2.第二次世界大戦前はアメリカでも選挙結果に関する賭博は行われていた
実は、特に驚くべきことでもないのですが、アメリカではかつて選挙結果に関する賭博が普通に行われていました。意外に思えることなのですが、かつては選挙関連の報道では、選挙結果に対する賭博についての報道がかなりの割合を占めていました。既に1960年代には、アメリカの多くの新聞社は大統領選の結果に関する賭博関連の報道をしていました。掛け率が日々変動するので、投票日が近くなると、ほぼ毎日それが取り上げられていました。そうした選挙結果に対する賭博のほぼ半分は、ニューヨークで行われていました。2人の経済学者、ポール・ロード(Paul Rhode)とコールマン・ストランプ(Koleman Strumpf)は、選挙結果に関する賭博が一番盛んだったのは1916年ころであったことを発見しました。ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)が大統領選で元最高裁判所判事チャールズ・エヴァンス・ヒューズ(Charles Evans Hughes)を破った頃です。その年のニューヨークで選挙結果に関する賭博に賭けられた金額は、現在の貨幣価値に換算すると2億7千万ドルほどでした。その額は大統領選挙そのものに使われた金額の倍以上でした。また、日によっては、株式市場や債券市場よりも選挙結果に関する賭博に投じられる金額の方が多い日もありました。当時のタイムズ紙に、「大統領選挙の結果に関する賭博で人気の高い方の候補者が、実際の大統領選挙でも常に勝利している。」と記されたこともありました。その選挙の際には、最終盤でウィルソンへの支持が急激に増えたのですが、最終的なオッズは10対8でヒューズ有利となっていました。石油王のエドワード・ドヘニー(Edward Doheny)は、ウィルソンの再選に賭けて50万ドルを稼いだと伝えられています(実際には、ウィルソンが勝利した)。
このような選挙結果に関する賭博は、第二次世界大戦の頃には消滅していたとストランプは言っていました。消滅した時期には、選挙の予想等が科学的に行われるようになり、その信頼度が高まっていました。1936年の大統領選では、ジョージ・ギャラップ(George Gallup)がフランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt)がアルフ・ランドン(Alf Landon)を破って再選を果たすと予想していました。一方、リテラリ・ダイジェスト(Literary Digest)という当時の有力誌は、読者調査に基づいて予測をしたのですが、完全に予測を外してしまいました(ランドンが勝利すると予測した)。その時の選挙結果は、賭博の際に人気を集めていたルーズベルトが、実際の選挙でも勝利しました。読者調査やアンケートの結果よりも、賭博の際の人気度の方が実際の結果に近かったのでした。しかし、多くのアメリカ人は選挙結果を賭博の対象とすることに否定的でした。そもそも賭博自体に否定的でした。それで、それ以降の選挙では、選挙結果を予測する際の手段として世論調査がしばしば行われるようになりました。スポーツ賭博への取り締まりが強化されたことと、1936年にアメリカ商品取引法(Commodity Exchange Act:先物取引を規制する法律)が施行されたことで、選挙結果に対する賭博は表立って行われることは無くなりました。
アメリカ以外では、選挙結果に関する賭博が合法である国もたくさんあります。2010年からオーストラリアの国会議員を務める経済学者のアンドリュー・リー(Andrew Leigh)は、「私は選挙予測をする際には、いつも世論調査よりも賭博のベッティング状況を参考にするようにしています。」と言いました。しかし、アメリカでは1993年にアイオワ大学が小規模の選挙結果に対する賭博の実験を始めるまで、それが合法的に行われることはありませんでした。現在では、プレディクトイット(PredictIt)は非常に人気を博しています。また、プレディクトイットの賭博の際のベッティング状況が、世論調査結果よりも正確に選挙結果を示すことも明らかになりつつあります。しかしながら、多くのジャーナリストたちが、まだプレディクトイットに対して懐疑的な目を向けているようです。私の知り合いのメディアの政治部に勤めている記者は、「選挙結果に対する賭博のベッティング状況を調べている記者は1人もいない。」と言っていました。また、他の記者たちも同じようなことを言っていました。ワシントンポスト紙の元政治部記者で、現在は新興企業のセマフォー(Semafor)で記事を書いているデビッド・ワイゲル(David Weigel)は言いました、「選挙結果に対する賭博では、賭博参加者は雰囲気に大きく左右されているように見えます。」と。
ミシガン大学の経済学者であるジャスティン・ウォルファース(Justin Wolfers)は、オーストラリアで大学生だった頃に競馬のノミ屋をすることで生計を立てていたのですが、報道機関が好んで世論調査をするのは、結果が絶妙に変動するので大衆の関心を引きつけられると考えているからであると言っていました。ウォルファースと同様に選挙結果に対する賭博に賛成している者たちは、ファイブサーティーエイト(FiveThirtyEight:世論調査、政治、経済、スポーツに関する投票集計サイト)は、苦々しいことであるが非常に影響力があると指摘していました。ファイブサーティーエイトは、ネイト・シルバー(Nate Silver)なる統計学者が作成したサイトです。シルバーは、2008年の大統領選挙の際に世論調査に基づいて予測した結果、49州の勝敗を的中させました。それで、予測の天才として知られることとなりました。シルバーの著書「The Signal and the Noise(邦題:シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」)」の中で、ウォルファースとウォルファースの弟子であるデビッド・ロスチャイルド(David Rothschild)と会ったことに言及しています。ロスチャイルドは、2008年の大統領選に関連して、イントレード(Intrade:前述のアイルランドの予測を売買する取引所、2013年に閉鎖された)のベッティング状況とシルバーの予想とを比較したそうです。イントレードのデータから種々のノイズを排除して調整したところ、世論調査でサンプリングの片寄りを修正するのと同じことなのですが、イントレードの方がより正確な予測をしていたそうです。ウォルファースは、シルバーに聞いたそうです。選挙結果に対する賭博のベッティング状況の方が選挙結果を正確に予測できるのに、なぜわざわざファイブサーティーエイトのようなサイトを作ったのかということを。その返答はシルバーの著書に記されているのですが、「知的好奇心をそそるから」であり、「私のブログのトラフィックを増やすのに役立つから」と記されていました。
シルバーはその著書の中で「私は群衆の知恵には懐疑的です」と記しています。その主たる理由は、群衆の知恵が効率的に正確な予測をする際には、個々人が独自に思索する必要があると考えられているのですが、賭博に参加する者たちは常に情報を得ておりコミュニケーションの取っているからだそうです。実際、スポーツ賭博ではそうしたことが起こっています。賭博でたくさんの賭け金が集まった方が勝たないことも多く、オッズを決める胴元ばかりが儲かっていて、群衆の知恵が機能していないことは周知の事実です。(しかし、実際には多くの研究によって明らかになったのですが、NFLの勝敗予測では、スポーツ賭博のベッティング状況は非常に正確なことが明らかになっていて、掛け率を決めるハンデ師の99%よりも優れています。)ウォルファースは言いました、「多くの人が自分だけは勝てるという過剰な自信を持っていてサッカー賭博をやっています。ですから、彼らはどちらのチームへのベットが多いとかいうことは気にかけていないのです。ですから、個々人が独自に予測していると言えますし、群衆の知恵が働いている状況です。選挙結果の賭博でも同じことです。」と。ウォルファースが主張しているのは、シルバーのような専門知識を持っていることで生計を立てている人々にとって、群衆の知恵を認めることや、専門知識をもってしても未来を正確に予測できないと認めることは非常に難しいということです。