2.コンテナ輸送船のおかげで海上輸送コストは劇的に下がった
標準的な輸送用コンテナは、幅8フィート(2.4メートル)、高さ8.5フィート(2.6メートル)、長さ20フィート(6.0メートル)または40フィート(12.1メートル)のスチール製です。コンテナに金銀財宝が詰まっていれば、非常にありがたいものに違いないでしょうが、そもそもは単なる箱でしかありません。しかし、世界で最も魅力のないものの1つといって差し支えないゴンドラですが、近年はある種のカルト的な人気を博しているようです。現在、驚くほど多くの人が船舶用コンテナに住んでいます。その中には、家を買う余裕が無いからという理由で住んでいる人もいます。また、小さな家で豊かに暮らすというタイニーハウス・ムーブメント(the Tiny House movement)を実践するという理由で住んでいる人もいます。全く逆でたくさんのコンテナを使って建築的実験の名目で数千フィートの長さの家を作って住んでいる人もわずかにいるようです。また、コンテナ・スポッターと呼ばれる世の中のコンテナを調べたり眺めたりすることが好きな者も少なくないようです。そうした人たちは、コンテナの色やロゴやステッカーや様々な特徴を見てコンテナの出自を推定できるそうです。輸送用コンテナ界のジョン・ジェームズ・オーデュボン(米国の18世紀の鳥類研究家)ことクレイグ・キャノンや ティム・ファンによる著書”The Container Guide”は、そうした人たちにとってバイブルのようなものです。コンテナに関する本は、数多く出版されていて、クレイグ・マーティンが監修した”Shipping Container”(この本には、ブルームズベリー学術出版社の図鑑シリーズの中の1冊で、フランスの哲学者ブルーノ・ラトゥールやアメリカの芸術家ドナルド・ジャッドなどの言葉を引用している)のような本もあれば、著者であるローズ・ジョージが自ら5週間もコンテナ輸送船に乗り込んで、海運業界の労働環境のみならず、危険でほとんど無法状態の大海原で世界中の荷物を責任をもって運んでいる人たちの日常生活を生き生きと描いた”90% of Everything”のような本もあります。
このようにコンテナが注目されるようになった理由は、過去半世紀ほどの間に、輸送用コンテナが世界経済を大きく変貌させ地球上のほとんどの人の日常生活を根本的に変えてしまったことにあります。その変貌ぶりは、10年半前にマーク・レヴィンソンが著書「The Box: How the Shipping Container Made the World Smaller and the World Economy Bigger(コンテナはいかにして世界を小さくし、世界経済を大きくしたか )」に詳しく記されています。コンテナが登場する以前は、水上での貨物の移動は高価で労働集約的なビジネスでした。運ぶ荷物と貨物船との距離を縮めるべく、港湾付近には工場や倉庫が密集していました。荷役を行う港湾作業員(longshoremen)や港湾労働者(stevedore)も港湾近くにひしめいて住んでしました(港湾労働者は船上で、港湾作業員は埠頭で働くという区分がありました。勤務する場所で区別されていたのです)。貨物の中には、バルクカーゴ(bulk cargo)もありますが、ほんの一部です。バルクカーゴとは、原材料や中間財として使われるものが多く、専用船、コンテナ、タンク車、ホッパー車などによる専用輸送が行われます。バルクカーゴの代表は、石油です。タンクに注ぐだけで比較的簡単に貯蔵・輸送できます。しかし、輸送される貨物のほとんどはブレークバルク(break-bulk)貨物でした。ブレークバルクとは、規格外の長尺貨物や超重量貨物などコンテナ化できない貨物のことで、袋詰めのセメント、チーズの塊、袋に入った綿など、1つ1つ積み込まなければならない荷物のことです。種々雑多で形もさまざまな貨物が一緒に船積みされます。注意深く積み込まないと、輸送中に荷崩れが発生してしまいます。貴重品が壊れたり、最悪の場合、船が転覆したりしますので積み荷をコンテナに入れる際には慎重に詰めなければならないのです。港湾関係の労働者には、腕力だけでなく技術も求められました。また、そして痛みへの耐性も必要でした(マンチェスター市では、毎年、港湾労働者の半数が仕事中に負傷していました)。船舶会社を営むということは、多額の資金を必要としました。労働者への賃金と設備投資を合わせて計算すると、海上輸送のコストの75%は、船舶が港湾に停泊している間に発生していました。
そうした状況が1956年にマルコム・マクレーンという人物によって一変されました。彼はもともと海運業には携わっていませんでした。野心的なトラック運送会社のオーナーでした。高速道路ではなく水路を使って貨物を運ぶことができれば、競合他社に打ち勝つことができると考えていました。彼は、貨物船の上にトラックを載せて輸送することは経済的に効率が悪いと思っていました。そこで、トラックの上、貨物列車の上、輸送船の上のいずれにおいても簡単に入れ替えができ、さらに積み重ねることができ、繰り返し使えるボックスを使うという案を思いついたのです。その案を推し進めるべく、彼は第二次世界大戦時に使われていたタンカーを2隻購入して改造しました。さらに、クレーンでトラックから船まで持ち上げることができるアルミ製コンテナの研究をしていた1人の技術者を採用しました。1956年4月26日、購入した2隻の内の1隻のSSアイディアルX号(the SS Ideal-X)が、58個のコンテナを積んでニュージャージーからテキサスへ向けて出航しました。その際に、国際港湾労働者組合の幹部の1人が立ち会ったのですが、その船に関する感想を聞かれて、「あのクソッ船を沈没させないと気が済まない!」と答えたそうです。
その港湾労働者組合の幹部は、自分の目の前に浮かんでいた船が、彼や彼より前の世代の港湾労働者たちの仕事を奪い取ってしまうことを明確に理解していたのでしょう。SS Ideal-X号が初出港した頃、貨物船への積み込みには1トン当たり平均で5.83ドルのコストがかかっていました。コンテナ輸送船の出現で、それが16セントにまで下がり、それに伴って港湾労働に関する雇用も激減しました。現在では、船舶への積み込みはコンピューター制御で行われ、トローリーやクレーンを使って約90秒ごとにコンテナが出し入れされます。荷揚げも荷積みも同時に行われています。その結果、海上輸送のコストは驚くほど安くなりました。レビンソンが著書に記していたことの引用になりますが、マレーシアにある工場からオハイオの倉庫まで、25トンのコーヒーメーカーを輸送する場合、ビジネスクラスの航空券1枚分以下のコストで輸送できるのです。彼は著書に記しています、「輸送は非常に効率的になり、多くの場合、輸送費は経済的な意思決定にあまり影響を与えなくなった。」と。
別の見方をすれば、こうしたコストは、その軽微さゆえに、経済的な意思決定に影響を与えるということもできます。多くの企業が工場等を賃金水準が低く、豊富な労働者を確保でき、利便性が高く、環境保護関連の規制が緩い場所に移すことができるのも、輸送コストが低いことが理由です。港から遠く離れたベトナムやタイや中国の内陸部にある小都市でも、安い土地と安価な労働力を利用してグローバル経済への足がかりを得ることができるのです。マクリーンの技術革新のおかげで、製造業はサプライチェーンを大幅に延長することができ、しかも経済的に優位に立つことができるようになったのです。マンハッタンで買ったマラッカの工場で作られたシャツが、ミッドタウンの仕立屋で買ったものよりはるかに安いのはなぜだろうと考えたことがあるなら、その答えの大部分は、輸送用コンテナにあるのです。