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Q.どうして、ベオグラード大使館誤爆が人民解放軍の近代化に繋がったと考えるに至ったのですか?あなたがおっしゃられていた人民解放軍の変革は、当時の状況に順応するために為されたものなのでしょうか?それとも、イデオロギー的なものなのでしょうか?
A.イデオロギー的というのはどういう意味でしょうか?私は文学的な素養はないので、難しい修辞が使われると理解できない . . .
Q.私が思ったのは、ベオグラードの件があったことで中国が国防力を高めようとしたのか?それとも、ベオグラードの件は全く関係なく、強国を目指すと言うイデオロギー的なものが掲げられて軍の強化に前のめりになったのか?いずれなのかということです。
A.2つ、いずれもが影響して、人民解放軍の強化が為されました。コソボ空爆は、人民解放軍の再編のきっかけとなりました。それによって、中国国内で、自国が大規模な武力紛争に備える必要のない平和と発展の時代に存在しているのか、あるいは、大規模な紛争に巻き込まれる可能性に常に備えておくべきなのかという論争が巻き起こりました。また、中国の大使館に対する攻撃であったことから、アメリカが中国の利益に対して非常に敵対的であると認識されるきっかけとなりました。中国大使館へのアメリカの攻撃は意図的ではなく偶発的なものだったのですが、中国には本当に偶発的なものか疑う者も少なからずいました。しかし、他にも注目すべきことがあります。
中国は常に自らを大国とみなしており、大国は偉大な軍隊を有していると考えています。近代的で強力な軍隊を持つことは、中国共産党の代々の指導者に共通の夢で、1950年代から綿々と受け継がれてきました。冷戦後になってようやく、軍の近代化と強化が始まったのです。江沢民(Jiang Zemin)も胡錦濤(Hu Jintao)も習近平も、人民解放軍の近代化を強く主張してきましたが(胡錦濤はそれほどでもなかったかもしれませんが)、実行するのは非常に難しいことでした。冷戦終結時点では、人民解放軍は1960年代から70年代に作られた非常に時代遅れの装備類を使っていました。特に陸軍の機械化の程度はかなり低かったのです。また、第4世代の戦闘機もありませんでした。海軍の装備類もあまり充実していませんでした。湾岸戦争(Gulf War)が起こった時、人民解放軍の指導者層と共産党幹部は、自国が将来の紛争に備える為に、人民解放軍の抜本的な改革と近代化が必要であると気づいたのだと思います。
その結果、中国は1993年に戦略を変更しました。4軍で共同作戦を行える能力を獲得することを目指しました。なぜなら、湾岸戦争の際にアメリカがそれをしているのを目の当たりにしたからです。1990年代半ばには台湾海峡危機(Taiwan Strait crisis)が発生しました。今でも多くの人が、台湾海峡危機が人民解放軍近代化のきっかけになったと強調しています。1995年と1996年に、台湾が独立を宣言するのではないかという懸念から、中国が台湾周辺にミサイルを発射し、アメリカはそれに反応して軍艦数隻を派遣しました。確かに、台湾海峡危機は非常に重要な出来事でした。しかし、私は、コソボ空爆こそが人民解放軍の近代化のきっかけだったと思います。1990年代半ばに台湾海峡危機が起こったわけですが、その前の時点、1993年には中国は自国の利益を守るために強力で確固たる軍隊を持つ必要性を認識していたのです。
もちろん、当時、アメリカは冷戦終結時よりも中国に対して敵対的な姿勢を強める可能性があると見られていました。そのことも、中国の人民解放軍強化を助長しました。そういう意味では、中国は戦争好きで多くの戦争をしたいから人民解放軍を強化したわけではないのです。むしろ、アメリカの対応に反応して、独立を維持するためには強力な軍隊を持つ必要性があると考えるようになったのです。中国は、強力な軍事力が備われば、政治的利益を得ることができるようになると考えました。例えば、台湾の独立を阻止するために、台湾への侵攻や攻撃をいつでも仕掛けられると脅し、強力な軍事力を見せつければ良いと考えたのです。1990年代後半には、人民解放軍の再構築が終わり、そうした体制が整いました。その頃、中国は10年前よりさらに豊かになり、軍隊の近代化にさらに多くの資源を投入できるようになっていました。私は、そうして人民解放軍が強化された過程が必ずしもイデオロギー的だったとは思いません。中国で人民解放軍の強化という目標が長きにわたって追求されたことは、中国の歴代の指導者に共通して軍を強化したがる性向があったからだと思います。