さまざまな憶測が飛び交う。真相は藪の中で迷宮入り。
1990年、死因審問を率いていたイワノフはすでに退職していましたが、著書を出しました。それによれば、当時の死因審問チームは事件を合理的に説明することに悪戦苦闘していましたが、地域の高級官僚から調査を中止するよう直接指示されました。その著書の題は「火の玉の謎」でした。その本に書いてあったとおり、イワノフ本人は、ディアトロフらが死んだのはUFOによる熱光線や火の玉が原因だと信じていたようです。イワノフは現地を調査していた時、異常に焦げた跡のある木が何本かあるのに気づいていました。それは、熱光線(UFOによって)が放たれたことを暗示しているように思えました。また、誰かが故意に何らかの目的があって木の幹を焦がしたと推測することも可能でした。クリボニシュチェンコがカメラで撮った写真には閃光や光の線が写り込んでいました。
その頃、調査資料は公開されていましたし、9人が亡くなってから数十年経っていましたが、この遭難はソビエト時代のミステリーの中でも最も有名なものになっていました。関連する本が何十冊も出版されていました。また、ウェブ上にもディアトロフたちの悲劇に関するサイトは沢山あります。9人の死因については沢山の説が存在しています。ロシア検察庁が認識しているだけでも75種類以上あります。2000年に、犠牲者の親戚や友人は、9人の勇敢な探検家の勇気と探求心を讃えることを目的として、「ディアトロフ登山グループ記念財団」を設立しました。その財団の理事長にはユーリー・クンツェビッチが就任しました。彼は12歳の時に、9人の犠牲者の何人かの葬式に出席していました。そして、勉強してUPIで学び、現在はそこで教授をしています。UPIは改編を経て現在ではウラル工科大(USTU)になっています。彼はスポーツクラブにも入っていました。70代半ばとなった今でも、彼はディアトロフ峠へ数人を率いていくことがあります。クンツェビッチが言うには、ディアトロフらの死について、ロシア人の間で最も人気がある説は2つあるということです。1つは、9人は秘密兵器の実験が行われていたエリアに迷い込んでしまったために死んだという説です。もう1つは、9人はハイカーを装って諜報活動をしていたKGB職員で、遭難した地域にいた特殊工作員(おそらくアメリカのスパイ)によって殺されたという説です。
クンツェビッチは、秘密兵器うんぬんの説は筋が通っていると言います。実際、9人の遺族はこの説を支持しています。何らかの不具合によって発射されたミサイルが制御から外れテントに向かったという説はそれなりに筋が通っています。それによって、9人の内の何人かは重傷を負い、やむなく全員がテントを捨てて逃げようとするも、十分な装備も無く過酷な寒さの中でばらばらと力尽きてしまった、あるいは、軍関係者に口封じの為に殺されたという建付けです。ヘルニアが悪化して探検隊から離れざるを得なかったユーリー・ユーディンも9人が死んだのは自然災害が原因ではないと主張していました。亡くなる直前、2013年のことですが、彼は9人は殺害されたのだと主張していました。何者かが銃口を突き付けて9人をテントから連れ出して殺害したのだと推測していました。また、ドゥビニーナだけ舌を切り取られていましたが、それは彼女が9人の中で最も弁が立ったので犯人が口封じで切り取ったのだろうと推定していました。
秘密兵器の実験うんぬんという説を支持する人たちを心強くさせていたのは、遭難現場の付近で閃光や高速度で移動する火球を見たと言う人がいたという事実でした。2008年には、その付近で長さ3フィート(90センチ)の金属片が見つかっていました。それはディアトロフ財団によって保管されていますが、ソ連製の弾道ミサイルの破片です。ソ連軍の秘密兵器実験が為されていたと仮定すると、2人の衣服が放射能汚染されていた件も合理的に説明できます。地方検察局でイワノフの上官であったイェフゲニー・オキシェフは、2013年に新聞社の取材を受けました。その際に、彼が同僚と回収してあった放射能汚染された衣服類を精査しようとした際に、上層部の動きに不自然な点があったと回想しました。彼は上司に書簡を送り、放射能汚染された原因は何かを尋ねてみました。その書簡はすぐに対応され、副検事総長がわざわざ死因審問チームに会いに来ました。その時にオキシェフが感じたのは、当局は軍の兵器実験に関する質問が出るのを嫌がっているようだということでした。また、彼は、9人の死は事故であって事件性は無いと公表するよう命令されました。彼は当時のことを回想して言いました、「犠牲者の親たちがこぞって地方検察局までにやって来ました。何人かは大声で叫んでいましたし、我々をファシスト呼ばわりしました。何で真実を隠すのだと非難されましたよ。しかし、もう捜査は打ち切られたのです。どうしようもなかったんです。」と。
しかし、その説では説明がつかないことがありました。というのは、現場付近には9人以外に誰かが居たという証拠が全く存在しなかったのです。銃火器が使われた形跡も残っていませんでした。現地は雪が積もっていましたから、誰か居れば確実に痕跡が残るはずでした。どうやっても消せないはずです。9人を殺した後で殺人者たちが自分たちの痕跡を消すことは不可能ででした。殺した後で過酷な自然現象で死んだように見えるよう現場を偽装することも不可能でした。どうやっても痕跡が残ってしまうからです。そこは譲って、現場を何とか巧妙に偽装できたのだとしても、偽装後の現場としては不自然な点が多すぎます。死体が方々に散らばっていましたし、ある者の服を切り取って他の者に着せたり、雪の層を深く掘ったり、4人の死体だけ深さ10フィート(3メートル)の雪に埋め、火を起こし、高木に登って枝を折り、高木の幹に皮膚片を付着していましたが、偽装したにしては手が込み過ぎて、要する労力を考えるとあり得ないことです。また、この説ではその地域に秘密兵器が配備されている基地があること、もしくは、制御不能になった弾道ミサイルが向かってきたことが前提となっています。しかし、ソ連崩壊後に情報公開が進んで、多くの機密文書が公開されていて、ディアトロフ財団が熱心に調査を続けたにもかかわらず、そうしたことを裏付ける証拠は何一つとして見つかっていません。
9人の中にKGB工作員がいて、CIAの特殊工作員に殺害されたという説では、探検に出発する直前で探検隊に押し込まれた男、ゾロタリョフに焦点が当たっています。ロシアで出版された本に記されているのですが、ゾロタリョフと他の2人がKGB工作員で、意図的に偽情報を提供するために、CIA特殊工作員をおびき寄せていたという筋立てをしています。放射性汚染された衣類を持っていたのは、それを提供することを餌にしてCIA特殊工作員をおびき寄せるためだったというわけです。CIA特殊工作員は罠であることに気づき、3人を殺した後に残りの者も殺し、過酷な自然環境で死亡したように見えるよう現場を偽装した、そういう筋立てです。ゾロタリョフがKGBと関係があった可能性はゼロではありません。第二次世界大戦での彼の従軍記録を見ると、欠落や不正確な部分がありますし、彼が出発直前に急に加わったのも不自然でした。しかし、実際にKGBと関係があったというのが事実であったとしても、驚くべきことでは無いのです。当時のソ連では、多くの人たちがKGBと関係していました。ほとんどは下層の情報提供者で、ゾロタリョフもそうだったのかもしれません。また、この説の重大な欠点は、CIA特殊工作員がKGB工作員と会うための場所にホラート・シャフイル山(死の山)を指定するはずが無いという点です。それは、この説の信頼性を著しく減じています。
上述の2つの説以外の説も沢山ありますが、ほとんどが自然現象を原因とする説です。雪崩原因説というのもあります。雪崩がテントを襲い、それで3人が重症を負い、9人全員がテントの外へ出て森の中に避難するために向かったという説です。しかし、雪崩が起こったことを示す痕跡は見つかっていないのです。テントの前にスキーのストックが差してあったのですが、その場に残ったままでした。また、捜索が行われた際に明らかになっていたのですが、テントのあった辺りは傾斜が緩く雪崩が発生する可能性はありませんでした。その上、渓流の川床で見つかった3人の遺体は酷い骨折を負っていました。その3人は川床まで誰かに引き摺られたり、担がれたリしなかったことが明らかになっています。というのは、川底はテントから1マイル(1.6キロ)以上離れていますが、その間の斜面の雪面には引き摺ったような跡は一切ありませんでした。残っていたのは、8~9人が歩いたとみられる足跡でした。つまり、全員が自力で歩いてテントを出たが、その後に怪我なり低温で死んだということになります。映画監督で作家でもあるドニー・アイカーによる2013年のベストセラー小説で示唆されているのは、当時は現場付近では強風が吹き荒れており、強風と超低周波音(低音すぎて人間の耳には聴こえない)に晒されて、9人はパニックに陥ってテントを脱出してしまったということです。この本の説は、非常に理にかなっているように思えます。アイカーはロシアで沢山の人を取材し、冬にディアトロフ峠にも行きましました。しかし、彼の説では、9人全員が超低周波音に恐怖を感じたてテントから脱出したことになっていますが、耳で聴きとれない音(超低周波音)に恐怖することなどあるのでしょうか?また、テントを捨てて逃げる際に外套も持たず、靴も履かずにテントの外に出たのはなぜなのでしょう?テントの出入口のフラップから簡単に外に出られるのにテントを切り裂いたのは何故でしょう?
1959年に死因審問が行われた際に、さまざまな仮説が立てられました。しかし、いずれも誰もが納得するようなレベルではありません。ヒーターの不完全燃焼による一酸化炭素中毒が原因とする説、アルコールやマンシ族が干していた幻覚作用のあるキノコを摂取してハイになってテント外に薄着で飛び出したとする説等がありました。神聖な土地に迷い込んだ一行がマンシ族によって殺されたとする説もありました。しかし、検死解剖が為された結果、一酸化炭素中毒説とアルコールとキノコ摂取説は、退けられました。また、捜査の初期に捜索隊が付近に住んでいるマンシ族に聞き取りした時に明らかになっていたのですが、彼らは非常にロシア人に対して好意的で、信頼できる人たちでした。マンシ族は捜索の際には非常に役に立っていました。また、彼らにとってホラート・シャフイル山のあたりは特別な神聖な場所ではないし、それどころか、風が強い不毛で実りの少ない土地だと認識をしていました。
最も面白い説は、9人はイエティ(雪男)に襲われたというものです。ニコライ・ブリニョーリが最後に撮った写真は有名で良く知られています。雪に覆われた森の中を進んでいる黒っぽい人影が写っています。写真では顔は判別できませんが、巨体で威嚇的に見えます。以前、ディスカバリーチャンネルで、「ロシアのイエティ(雪男)特集」という番組が放送されましたが、あれに出ていたような雪男が9人を殺したという突拍子もない説です。実際、9人は亡くなる数時間前に、イエティが出てきたらどうしようなどと冗談を言っていました。また、テントの中にはくだらないパロディのような政治的宣伝のビラも落ちていました。そのビラには、いろいろな記事があり、「第21回大会開催の辞:ハイカーの出生率を高める。」で始まり、「最新科学:ここまで進んだイエティ研究!イエティの存在を証明する証拠発見!オトルテン山近く、ウラル山脈北部に棲息!」という項目もありました。けれども、ブリニョーリの写真は全体的には不鮮明だったものの、写り込んでいたのはイエティではなく探検隊メンバーの1人であることは明確でイエティ説には根拠がありません。また、クリヴォニシチェンコの写真に閃光が写り込んでいたことで、それを根拠にUFOに9人が殺害されたとする説や、秘密兵器によって殺されたという説が生まれていました。しかし、そうしたことはフィルムの巻き上げ時に良く起こる現象でよって、それらの説も全く根拠の無いものでした。