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昨年の夏、チャーム社は次の実地テストの準備をしていたのだが、私はコロラド州北東部の平原にある同社の「ミニ鍛冶場( miniforge )」を訪ねた。ミニ鍛冶場は、ミニチュアでもないし鍛冶場でもなかった。チャーム社は 3 万フィート( 28 アール)の倉庫を借りていた。内部に入ると、広々としたハイテク企業のようであった。10 人ほどの社員がパソコン画面を見つめていた。すぐ近くに、ピックルボールのコートがあった。倉庫の反対側では、ほのかに松林のような匂いがした。壁際のあちこちには 250 リットルの袋が積み上げられていた。袋の中には山火事を防ぐために伐採された木々をチップ状にしたものが詰まっていた。裏の駐車場には、日差しを遮る白いテントの下に高さ約 1 メートルの熱分解装置が 1 台置いてあった。「ニュートリビュレット( NutriBullet )」である。1 本の細いベルトコンベヤーがあった。それは非常に急勾配で先にはいくつもの四角いコンテナが置かれていた。ミニ鍛冶場は、ルーブ・ゴールドバーグマシンを彷彿とさせるものであった。
ニュートリビュレットの起動には少量のプロパンガスが必要だが、処理するバイオマスで十分なエネルギーを供給して稼働し続けることができる。ゴロゴロと静かに音を出しながら、マッチ箱大のチップを一度に一握りほど消費する様を、作業服と安全メガネを着けた 3 人の作業員が監視していた。私は、MIT で研鑽を積んだエンジニアで赤い髪と明るい緑色の目をしたグレース・コナーズ( Grace Connors )の後を追って、大きなプラスチックのタンクに向かった。「匂いますか?」と彼女は言った。
確かに少し匂いがした。そのタンクはバイオオイルで 3 分の 2 ほど満たされており、かすかに甘く、食欲をそそる匂いがした。バイオオイルの中で最も有名なものは「リキッドスモーク( liquid smoke )」である。これは調味料として出回っており、肉にかけて焼くと燻製のような風味が出て旨くなる。もっとも、バーベキュー通を自認する者たちは邪道として忌み嫌っている。チャーム社の従業員の中には、この匂いを四六時中嗅いでいるので嫌気がさしていて、バーベキューが嫌いになった者も少なくないという。
チャーム社がコロラド州北東部を研究の地として選んだのは、この地域がトウモロコシ産地であるだけでなく、エネルギーインフラも整っており、熟練労働者を惹きつけるからである。ミニチュア鍛冶場に続くまっすぐな砂利道の周りには農地が広がり、油井が点在している。現在のミニチュア鍛冶場に関与している従業員の中には、太陽光発電や風力タービンに詳しい者、農業金融に詳しい者、トラクターの設計に詳しい者たちなどがいる。
チャーム社の起源は、2011 年に 4 人の大学生が共同で設立した決済処理を手掛けるセグメント( Segment )社に遡る。2014 年にセグメント社は再生可能エネルギーのクレジットの購入、自社食堂での赤身肉の使用制限、カーボンオフセットの購入によって、炭素排出量の削減に取り組み始めた。同社の共同設立者で CEO を務めるピーター・ラインハルト( Peter Reinhardt )は、セグメント社はインドネシアとブラジルの熱帯雨林を保護するために約 2 万ドルを支払ったと語った。しかし、ラインハルトはこうした取り組みの効果には懐疑的であった。「それだけのお金を投じて、得られたのは『貴社はそれを成し遂げた!』という紙の証明書だけであった。」とラインハルトは言う。「熱帯雨林の保護に成功したのか?どこのの森が保護されたのか?グーグルマップで確認できるのか?何もかもが、まったく不透明であった」。翌年、インドネシアで山火事が頻発し壊滅的な被害がもたらされた。ラインハルトは、「熱帯雨林の保護は全く進んでいない」と思ったのを覚えている。
ラインハルトは毎週土曜日も働くことにした。起業家モードで仕事に没頭した。数人の同僚とカーボンオフセット購入の代替案を検討し始めた。彼らは大気中の炭素を削減する技術に投資したいと考えていた。いくつか選択肢があったが、いずれも欠陥があった。森林再生や土壌保全など自然環境を保護する解決策が、最もシンプルで安価に思えた。しかし、ラインハルトはそれらには懸念事項があると考えていた。成果の測定が難しく、過大評価されがちであり、気候変動による災害に対して脆弱であること等である。ファンを使って化学フィルターに空気を通して炭素を分離・吸収する直接空気回収技術( direct air capture:略号は DAC )は、吸収した炭素の量を把握できる上に耐久性もあるのだが、膨大なエネルギーを消費するという難点がある(石炭工場のような単一の排出源から新たに排出される二酸化炭素を回収・貯留する場合とは異なり、直接空気回収技術はすでに空気中に存在する二酸化炭素を回収するものである)。他にも炭素を取り除く方法はあるのだが、いずれも空想レベルでしかなく、デメリットやマイナス面が目立つものが多い。岩石風化促進法( enhanced rock weathering:ケイ酸塩岩石が風化すると大気から炭素を永久に補足するがそのプロセスを高速化すること)や海藻養殖( kelp farming )などがある。
当初、ラインハルトの研究チームは、炭素を利用可能な製品に変えようと考えた。彼らは熱分解装置を利用して、バイオ炭( biochar:木炭に似た炭素の固体で土壌を改良する)や、製鉄業などの途中工程で燃料として使われる合成ガス( syngas )を生産することを計画していた。2018 年 2 月にラインハルトはキネティック夫妻(ケリーとショーン)と 3 人の共同創業者とともにチャーム・インダストリアル社を設立した。彼らは多くの個人投資家から起業資金を集めた。ラインハルト自身も投資した(キネティック夫妻は 5 年間経営に携わったが、2023 年に去った)。
チャーム社が設立されたタイミングは良かったのかもしれないが、容易に事業が軌道に乗るとは思えなかった。その年の 10 月、気候変動に関する政府間パネル( the Intergovernmental Panel on Climate Change )は、地球温暖化を摂氏 1.5 度に抑えるには、2100 年までに最大 1,000 ギガトンの炭素を除去する必要があると発表した。チャーム社は新興産業に参入したわけだが、炭素を大量に処理し採算ベースに乗せられるような炭素除去能力を持つ企業は存在していなかった。