アメリカ なぜ報道機関は信頼を失ったのか?1976年の信頼度74%が2017年には34%まで下落!

A Critic at Large February 6, 2023 Issue

When Americans Lost Faith in the News
アメリカで報道機関が信頼を失った時

Half a century ago, most of the public said they trusted the news media. Today, most say they don’t. What happened to the power of the press?
半世紀前、ほとんどの人が報道機関を信頼すると言っていました。現在は違います。報道機関はどう変わったのか?

By Louis Menand  January 30, 2023

1.

 2017年2月17日にワシントン・ポスト(Washington Post)紙が「民主主義は暗闇の中で死ぬ(Democracy Dies in Darkness)」というスローガンを発表した時、報道関係者の多くがこれを揶揄しました。「次のバットマンの映画のタイトルのようだ」と、ニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙のエグゼクティブ・エディターのディーン・バケ(Dean Baquet)は言いました。しかし、当時はトランプ政権が発足して1カ月も経っていなかったのですが、主要報道機関の信頼性を毀損することがホワイトハウスの優先事項であることが明らかになりつつありました。トランプ政権は、臆面もなく、嬉々として嘘をつき、真実を否定する方針をとることが明らかになっていました。ポスト紙はトランプ政権の嘘を記録し続けています。同紙の集計によれば、任期終了までにトランプ大統領は30,573回も嘘をついていました。

 ドナルド・トランプは大統領に就任するとほぼ同時に、報道機関を 「アメリカ国民の敵 (the enemy of the American people)」と呼び始めました。一時期、ホワイトハウスはTimes、CNN、Politico、Los Angeles Timesなど特定の報道機関をブリーフィングから締め出し、大統領から敵対的とみなされたCNN特派員のジム・アコスタ(Jim Acosta)は入館証を取り上げられました。フェイクニュース(Fake news)というレッテルを貼るのが、大統領に都合の悪い記事に対するホワイトハウスの標準的な反応となりました。時には、それが唯一のホワイトハウスの反応となることもありました。そのような記事はたくさんありました。

 当然のことながら、報道機関と政府高官の関係には、信頼関係が築けないわけでギクシャクとしたものとなりました。通常の政権であれば、両者は友好的な関係を維持することが望ましいと思っています。記者は記事を書くために情報を得たいと考えますし、政治家はそれらの記事が親しみやすいものであることを望みます。記者はまた、公正かつ公平であると思われたいと考えており、政治家は協力的で透明性があるように見せたいと考えています。記者と政治家は持ちつ持たれつのところもあるので、ある程度なら相手側の偽善を喜んで受け入れます。

 しかし、トランプが大統領になって、すべてが変わりました。トランプは無作法です。彼は親しみやすさを売りにはしていません。そして、トランプの世界観はすべてが食うか食われるかの競争の世界であるため、協調という概念は存在しないのです。トランプは報道機関に戦争を仕掛け、勝利しました、もしくは勝勢でした。彼は何百万人ものアメリカ人に、トランプの息のかかったメディア以外から見聞きしたことは一切信じないように説得していました。2020年の大統領選の結果も信じないように説得していました。

 トランプ政権時代でも、報道機関は報道を止めませんでした。報道機関は少なくともトランプ支持者の間では信用を失墜させられたわけですが、やはりトランプ支持者以外の人たちの報道機関に対する信用度も下がりました。ある意味で、トランプ政権によって検閲が形を変えて行われていたと言えます。1976年には、ベトナム戦争やウォーターゲート事件の後でしたが、アメリカ国民の72%が報道機関を信頼していると答えていました。現在、この数字は34%です。共和党員に限ると14%です。「民主主義は暗闇の中で死ぬ」というフレーズを使ってポスト紙が警鐘を鳴らしていたのは2017年のことでしたが、今にして思うと、それは2021年1月6日に起こった国会議事堂襲撃事件を予期していたのかもしれません。民主主義は本当に危機に瀕していたのです。

 民主主義が機能するためには自由な報道が必要であるという信念は、民主主義と同じくらい古いものです。それゆえ、憲法修正第1条(First Amendment)があるのです。情報や意見の自由な流通がなければ、有権者は誰に投票し、どのような政策を支持するかを選択する際に、無知のまま行動することになるのです。しかし、その情報が正確でなかったら、民主主義は機能しません。記者を信用できない場合も、何が真実かわからない場合も同じです。

 マイケル・シュッドソン(Michael Schudson)が1978年の著書”Discovering the News(未邦訳)”で指摘したように、優れたジャーナリズムは客観的(objective)でなければなりません。つまり、党派にとらわれない、偏見のないということなのですが、そういう考え方が生まれたのは、実は20世紀に入ってからのことです。シュッドソンは、こうした概念は、正確で信頼できる真実の概念全体に対する懐疑論の高まりに対応するものとして生まれたと考えました。彼は記しています、「客観性という基準は、事実に対する信念の最終的な表現ではなく、事実さえも信頼できない世界のために設計された表現方法です。. . . (中略). . . 報道機関がこれほどまでに客観性を重視するようになったのは、彼らがそうしたいと思い、そうする必要があると考えたからです。当時、誰もが自らの凝り固まってしまった信念から逃れたいという理由で客観性を求めていたのです。」と。つまり、報道に客観性が重要であるという概念は、問題のある状況下で生み出されたのです。

 この問題についての古典的な記述は、今から100年前に出版されたウォルター・リップマン(Walter Lippmann)の著書”Public Opinion”(世論)にあります。リップマンの批評は現在でも有用です。昨年秋にコロンビア大学ジャーナリズムスクールは4日間にわたって”Public Opinion”(世論)に関する討論会を開いたのですが、その本から多くのことが学べることに気づきました。リップマンの主張は、ジャーナリズムは職業ではないというものでした。ジャーナリズムを実践するためには、免許も学歴も必要ありません。あらゆる種類の人が自らをジャーナリストと呼んでいます。そうした人たちの全員が、信頼できる、利害関係のないニュース報道を国民に提供していると言えるでしょうか?

 しかし、ジャーナリストは、情報が本物である限り、どんな手段や動機であれ、情報を見つけ出したり発信する人を常に擁護します。ジュリアン・アサンジ(Julian Assange)はもしかしたら犯罪者かもしれません。たしかに彼は2016年の選挙の際に、ロシアの助けを借りて、ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)候補にダメージを与えるために介入したと言われています。新聞各社の編集者らは、アサンジのやっていることは憲法修正第1条で守られていると主張し、ジャーナリスト保護委員会(Committee to Protect Journalists)は彼が告発されたことに抗議しました。

 リップマンの主張には他にも重要なことがいくつもあります。その1つは、ジャーナリズムは公共サービスではなく、ビジネスであるということです。今日、最も影響力のあるジャーナリストは巨大企業の従業員たちであり、彼らは報道を通じて利益を上げることを期待されています。テレビのニュース番組は赤字である、あるいは、かつては赤字であったと言われることがありますが、それは事実ではありません。1960年代に毎晩放送されていた”Huntley-Brinkley Report”(ハントリー・ブリンクリー・レポート)はNBCの最大の稼ぎ頭でしたし、1968年にCBSで始まった“60 Minutes”(60ミニッツ)は、最も視聴されたテレビ番組のトップ10に23年連続でランクインしていました。

 ジャーナリズムをビジネスとして考えると、いかにして耳目を集めるかということが全てです。視聴率が下がって、広告収入が減れば、記者や特派員が差し替えられ、アンカーの首も挿げ替えられ、報道内容も変更されます。ケーブルテレビ局のニュース番組に限らず、全てのニュース番組は視聴者のために編集されています。ソーシャルメディア上に流布している情報も同様で、アルゴリズムが自動でビューアーの政治的嗜好を分析して表示されます。ですので、ジャーナリズムが客観的であることと多くの耳目を集めることを両立させることは非常に難しいと言えます。