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もちろん、新しいテクノロジーが生み出されれば、長期的には人類の生活の質を向上させるでしょう。とはいえ、短期的には失業者が増大するという痛みを伴うこともあるでしょうし、正の側面もあれば、負の側面もあるでしょう。こうした議論は、産業革命以降、脈々と続けられてきました。しかし、この半世紀でそれほど議論されることもなくなってしまいました。アメリカでは、1980年以降で一人当たりのGDP(per-capita G.D.P.)はほぼ倍増しました。しかし、世帯所得(household income)の中央値はそこまで大きく増えていないのです。この期間は、IT革命の時期と重なります。つまり、パソコンやインターネットによって莫大な経済的利益が生み出されたが、それによってアメリカの国民全体の生活水準が引き上げられたわけではなく、もっぱら増えたのは上位1%の層の人たちの富だったということなのです。
もちろん、現在では誰もがインターネットを利用できるわけですし、誰もがインターネットのもたらす利便性に浴しています。しかし、不動産価格、大学の授業料、医療費などが、いずれもインフレ率を上回るスピードで上昇しています。1980年には、1人の収入で家族全員を養っている家計が一般的でしたが、それは今では稀なことです。さて、この40年間で、私たちは果たしてどれほどの進歩を遂げたのでしょうか?たしかに、ネットショッピングが普及して、買い物を速く簡単にできるようになりましたし、自宅で映画をネット経由で観るのも便利で楽しいものです。しかし、そうした利便性を享受したことの代償として、多くの人が、自分の家を持つのが難しくなり、奨学金を貰わずに子供を大学に通わせることが困難になり、大病にかかれば直ぐに破産しそうになっています。家計所得の中央値の伸びが、一人当たりのGDPより低くなっているのは、新たなテクノロジーのせいではありません。それは、ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)とミルトン・フリードマン(Milton Friedman)のせいです。また、1981年から2001年までゼネラル・エレクトリック社を率いたジャック・ウェルチ(Jack Welch)や同様に振る舞った多くの企業のCEOや、マッキンゼーのようなコンサルティング会社の経営方針がこの問題をより大きくしたいうのも事実です。私は、貧富の差の拡大をIT革命のせいにしているわけではありません。私が言いたいのは、必ずしもより良いテクノロジーが人々の生活水準を向上させるわけではないということです。そのような主張は、もはや信用できないと言わざるを得ません。
IT革命が世帯収入の中央値を上げなかったという事実は、AI がもたらすであろうメリットを予測する場合に非常に参考になります。A研究者の多くが、AIを労働者の代替えとすることを考えるのではなく、労働者の生産性を向上させることに焦点を当てるべきだと言います。つまり、省力化(automation path)を目指すのではなく、生産増大(augmentation path)を目指すべきだという主張です。それはそれで立派な主張ですが、それだけでは人びとを経済的により豊かにすることはできません。パソコンに搭載されている生産性を改善するソフトウェアは、省力化と生産増大の問題の良い例です。ワープロソフトの普及がタイピストだけではなくタイプライターも駆逐しました。また、表計算ソフトの普及が、会計担当を駆逐し、計算用紙を絶滅させました。このように、パソコンがもたらした個々人の生産性の向上は、人々の生活水準の向上に資することは全く無かったのです。
テクノロジーが生活水準を向上させる唯一の方法は、テクノロジーの恩恵を適切に分配するための経済政策が整っている場合です。過去 40 年間、こうした政策はありませんでした。それが実現しない限り、今後の AI の進歩によって所得の中央値が上昇すると考える理由はありません。AIによって人件費が削減され、企業の利益が増加することは確かですが、それは私たちの生活水準の向上にはまったく寄与しません。
未来は理想郷(utopia)のようになるだろうと期待したいですし、理想郷的な未来に役立つテクノロジーが続々と生み出されるだろうと期待したいものです。しかし、あるテクノロジーが理想郷的な未来に役立つものだからといって、それが現在の私たちにとって役立つとは限りません。理想郷的な未来では、有毒廃棄物を食品に変える機械が存在していて、有毒廃棄物の発生は問題ではなくなっているかもしれません。しかし、今この瞬間に有毒廃棄物が発生したら、全く無害であると主張する人はいないはずです。加速主義者は、有毒廃棄物の増加が有毒廃棄物を食品に変換する装置の開発を促進すると主張するかもしれません。しかし、その主張は、説得力があるものでしょうか?私たちは、テクノロジーの環境への影響を評価をする際に、それが将来に影響を緩和することを仮想して評価することはできません。あくまで、現時点で実際にどれだけ緩和しているかを評価すべきです。同様に、AI を評価する際には、UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム) が導入された未来のことを前提として評価すべきではありません(現時点の影響で評価すべき)。AIを評価するのであれば、資本家と労働者の間に明確に不均衡が存在する現時点での評価をするべきで、その視点で評価すると、AIは資本家に与するばかりで、まったく脅威でしかありません。