知ってた?電気自動車の発する合成音はテクノロジーの結晶?静かな自動車をわざとうるさくするのは簡単ではない!

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 自動車の電動化は、人類に都市のあり方を見直す貴重な機会を与えてくれます。ニューヨークやロサンゼルスなどの都市では、今世紀半ばまでに、すべての内燃機関(internal-combustion-engine (ICE))を使った自動車を電気自動車(electric vehicle)に置き換えることが法律で義務付けられています。バイクやトラックも同様です。それによって、都市で暮らしていて聞こえる音も大きく変わるでしょう。内燃機関は、CO2排出の最大の原因であるだけでなく、騒音公害の主たる原因でもあります。さまざまな研究によって、人間の健康にも影響を与えることが分かっています。電気自動車は、高速走行時にはガソリン車と同様に、風切り音やロードノイズ(タイヤの接地面から出る音)を発生させます。しかし、低速走行時には、バッテリーからモーターに電気が流れ、モーターはほとんど音を発せず、本当に静かに走行します。ガソリン車が電気自動車に置き換わることで、都市生活者にはメリットがあります。しかし、同時に、デメリットもあります。

 排気ガスゼロの自動車が環境に良いことは明らかです。しかし、静かで音を発しない自動車は、公共の利益と相反する点もあります。自動車のエンジン音は、運転しない市民にとってはうるさくて迷惑なものですが、歩行者はあの音によって危険が身に迫っていることを認識できて衝突から身を守ることができるというのも事実です。エンジン音は、自動車の接近を知らせるだけでなく、近づいてくる方向や速度も知らせてくれます。加速しているのか減速しているのかも知らせてくれます。人間の脳が睡眠中には無視するようなエンジン音が、街中を自転車で移動している時や運転中に後ろを振り返る余裕も無い時には、状況を把握する手掛かりとなります。また、スマホに気を取られている歩行者も、自動車のエンジン音が聞こえれば多少は警戒心を持ってくれるでしょう。それは、太古の昔にうたた寝していた人類にとっての遠くに聞こえるトラの咆哮と同じです。現代の都市生活では、トラよりも自動車の方が危険な存在です。その危険な存在がほぼ無音になりつつあります。

 静かに忍び寄る自動車に脅威を感じて、米下院は2010年に歩行者安全強化法(Pedestrian Safety Enhancement Act)を可決承認しました。当時、この法律に注目する人はほとんどいませんでした。それで、実際に施行されるまでに10年弱の年月がかかりました。この法律により、2020年以降に製造され、米国内で販売されるすべての電気自動車とハイブリッド車には、時速18.5マイル以下になると外部スピーカーから音が出る車両音響警報システム (AVAS:acoustic vehicle alerting system)という歩行者に危険を知らせる装置を装備しなければならなくなりました(同様の規制が、ヨーロッパやアジアでもあります)。

 自動車メーカーは、音楽家や作曲家を起用して、心地よい独自の警報音を作り込んでいます。もちろん、自動車内の信号音やチャイムも快適なものになるように作り込まれています。ドイツ出身の作曲家で映画音楽の制作で定評のあるハンス・ジマーは、BMWのヴィジョンMネクスト(Vision M Next:ハイブリッドスポーツカー”i8”の後継とされるコンセプトカー)の走行サウンド(走行音)の作成に携わりました。フォルクスワーゲンの新型EVのID.3の走行サウンドは、レスリー・マンドキが手がけました。マンドキは、ドイツ系ハンガリー人のミュージシャンです。プログレッシブ・ロックやジャズっぽい曲をたくさん生み出しています。ジャグア I-Pace(Jaguar I-Pace)の走行サウンドの作成には、アトランタを拠点とするエレクトロニックミュージシャン兼サウンドデザイナーのリチャード・デヴァインが参加しています。一部の自動車メーカーは、電気自動車の走行サウンドを完全に自力で開発しました。ポルシェ・タイカン・ターボS(Porsche Taycan Turbo S)は、かなり物々しい音を発して周囲に危険が身に迫っていることを知らせます。フランケンシュタイン博士の研究室で、博士がモンスターを初めて動かすためにスイッチを入れた時のような仰々しい音です。アウディ社の電気自動車に出させるサウンドを研究しているエンジニアは、アウディ・EトロンGTクワトロ(Audi E-Tron GT Quattro)の警告アラート音を低周波数の音にしました。長い金属パイプに扇風機で風を通して様々な音色を録音し、それらをアルゴリズムを使ってミキシングして作ったそうです。非常に出来栄えがよく、映画「トロン」(Tron:世界で初めて全面的にコンピューターグラフィックスを導入した映画として話題を集め、コンピューターの内部世界を美麗な映像とプログラムの擬人化という手法で表現した点が特徴)とその続編の豪華なBGMを彷彿とさせます。

 また、自動車メーカーの中には、車両音響警報システム (AVAS:acoustic vehicle alerting system)の音を作り込む際に、人工音楽とは真逆で、より自然の音色に近づけようと努力しているところもあります。日産リーフにはカント(Canto)と名付けられた周囲に音で警告を発するシステムが付いています。様々な種類のサウンドが準備されているのです。ビジネス・インサイダー(Business Insider:2009年2月に開設され、ニューヨークに拠点を置くアメリカのビジネスやテクノロジー関連ニュースの専門ウェブサイト)上の動画で、そのサウンド作りの責任者であったダニ・ヴェネは言っていました、「電気自動車の周囲にいる人に恐怖感を与えないようなサウンドを追求しました。それで、管楽器やフルートやオーボエやクラリネット等々を試したりしました。それなりに心地よい音に仕上がったと思います。」と。イーロン・マスクは、テスラ社の車両音響警報システム (AVAS:acoustic vehicle alerting system)のサウンドにヤギの歩く足音を使うように提案したそうです。ヤギを連れてこれないのなら、ココナツをぶつけ合ってコツコツと音を出せばそっくりの音が出せるとも提案していたそうです。それは、実際、映画 ”Monty Python and the Holy Grail”(邦題:モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル。1975年に公開されたモンティ・パイソンによる低予算で作られたコメディ映画。イギリスのアーサー王伝説をもとにしたパロディ)で行われていたことです。その映画では予算が無く、馬を連れてこれなかったのでココナツをぶつけて馬の足音を作り出していました。

 アメリカでは、新車が20台売れても、その中に電気自動車は1台しかありません。ですので、ニューヨークでは、車両音響警報システム (AVAS:acoustic vehicle alerting system)のサウンドを耳にすることはまだ稀です。しかし、いつかは誰もがそのサウンドに囲まれて生活することとなるでしょう。もしそうなったら、私は心配です。夜中にぐっすり眠れなくなってしまうのではないでしょうか。