②数々の研究で明らかになったeメールの弊害
他の人と交流することは、人間にとってとても重要なことです。職場においても、それは重要なことです。心理学者のマシュー・リーバーマンが著書 “Social: Why Our Brains Are Wired to Connect(邦題:21世紀の脳科学 人生を豊かにする3つの「脳力」)”の中で説明しているのですが、人間の脳に与えられた他の人と交流する能力は、痛覚を感じる神経と繋がっています。ですので、自分の身近な人が亡くなった時には強い心の痛みを感じますし、また、他の人から長い間孤立した時には、酷い寂しさで痛みを感じるのです。「人間は地球上で最も繁栄した種となったが、それには人間の他の者と繋がる能力が重要な役割を果たしてきた。」とリーバーマンはその著書の中に記しています。
他者と交流することは非常に重要なことですが、それが阻害された時には非常に苦痛を感じることとなります。食欲があるにもかかわらず食べ物が何も無い時に非常に空腹を覚えるのと同じようなことですが、人間の他者と繋がっていたいという本能は満たされない時には非常に不安な気持ちになります。そうしたことは職場でも起こり得ることで、膨大な数のeメールをやり取りすることが多すぎると、他者との交流が不十分な状態となり弊害としてストレスを感じることとなります。実際、仕事で専門的なことを何人かとeメールで熱心にやり取りしていると、そのやり取りに取り残されそうに感じることがあります。受信した1つメールに対処して返信したと思ったら、その間に3つのメールが届いていることがあります。また、仕事が終わって夜中に家でくつろいでいても、週末でも、長期休暇中でも、eメールの受信トレイにどんどんメールが溜っていくのですが、それが気にならない人などいないでしょう。
食事を抜いてお腹がすいている時には、その日の遅い時間になれば食事が摂れるのだから飢えを恐れる必要など無いと分かっていても、強い空腹感が和らぐことはありません。受信トレイが満杯になっていることで他者と交流することが少なくなると、人間の脳は他者との交流不足でストレスを感じます。空腹時と同様に、メールの処理に時間がかかるものの他者との関係に全く問題が発生したわけでは無いと分かっていても、交流不足からのストレスが和らぐことはないのです。ある実験では、eメールやデジタルツールが人間の昔からの他者との交流を阻害することが証明されました。その実験では、eメール等によって心理的なストレスがもたらされることが明らかになりました。被験者たちは室内でワードパズルを解かされました。その際に被験者はワイヤレスの血圧計を付けられていました。被験者はしばらくワードパズルを解いていましたが、3分後に実験主催者が部屋に入ってきました。それで、スマホがワイヤレス血圧計に干渉するからと言って、被験者のスマホをテーブルに置かせました。そのテーブルは1.2メートルほど被験者から離れたところにありました。その距離だとスマホの着信音等の音が聴こえると同時に手にすることもできません。それから3分間ワードパズルを解かせた後、実験主催者は被験者のスマホにこっそり電話しました。それで、被験者は自分のスマホが鳴っているのを聴きながらワードパズルを解いている状態になったのですが、事前に実験主催者からスマホはいかなる理由があっても手にしてはいけないと言われていたので、スマホを取って着信に対応することは出来ませんでした。
実験の間はワイヤレス血圧計によって被験者の血圧と心拍数を測定していたので、実験主催者は被験者がスマホが鳴ったことの影響をつぶさに観察できました。実験結果は予測していたとおりでした。スマホの着信音が鳴っている間、被験者のストレスと不安感は極度に高まりました。同様に、被験者に聞き取りした結果でも、ストレスは上昇し、快適度は低下していました。ワードパズルを解く能力も、スマホの呼び出し音が鳴っている間は、低下していました。
実際のところ、この実験で被験者はスマホの着信に出なかったからといって不利益を被る可能性などありませんでした。被験者はそのことを認識していたはずです。実験ではなく現実の世界でも、電話に出なくて危機に陥ることなどほとんど無いことですし、その時取り掛かっていることの方が重要であることが多いでしょう。この実験でも、多くの被験者は実験室に入るまでにスマホをサイレントモードに切り替えていました(実験主催者は秘密裏にサイレントモードをオフにしました)。そうしていた被験者は、実験中に電話の着信やメッセージの受信があっても対応しないと決めていたことになります。しかし、そのような理性的に行動していた被験者でも、体に深く染み込んでしまった考え、つまり、誰かからの連絡を拒むことは悲惨な結果をもたらす可能性があるという考えから、ストレスを感じずにはいられなかったのです。この実験の被験者は、理性的に考えれば実験中には何も心配するようなことは起こらないと分かっていたのに、不安を感じてストレスを感じることになっていたのです。
eメールの受信トレイに沢山メールが溜まると、他者との交流が損なわれる可能性があるのではないかと考えてストレスを感じます。メールを1件返さなくたって他者との繋がりに重大な問題を引き起こすことは無いと思っていても、やはりストレスを感じてしまうものです。それはどうしようもないことなので、アリアナ・ハフィントン(ハフィントンポストのの共同創業者)が経営するThrive Gloval(以下、スライブ・グローバル社)では、休暇中(受信メールが溜っているのが分かると一番嫌な時です)の従業員をそうしたストレスから開放するために、ある解決策を導入しました。Thrive Awayという自社開発のアプリを導入しました。それを使うと、スライブ・グローバル社の従業員が休暇中の従業員にeメールを送信すると、送信者には相手が不在であるという通知が届きます。また、そのメールは自動的に削除されます。単純な方法ですが、このアプリのおかげで休暇を取る者はじっくりくつろげるようになりました。受信トレイに受信したメールが溜っているの認識してしまうと、それらのメールが重要で無かったとしても、ストレスを感じてしまい、せっかくの休暇中でも快適に過ごせなくなってしまいます。そうした状況を改善する唯一の方法は、eメールを一切受け付けないことです。ハフィントンは次のように述べています、「そのアプリで重要なのは、休暇中の従業員がメールを一切受信しなくて済むということと、休暇が終わったら受信トレイにメールが沢山溜っているかもしれないという心配をしなくてよいということです。そうした心配があると、せっかくの休み気分も台無しですからね。」と。
Thrive Awayのようなアプリを導入することで、休暇中にeメールが送られることによって感じるストレスは緩和できるかもしれません。しかし、休暇でない時はどう対処したら良いのでしょうか?休暇が取れるのは年間で2週間くらいのことで、そうでない期間が50週ほどになります。絶え間なく思い付いた時にeメールを送信するという働き方を維持している限り、ストレスが溜まる状況からは抜け出せないでしょう。そもそも、eメールのやり取りが人間にストレスをもたらしているのは何故なのでしょうか?多くの理由があります。まず、eメールのやり取りはやらなければならない仕事をどんどん増やすということがあります。それで収拾がつかなくなって作業は全く捗らなくなります。また、常時eメールが届くことによって、気が散って作業効率が落ちるということもあります。また、書き言葉というものは、コミュニケーションに向いていないということが判明しています。書き言葉では、微妙なニュアンスは伝わりませんし、皮肉なども伝わりませんし、誤解が生じて余計にイライラしたり混乱してしまいます。それで、書き言葉では重要な伝えるべき本質が伝わらず抜け漏れてしまうのです。現代は仕事で膨大な量のeメールがやり取りされていますが、大昔からの他者との交流方法と異なって、非常に効率が悪いのです。それによって、多くの人が悲惨な状況に陥っています。人間は他者と交流する際に誤った手法を取り入れてしまったと言えるのではないでしょうか。