山火事発生件数急増!個々の山火事の規模も年々巨大化している!自然現象?いや、これは人災です! アメリカ

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 数日の間、私が所属していた隊は、他のホットショット隊の作業を側面支援しました。煙たい中で、ヘリコプターが数百ガロンの水を私たちの数ヤード先に投下する中で、延焼を防ぐための作業をしました。ある日の午後のことでしたが、1人のホットショット隊の隊長がピックアップトラックのボンネットに寄りかかってiPadで何か調べていました。スクリーンには地形図が示されていました。カリフォルニアで最も険しい地形をしているエリアの地形図でした。その隊長の黄色いノーメックスのシャツは汚れていて、背中から肩にかけて大きく破れていました。まるで虎に襲われたような感じでした。太陽が森林から湧き出てくる煙のなかで小さく赤紫色に見えました。ちょうど午後2時になるところで、太陽の光がこぼれて少し午前中よりも暖かく、空気はカラカラに乾燥して風が強くなり始めていました。その隊長は、スクリーンをタッチして地形図を拡大したり縮小したり、右に左にスクロールしていました。その隊長は隊がどのようなルートで作業する予定の地点に行くのが安全なのかを調べていました。また、山火事の延焼を出来るだけ遅くするためにはどこで作業するのが良いのかを検討していました。

 そして、その隊長は言いました、「クソッ、完全に手詰まりだ!あまりにも危険すぎて身動きが取れない。」と。彼は10年前はこんな状態では無かったと言いました。当時は、ホットショット隊はもっと山火事の最先端にある炎に近づいて作戦行動をすることが可能でした。というのは、地面にもっと湿気があったからです。彼は言いました、「10年前と違って雨がめっきり少なくなって、地面が乾ききっています。ですので、以前のように炎に近づくことは出来なくなっています。あっという間に炎に囲まれてしまう可能性があるからです。」と。

 ディキシー山火事は火勢が急に弱まったり強まったりしていました。まるで生き物のようでした。ブルドーザー等の重機を使って木などをなぎ倒して延焼を防ぐ作業をしましたが、あまり効果はなく、メガファイヤになってしまいました。延焼面積は24時間ごとに10万エーカーずつ増えています。時々、火災積乱雲を発生させています。私のような消防士が沢山いました。大規模な山火事では、軍隊がやるのと同様に手っ取り早く前哨基地を作ります。テントは数百個も張られ、シャワーを浴びることも出来ましたし、洗濯も食事も何一つ不自由はありませんでした。そこでは、各隊の隊長等が集まるミーティングも随時行われていました。ある火の朝のミーティングでは、その辺にあるケースをステージにしたものの上に立って、遅延剤を投下するよう指示が出されました。具体的な方法の説明も為され、その日は何百万ドル分もの遅延剤の投下が為されました。しかし、何とも火勢が強い為に、投下されたエリアも翌日には全て焼かれてしまいました(ディキシー山火事の消火活動では最終的に6億ドル以上の費用がかかりました)。風が非常に強くて山火事の燃料となる草木も非常に乾燥していたため、ホットショット隊が「迎え火」をしてもほとんど効果はありませんでした。最終的には、ディキシー山火事は数万エーカーの土地を焼き尽くしました。多くの山火事の消防士は、ディキシー山火事はどうして手が付けれれないほどの大規模なものになってしまったのか不思議に思いました。後に私はジーク・ルンダーのブログをチェックして、ディキシー山火事に関することが記されているのに気付きました。彼はディキシー山火事の発生から終息までの状況を記録していたのですが、彼が子供の頃に住んだ家が燃えたエリアの近くにあったようです。彼はブログに記していました、「どうして、あのような酷い状況下でメガファイヤを鎮火するオペレーションを続けなければならないんでしょうか?ディキシー山火事は巨大すぎて人間の手で制御不能なことは明らかでした。なのに、必死に封じ込めようとして多大な人員と物資が投入されました。本当に意味があったんでしょうか?全くの無駄じゃないですか?」と。

 ディキシー山火事の消火活動に参加している時、私は自分の隊がスーザンビルで野営して欲しいと思いました。そうすれば、ウエストに会う機会があるかもしれないと思ったからです。しかし、そうした可能性は無いことが判明しました。それで、私は1人だけでスーザンビルに行ってみようかなと考えました。しかし、それは不可能なことがすぐに判明しました。というのは、スーザンビルへ行く途中には打ち捨てられた街や道路があり、所々で州兵によって入れないようにバリケードが張られていることが分かったからです。ウエストからテキストメッセージが届きました。「あなたの隊が活躍するのを祈念しています。しかしながら、安全にはくれぐれもご注意下さい。」と記されていました。ウエストは、ディキシー山火事についても記していました、「そこらじゅうで炎が激しく暴れているようです。主に5地点で巨大な火柱が上がっています。」と。ウエストと家族は、不気味なオレンジ色に染まった空の下で避難の為に荷造りをしてました。

 また、別の日の午後、私の隊の乗組員はライツ・クリーク(プリマス郡)という渓流付近をしらみつぶしに調査しました。調べた結果、そのあたりは激しい火災で徹底的に焼き払われたことが分かりました。木々が残ってはいましたが、ほとんどが炭化していました。地面から黒く炭化した棒状のものがいくつか突き出ていましたが、元々そこに生えていた柳の木でした。私は右手にリノを持ちました。リノは商標名なのか一般名詞なのか分かりませんが、消防士がよく使う道具です。頑丈なスコップみたいなもので、片側には刃が付いています。それで、掘ったり、切ったり、えぐったり、削ったり、掬ったりします。

 私が渓流に向かって歩いていると、踏み出した足が膝までズボッと柔らかな茶色の沈泥に埋まりました。灰溜で第3度熱傷を負った消防士の話を聞いたことがあったので、私は即座に足を引き抜いて後ずさりました。リノを使って沈泥を少し掬ってみました。見た目は冷たそうに見えるのですが、素手で触ってみると温かみが感じられました。私は、「まだ、熱が残ってるぞ!」と叫びました。

 別の隊員が私の近くまで来て、私と一緒に付近の沈泥を掘ってみました。表層の粉状の土を掘り出し、その下の茶色の粒子が細かい層を掘り出しました。深く掘り進めれば掘り進めるほど、熱さが増していきました。ブーツの底から熱が伝わってくるので、皆は熱さを逃れるために足を交互に上げたり下ろしたりしていました。私は掘るのを止め、状況を把握しようと思いました。まるでオーブンの中の皿の上にいるような熱さでした。私から数ヤード離れたところで隊の他の者数名が地表を掘っていました。その辺りも私が掘ったところと同様に下に行くほど熱いようで、あたり一帯全てが熱いことが分かりました。私の隣で地面を掘った隊員が言いました、「放水が必要だ!」と。

 隊員の1人が無線で放水するための装備の準備を依頼しました。隊員の何人かは、岩だらけの渓流の土手部分に退避しました。熱かったので、私はハイドラパックの水を飲みました。その辺りには不気味さが漂っていました。焼けた切り株、焼け焦げて枝が落ちて幹だけになった木々、熱を持った表層土など、まわりは不気味なものだらけでしたが、私はできるだけそれらのことは考えないようにしました。隊員の誰かが言いました、「くそったれ!」と。

 振り返ると、東の方の山の上にモクモクと立ち上がり始めた巨大な雲が見えました。勢いよく煙と蒸気が上がって拡がっていました。まさしく火災積雲でした。私は実際にそれを見るのは初めてでした。スマホで写真を撮った後、じっくりと火災積雲を観察してみました。それから1時間ほど観察を続けていると、火災積雲の上部は白いカリフラワーのような感じになり、2万5千フィートの高さに達していました。まるでキノコ雲のようでした。その雲の下では激しい燃焼が起こっているのだろうと思いました。相当激しい燃焼でなければ、これほどの煙や灰を吐き出し続けないだろうと思いました。山火事がこんなに強力で大きく激しくなってしまった原因は何なんだろうと考えました。これは人災だと私は思いました。♦

以上