グラフの重要性って過小評価されてない?正しいグラフが作られるか否かが、生死を分ける時もある!

3.19世紀 – 鉄道業界でのグラフの活用

 馬が引く駅馬車が長距離移動の主流であった時代には、時刻表があったものの単なる目安のようなものでした。時刻表とおりに駅馬車が運行されているわけではありませんでした。1820~30年代に鉄道による旅客輸送が始まった頃には、時刻表が大きく貼りだされるようになりました。しかし、現在のような東部標準時とか太平洋標準時とかタイムゾーンとかきちんと決められる前のことでしたので、現在の基準で見るとそれほど正確な列車の運行はされていませんでした。鉄道王として有名なイギリスの鉄道投資家ジョージ・ハドソンは、彼の鉄道会社の列車の多くで遅延が発生していることを示すデータを前にした時、彼の会社の多くの列車が早着していることを示すデータを示して反論しました。それで、彼の鉄道会社全体で見ると概ね時刻表通りに運行されていると主張しました。

 列車による旅客輸送がますます盛んになるにつれて、列車の運行数も増えたので、列車が時刻表通りに運行されない弊害が目立つようになり、正面衝突事故が発生するようになりました。路線が増え、駅の数が増え、鉄道会社は事故を回避する方法を確立する必要にせまられている最中に、フランスで新機軸が生み出されました。鉄道技士のチャールズ・イブリーが新しいスタイルのグラフを考案したのですが、それが事故回避に大いに役立ちました。

 1847年にイブリーはフランスの公共事業大臣にプレゼンを行いました。そこで、彼は新しいグラフでは、パリルアーブルの間にある全ての列車の位置を24時間に渡って示すことができることを説明しました。プレイフェアのグラフと同様に、イブリーのグラフでも横軸は時間の経過を示していました。横軸に1ミリの幅は2分に該当しました。グラフの左上の角はパリ駅を示しており、その下、縦軸(y軸)を下ってゆくと、ルアーブルへ向かう途中の駅が順に点で示されて、一番下にルアーブル駅を示す点が付されていました。各駅を示す点は、実際の駅間の距離が正確に反映されていました。グラフ上の1ミリは400メートルを示していました。

 このように縦軸、横軸を設定したことで、グラフ上で列車の運行は斜めの線で表示されることとなり、その線を左から右へ追いかけて見れば、列車の位置と時間を知ることができました。線路の切り替えや交差や追い越し等が無い単純な鉄道路線であれば、そのグラフを使って列車の時刻表を作る際に斜めの線を注意深く引いて各列車間に十分な距離的余裕を持たせれば、事故を防ぐことが出来ました。しかし、全ての列車が同じ速度で動いているわけではないので、容易なことではありません。速度が速い急行列車はグラフ上では斜め線が急勾配で示され、速度の遅い貨物列車の斜め線は緩やかな勾配で示されます。時刻表を組む際には、速度の違うさまざまな列車の斜め線が交わらず、十分な余裕を持つように組む必要がありました。そうすれば衝突事故は避けられます。

 そうした列車の運行状況を示すグラフは、説明を目的としたものではありませんでした。それらは、時刻表を組む際の煩雑な作業を容易にするために考案されたもので、非常に実用的なものでした。それでも、列車間の距離を分かり易く示していましたし、列車がいつどこにいるかを簡単に認識できるようになりました。統計学者のジョン・テューキーが言っていたことですが、グラフでビジュアル化することで、見えていなかったことが認識できるようになったのです。

 その後10年も経たない内に、そのグラフは世界中で列車の時刻表を作成する際に使用されるようになりました。最近まで、一部の交通機関ではコンピューターではなく手作業で方眼紙と鉛筆を使って時刻表を組むことが好まれていました。定規を使って速度の速い列車は鋭角的な斜め線で示され、遅い列車は緩やかな斜め線で示されました。そして、現代では、列車の運行計画を組むソフトウェアがあって、それが重用されていますが、時刻表の組み方の基本はイブリーの時代から何ら変わっていません。2016年には、シンガポールの地下鉄の環状線で度重なる原因不明の不具合が発生していたのですが、データサイエンティストのチームが、それは、1台の悪さをする列車によって引き起こされたことを解明しました。その列車に乗っても正常に運行されており異常は何も認識することが出来ませんでしたが、その列車はトンネル内で他の列車とすれ違ったり追い越す際に、相手の列車の信号を消失させ緊急ブレーキを作動させていたことが判明したのです。不具合を起こした列車だけを集中的に調べても原因は特定できなかったでしょうし、事故の起こった時間や場所を集中的に調べても特定できなかったでしょう。イブリーの考案したグラフを用いて、俯瞰して分析したことによって原因を特定できたのでした。