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ウェロックの本を注意深く読んで思ったのは、原子力発電所の安全性への取組がきちんと行われて、懸念が根本的に払拭されるようになって欲しいということでした。今日、原子力発電所で破滅的な事故が起こる可能性はどの程度あるのでしょうか?ウェロックは、あえてそれに言及するのを避けていたようです。というのは、それは技術的に難しかったからです。また、彼は連邦政府関連組織に雇われていたわけですから、それをするのは憚られたということもあるのだと推測します。私がウェロックと会って話したのは、いつも彼の職場でした。必ず原子力規制委員会(NRC)の広報担当者が1人同席していました。その人物は、「ウェロックは歴史的な事柄については答えられるが、現在の委員会の方針については答えられない。」と言っていました。ウェロックの本によると、世界中で稼働中の原子炉の運転経験は、原子炉・年(reactor-years)という単位で示されるのですが、1万4,000原子炉・年以上となっています。炉心損傷事故は、過去に5回発生しています。スリーマイル島とチェルノブイリと福島原発の3基で発生しています。この数字を紐解いて分析してみたのですが、6〜7年に1回は世界のどこかで、完全または部分的なメルトダウンが発生する可能性があると考えるべきです。もし、この推定が妥当であるとすれば、ちなみにウェロックはこの推定に異議を唱えませんでしたが、もうそろそろ世界のどこかの原子力発電所で重大な事故が発生してもおかしくないと思います。ちょっと遅れが出ているようです。また、2016年の”Bulletin of the Atomic Scientists”という原子力業界の会報に、別の研究の結果が掲載されていたのですが、今後10年間にメルトダウンが起こる確率は約70%となっていました。
1982年に、私は本誌で、スリーマイル島に続いて他の原発で同様の大事故が発生する危険性についての記事を書きました。その時にも、同じような計算をした記憶があります。それで、次の原発の重大事故は3年後くらいに起こる確率が高いという予測を出しました。チェルノブイリ原発事故は、その4年後の1986年に発生しました。ほぼ予測通りだったと言えます。そう考えると、福島原発の事故は、予想していたよりも発生が少し遅れたと言えます。しかし、福島原発では、3つの原子炉でメルトダウンが起こったわけですから、先程の予測が決して大きく外れたわけではないと言うこともできます。次のメルトダウンは、同じように計算して予測してみれば分かるのですが、いつ起こっても不思議ではない状況です。次にメルトダウンするのは、カリフォルニア州のディアブロ・キャニオン(Diablo Canyon)原発かもしれませんし、あるいは、フランスの美しい田園地帯で稼働しているたくさんの原子炉の内の1つかもしれません。どこの原発がということは誰にも全く予測できません。1986年にNBCのニュースで私は、チェルノブイリ事故についてインタビューされました。ニュースキャスターのトム・ブロコウ(Tom Brokaw)から、「アメリカのチェルノブイリになりそうな原発はどこか?」と聞かれたのです。私は、オハイオ州トレド近郊のデービス・ベッセ原発だと答えました。理由は、そこでずさんなオペレーションが行われているという報告書をいくつも目にしていたからです。デービス・ベッセ原発でメルトダウンは起こりませんでした。しかし、その翌日、私の発言を受けて、その原発を所有する電力会社が大混乱に陥ってしまいました。しかし、2002年に、その原発の原子炉容器の上部に未検出の腐食によってグレープフルーツ大の穴が開いており、あと1/4インチ(0.6センチ)で大事故が引き起こされるところだったことが明らかになりました。この原発は何年も停止せざるを得ず、修理には何百万ドルもかかりました。それを稼働させていた企業は、原子力規制史上最大の罰金を支払いました。膨大な賠償金も支払いました。ウェロックは、デービス・ベッセ原発で発覚した事案を「アメリカの商業用原子炉の歴史の中で、最も潜在的に危険な出来事の1つ」と表現しました。
スリーマイル島原発の事故後、ダートマス大学の学長で数学者のジョン・ケメニーを委員長とする大統領諮問委員会が、痛烈なレポートを発表しました。そのレポートで指摘されていたのは、スリーマイル原発では、原子炉の冷却システムのメンテナンスが、安全な停止状態ではなく、稼働中に行われていたということでした。それは、非常に危険なことで、驚愕すべき事実でした。また、メンテナンス作業を行ったのは、原子炉の保守業務の基本についてまったく講習を受けていない高卒の素人でした。しかも、そうした素人がそこではオペレーションの責任者だったのです。とても問題があると思うのですが、原子力規制委委員会(NRC)は、原子力発電所のオペレーションのためにエンジニアを配置することを要求していないのです。 同委員会は、いろいろと改善提案を出しました。その中には、原子炉を都市から離れた場所に設置すべきであるという勧告もありました。元々、そうするべきだったのかもしれません。原子炉設置規制の責任者になったマーリーは、この勧告を真摯に受け止めていました。1990年代初めに、彼は原発の設置場所に関する新しい規則を作るようスタッフに指示したそうです。原子力規制委員会(NRC)と各国の原子力規制当局とは連携する必要がありましたので、マーリーはヨーロッパの原子力規制当局とも相談し、見解を聞きました。マーリーは言いました、「欧州の人たちは、猛烈に反対したよ!」と。ヨーロッパは人口密度が高いので、原子炉を遠隔地にしか設置させないという規則を作るのは難しかったのです。また、そんな規制を作れば、既存の都市近郊にある原子力発電所の安全性に疑問符がつくことになってしまいます。それで、その規制は制定されませんでした。その時、マーリーは、原子力規制委員会(NRC)のイワン・セリン(Ivan Selin)議長から電話をもらったそうです。マーリーはその件について私に言いました、「議長から、原子炉を遠隔地に設置すべきという規制を作るなと指示されました。もっとも、この話は、トム・ウェロックにはしていませんがね。」と。