熱さにも気づかなくなることがあるらしい。特定の疾病も同様だそうだ。彼は、私が不快感を示しているのを見て、安心していた。

 人間の身体は極度の暑さにも適応できる。しかし、数日から数週間という長い時間が必要である。循環する血液の量を増やせるようになる。それで、より効率的に血液を体表付近に送り込むことができる。身体は、より低温でより多くの汗をかくようになる。汗で電解質を失う代わりに電解質を保持できるようになる。しかし、適応には時間がかかる。これが、普段気温が高くならない場所で熱波が始まって直ぐに最大の死者が出る理由の1つである(昨年の夏、フランスで最高気温が104度(摂氏40.0度)まで上昇し、1万1千人もの死者が出たが、これが理由と考えられている)。残念なことに、気温が平年並みに戻ると、暑さに適応した身体はすぐに元に戻ってしまう。去年の夏に身体が適応したことは、今年は全く役に立たないのだ。

 40分が過ぎた頃、手足が重い感じがした。私は動き続けようとしたが、手足を引きずるような思いだった。両ふくらはぎがつりそうだった。足がバタバタして、足音が大きくなった。「深く呼吸をして!」と、マーティンが言った。私はトレッドミルのバーからタオルを取って、前腕の汗を拭った。私は、汗は後で分析に回すので一滴残らず取るように言われていた。しかし、トレッドミルの上にはすでに水たまりができていた。手指に痛みを感じた。手を見た。拳が作れないほど腫れ上がっていた。結婚指輪が指に食い込んでいた。モニターに目をやった。体幹温度が華氏100度(37.8度)を超えていた。