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ミュンヘンに着いた次の日、私はDSGZの中の端の方まで足を伸ばし、めまいの歴史を研究する数少ない研究者の1人であるドリーン・ハッパート(Doreen Huppert)を訪ねた。彼女はブロンドの髪を肩まで伸ばし、青いアイラインを引いていた。芸術家のような風貌をしていた。彼女は机の上に山のような書類を広げた。彼女は、大昔の古文書にめまいに関する記述が残っているのを発見していた。世界中に文献が残っていて、古代のローマや中国まで遡ることができるという。紀元前300年頃の中国の医学書「黄帝内経(The Yellow Emperor’s Classic of Internal Medicine:現存する中国最古の医学書)」には、黄帝(Huang Di:古代中国の伝説上の君主)が高所誘発性めまい(height-induced vertigo)で医者の世話になっていたことが記されている。「すべてがグルグル回ってめまいがする。」と、黄帝は言っていた。「これは、いかなる気(Qi)によって引き起こされているのか?」
めまい(vertigo)という語は、ラテン語の動詞”vertere”が語源とされている。意味は、英語の”turn(回る)”と同義である。あるいは、ラテン語のcaligo(暗闇、薄暗さの意)が語源であるとも言われている。その語は現実を見失う感覚を表しており、それで、めまいを表現するのに使われていたと推測される。めまいは、肉体的な症状だけでなく、感覚的な症状でもあるとして理解されている。ネロ(Nero)の自殺後にヴェスパシアヌス(Vespasian)がローマ皇帝の座に就いた時、体の中で地震が発生していると感じ、奇妙なめまいに襲われたと伝えられている。余談だが、内耳の一部を骨迷路(labyrinth)と初めて命名したのはマルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius)を治療した医師クラウディウス・ガレヌス(Claudius Galenus)である。クレタ神話(Cretan myth)のミノタウロス(minotaur:人身牛頭の怪物)が中心にいる迷路(maze)に因んで名付けたのだろう。
私が前庭片頭痛であることをハッパートに話すと、彼女は書類の山を引っ掻き回して、2世紀頃にローマで不規則な眼球運動と対になった頭痛について記述した書類を引っ張り出した。カッパドキア(Cappadocia)のアレタイオス(Aretaeus)が書いたとされている。「顔は発作的に歪み、目は固いまま動かない、あるいは激しく左右に動き、患者はめまいを感じる。」とアレタイオスは書いている。また、アレタイオスは、患者が “taedium vitae(厭世感)”を感じる、つまり人生に対する倦怠感に打ちひしがれることがあると書いている。私は古代ローマ人に連帯感を覚えた。
16世紀になると多くの医学者が解剖をするようになり、死体を切り開いて人体の構造を明らかにしていった。三半規管も認識されたものの、前庭系が深く理解されたのは19世紀になってからである。フランスの解剖学者、ジャン・ピエール・フルーランス(Jean Pierre Flourens)がハトの内耳管を切除して破壊したところ、その頭がキョロキョロしだし、バランスを崩すことが示された。
まだ未解明なところが沢山残されている。ツヴェルガルは、DSGZが前庭片頭痛の生物学的検査を研究していると教えてくれた。従来の片頭痛患者は、カルシトニン遺伝子関連ペプチド(calcitonin-gene-related peptid:略号CGRP)と呼ばれるタンパク質の濃度が高いことが多い。CGRPが前庭片頭痛の生体マーカー(biomarker:ある疾患の有無、病状の変化や治療の効果の指標となる項目・生体内の物質)として機能する可能性はあるかもしれない。ツヴェルガルに検査を受けてみないかと言われ、私は快諾した。
検査を受ける際に私はツヴェルガルに、何を採取するか尋ねた。血液か尿か唾液か。いずれでもなかった。彼の説明によれば、CGRPは目の中にあるという。私は固い椅子に座り、頭を後ろに傾けた。研究助手が薄いプラスチックのピペットを私の目の涙管に当てた。ふと、今年の夏は泣いてばかりいたことを思い出した。毎朝目が覚めるとめまいが治まっていることを祈って泣いた。結局、治まっていないことが分かって泣いた。
「目を上に動かして」と研究助手は言った。私の涙を7マイクロリットル採取した。