Road Trips July 11 & 18, 2022 Issue
Wide World of Disney
世界に開かれたディズニー
“We went to Disney World not out of some ironic feeling for Disney and what Disney represents but because we wanted to ride Space Mountain.”
「ディズニーに行くことが白人らしい行動だと思ったとか、ディズニーの世界観が好きだからそこに行こうと思ったわけではありません。単純に、スペース・マウンテンに乗ってみたいと思ったのがディズニーワールドに行った理由です。」
By Akhil Sharma July 4, 2022
私が大学生の時にいつも考えていたのは、どうやったら白人になれるかということでした。洗練された白人になりたいとか、立派な白人になりたかったわけではありません。当時、私が思っていた白人であることの最大のメリットは、背景に溶け込めることだと考えていました。白人になれば、悪目立ちすることはなく、普通の生活が送りやすくなるだろうと思ったのです。それで、当時、私は、大衆がこぞって購入するようなものを好き好んで購入していました。いわゆるマスマーケット向けの商品です。私は、友人に「もうすぐ発売されるポーラ・アブドゥルの次のアルバムが待ち遠しいとか、映画007シリーズの次回作を見に行きたい。」と言っていました。
私の大学時代の親友だったピーター・シャウ( Peter Shiau)は、私と共通点が沢山ありました。しかし、私と決定的に違うところがあって、彼は、優しい性格でしたし、変人でもありませんでした。ピーターは台湾出身で、一時期は自分の名前をアメリカ人っぽく “Peter Shaw “と綴っていました。彼が私に教えてくれたのですが、彼は11歳か12歳の時に鏡を見ていて、ふと自分は白人で無いことに気付いたそうです。目が白人とは決定的に違うと気付いたそうです。私の両親もピーターの両親も子煩悩で、少し子どもに手をかけすぎるくらいでした。いくぶん過保護でもありました。それ故、私とピーターの両親は、子どもが大学生になっても自由に使えるお金を与えませんでした。そうすることで束縛しておけると思っていたのかもしれません。その状況への対処法として、私もピーターも嘘をつくことを覚えました。
1990年、大学2年の春休みに、私とピーターはニュージャージーからディズニーワールドまで車で行く計画を立てました。ディズニーに行くことが白人らしい行動だと思ったとか、ディズニーの世界観が好きだからそこに行こうと思ったわけではありません。単純に、スペース・マウンテンに乗ってみたいと思っただけでした。
私たちは金曜日の夜に出発しました。小銭をたくさん持って行きました。どうして小銭が必要だったかというと、両親に電話をかけて、まだニュージャージーにいると嘘をつかなければならなかったからです。
グレーのホンダ・シビックに乗って出発しました。出発して直ぐから楽しめました。私もピーターも、アメリカで自由に旅をするのは初めてでした。それから何年も経ってから、ジャック・ケロアックの「On the Road」(邦題:路上、または、オン・ザ・ロード)を読みました。主人公がアメリカ大陸を自由に放浪する姿が刺激的に描かれていました。あの時の私とピーターのドライブ旅行も、同様に刺激に満ち溢れたものでした。私は、ハイウェイを楽しくドライブしました。ハイウェイでスピードを出して少しハイになることもありましたし、逆に渋滞でイラッとすることもありました。私たちは、アメリカを自由に旅して、ハイウェイ脇の街のファーストフード店で食事をしました。それらはアメリカ人の多くの人が普段から経験していることでしたが、私たち2人はそれまでは経験したことが無かったんです。また、「How am I driving?」(訳者注:その後に電話番号が記されており、荒い運転をしていたら、苦情の電話をして欲しいということらしい)というステッカーが貼ってある18輪の大型トレーラーをたくさん追い越しました。今でもさまざまな出来事を鮮明に思い出すことができます。ボルチモア付近では渋滞で往生したこと、ヴァージニアで突然霧が出てほとんど前が見えなくなり死ぬかと思ったこと、ジョージアの女性の南部訛り、フロリダのヤシの実が互いにこすれ合ってコツコツとうるさかったことなどです。普通のアメリカ人にとっては、どれも特別珍しいことではないと思うのですが、当時の私にとっては、白人と同じ経験をしていると感じられて刺激的に思えたのです。また、ドライブ途中では、何も無いところを延々と走ることもあったのですが、そんなときは将来の不安が頭によぎったりしました。ピーターは、自分は将来結婚するだろうが妻に間違いなく浮気されるだろうと言っていました。
いよいよ目的地のディズニーワールドに到着しました。真っ青な空の下に、シンデレラ城やビッグサンダー・マウンテン・レイルロードなどが見えました。息をのむような綺麗さでした。
私の経験では、アメリカでは公共の場でさえも差別が存在していました。海水浴場に行って観察してみれば分かりますが、非白人は特定の場所に集まる傾向があります。また、レストランに行けば分かりますが、白人客が多い店は非白人はほとんどいません。各レストランで、メインとなる人種が決まっているかのようでした。しかし、ディズニーワールドの待機列は、例外でした。白人と黒人とアジア人とヒスパニック系が隣り合わせに並んでいました。そこでは人種による差別など無かったのです。差別が当たり前だと思っていた私にはとても新鮮でした。ディズニーワールドで私とピーターは、ほとんどの時間を待機列に費やしました。どのアトラクションも待ち時間が長かったので、列の前後にいる人と話をする以外にすることがありませんでした。何日も、列に並んで、近くの人と立ち話をしました。その時、私は白人の人と話をする際には、話をでっち上げてばかりいました。でっち上げ話をした理由は、白人に対する恐怖心が根底にあったと思うのですが、非常に無礼なことだったと思います。ある男性には、私とピーターは白いロータス車に乗って来たと言ったりしました。別の人には、私たちは大使の息子だと言いました。私がでっち上げ話ばかりしていたので、ピーターは怒っていました。彼は、私に嘘をつくのを止めろと言いました。私は、彼に従いました。それ以降、私も待機列で近くにいる人と嘘のない普通の会話をするようにしました。そうすると不思議なもので、相手もこちらを信用してくれるようになりました。中には、打ち明け話をしてくる人もいました。ある女性は、最近離婚したばかりで、再出発を期していてディズニーランドに癒やしを求めに来たと言っていました。ある男性は、老人ホームにいる祖父を訪ねて犬を撫でた時のことを話してくれました。祖父は認知症が進行していて、「私の犬を叩くな」と叫びながら殴りかかってきたとのことでした。その男性は、祖父の思い通りにさせるべきで、黙って殴られるべきだったかもしれないと言って悩んでいました。
そのように知らない人と親密になって打ち明け話をされても、私はどうしたら良いのかわかりませんでした。私からは、何のアドバイスもできませんでした。しかし、逆に、私には大きな気付きがありました。マルコムXの自伝に書かれていたことを思い出しました。メッカへの旅の話で、白人も黒人と同じように感情を持っていることに気づかされたということが書いてあったのを思い出したのです。私は、ディズニーワールドの待機列で、同じことを悟りました。白人も人間なのです。非白人と変わらないのです。
毎晩、私とピーターは、ディズニーワールドを出てから、車の中で眠りました。車は適当な場所に停めていました。そこには、他にも車の中で夜を過ごす人がたくさんいました。カップルもいましたし、家族連れもいました。中にはドアを開け放した車もありました。私とピーターはドアを閉めていました。窓を開けて寝ていたので、夜中の2時か3時頃に、どこからかひそひそと会話する声が聞こえてきました。その声は、ヤシの実がコツコツとぶつかる音と混じって聞こえてきました。フロリダの心地よい空気のように穏やかに感じられました。♦
以上
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