人間のナビゲーション能力と動物のナビゲーション能力の違い
言うまでもなく、人間にはそのような能力はありません。人間の被験者に目隠しをして、バスに乗せ、バスは目的地を悟らせないために非効率なルートを通って、どこか野外(何の目印もない)で放り出し、目隠しを外して、スタート地点に戻るように指示します。すると、被験者はどちらに進んでよいか分からず途方にくれます。別の実験では、バスを使わず目隠しもしません。被験者を何の目印もない野原を横切って、目的地まで歩くよう指示します。被験者が歩き始めた直後に目的地を隠すと、その8秒後にはコースから外れてしまいます。
それらの実験では、人間が道に迷ってしまいますが、人間には生まれつき経路を探索する能力が備わっていないというわけではありません。人間も目印となるものがあれば、それを頼りに目的地に向かうことができます。また、音や他の手掛かりとなるものがあれば、その位置を参考にして目的地まで行くことが出来ます。(人間はカエルと同様に音を認識して実に上手く活用していて、無意識のうちに左右の耳の音の大きさの違い、音の届く時間差を認識しています)。また、人間には空間認知をささえる地図として機能し、方向を維持するのに役立つ特殊な神経細胞が多数あります。その1つに頭部の向きに反応して発火する「頭部方向細胞」があります。それは移動方向を指し示します(方角を認識しているのではなく、視界に入った風景を認識して正しい進路を示している考えられている)。また、「場所細胞」もあります。それは慣れ親しんだ場所にいるときに発火して、自分の位置を記憶します。また、「格子細胞」もあります。それは、どんな環境でも周期的に活動しつづけて、場所細胞が記憶した位置と位置をつなげることで、ランドマークが何も無いところでも方向と距離を認識します。また、「境界細胞」もあります。それは、壁際などの環境の端にいるときや視野内に障害物がある時に発火します。
それらの細胞のおかげで人間は生活できているのです。それでも、人間のナビゲーション能力は、イモリと比べたら貧弱なものです。それでも、人間は時として非常に巧みに正しい進路を見つけ出すことがあります。生まれつき正しい進路を見つける能力があるイセエビと違って、人間はその方法を学習する必要があります。あなたが、視差(天文学で天体の一点を2か所から見たときの方向の差)から距離を推定することが出来なかったり、天空の星座から方角を特定出来ないような人であれば、あなたのナビゲーション能力は非常に低いと言わざるを得ません。しかし、現在と違って、大昔にはそうした基本的な経路探索能力が非常に多くの人に備わっていました。理由は、その能力が生き延びるためには非常に重要であったからです。その能力が無かったら、狩猟採集に出たら帰ってくることが出来ません。
人間が非常に優れたナビゲーション能力を発揮した事例はいくつもあります。英国人ジャーナリスのマイケルボンドが著書「From Here to There: The Art and Science of Finding and Losing Our Way」に記していますが、古代ポリネシア人の才気ある航海術には驚かされます。彼らは5千年も前に太平洋の広大なエリアにカヌーで漕ぎ出たのです。現在、そのエリアはポリネシアン・トライアングルと呼ばれていますが、非常に広大なニュージーランド、ハワイ、ラパヌイ(イースター島)に囲まれた水域で、そこには数千の小島が点在しています。それらの島の1つから別の島へ渡るためのルートは、長い時には4千キロにもなります。彼らは航海する際に、波の形、風の方向、雲の形や色、湧昇(海水が深層から表層に湧き上がる現象)、鳥類の行動、植物の匂い、太陽や月や星の動きなどを見ていました。もし、注意散漫で分析を誤ってしまえば、悲惨なことになりました。南太平洋の広大な解放水域では、偶然にして島に行き当たる確率はほぼゼロだからです。当然のことながら、古代ポリネシア人は優れたナビゲーション能力を持つ者を崇め、新しい世代にその能力を伝承していきました。訓練は幼少時から始められました。
古代ポリネシア人以外にも、優れたナビゲーション能力を発揮した事例はいくらでもあります。どの時代にも、どこにでもありました。極北の多くの先住民は、普通の人が見ると全く変化の無い地形の上でも優れたナビゲーション能力を発揮しています。例えば、イヌイットは陸地を大きなランドマーク(山とか)を頼りに進み、波のパターンや入り江の鳥の鳴き声に注意を払うことで、沿岸水域を濃い霧の中でも航行することができます。アメリカ南西部とオーストラリア中部も同様に殺風景な景色が広がっていますが、原住民は迷わず移動できます。それが出来るのは、言葉で必要な地理的情報を代々伝承してきたことが一因です。彼らが使っている地名は特徴的で、地名の中に詳細な地理情報が含まれているのです。紀元前4世紀に、ギリシャ人は北極圏に向かいました。2世紀に、ローマ人は中国に到着しました。9世紀にインドネシア人はマダガスカルに上陸しました。人類は時代とともに、地理的な観察眼と記憶力を補うべく、たくさんのツールを考案してきました。アストロラーベ(古代ギリシャで発明された天体観測器具)、六分儀、羅針盤、地図、海図、GPSなどです。
しかし、そうしたツールが非常に優れたものであるがゆえに、人間のナビゲーション能力は悪化しました。過去20年間だけを見ても、GPS対応の地図が広く普及したため、人間が考えて進む方向を決める必要はほとんどなくなりました。しかし、その技術が登場するずっと前から、他の要因によっ既に経路探索の能力は劣化していました。影響が大きかったのは、都市化です。人間は、30万年間の歴史の中のほとんどで荒野のようなところに住んでいました。しかし、人間が都市に住むようになったことで、これまでと異なった形でナビゲーション能力を発揮することが必要になりました。幸いなことに、都市にはナビゲーション能力の助けとなるものが沢山あります。それは、分かりやすい目印となるランドマーク、文字の書かれた看板、公共交通機関、タクシーの運転手、行きかう人の群れなどです。また、そうした人工的なナビゲーション能力に有用なものが増えた一方で、かつて有用であった自然の特質が活用できないことも多くなっています。かつては河川は重要な目印でしたが、現在では地下の暗渠を流れており目印にはなりません。また、高い建物が増えたことにより、視界に入る空が狭くなったので、太陽の動きも認識しづらくなっています。また、米国人の99%は光害があるところに住んでいますが、そういった場所では、かつては非常に有用であった夜空に見える星の数は多くありません。
私たちの住む環境が変化しましたが、加えて、社会規範も大きく変わりました。このことの方が人間のナビゲーション能力に大きな影響を与えているかもれません。沢山の研究によって明らかになっていますが、子供の頃に外を走り回ることが多ければ多いほど、方向感覚が鋭くなります。ボンドが指摘しているのですが、子供たちが1人で歩き回っても良いと両親から許可されている範囲は、この2~3世代で劇的に狭くなりました。1971年の英国では、小学生の94%が両親から学校への行き帰りの範囲の外の場所へ1人で出かけることを許されていました。しかし、2010年には、その割合は7%に低下しました。
そうした要因が人間のナビゲーション能力に悪影響を及ぼしています。いつも歩いたり自転車に乗ったりしている子供たちが描いた近所の地図と比べると、どこへでも車に乗って移動している子供たちが描いた地図は嘆かわしいほど貧弱です。また、GPSに大きく依存している大人の空間認識能力は、他の人より大きく劣っています。人間のナビゲーション能力がどんどん低下していくのを放置していると、どんな代償を払うことになるかは分かっていません。ボンドは、研究の範囲を広げていて、現在では、経路検索能力の低下とアルツハイマー病との関係について研究しています。このように、人間以外の動物種について研究したり、他の分野の研究をすることで、幼少期にどんな技能を習得するのが重要なのかということが明らかになっていくでしょう。参考になるのは、一年中ゴルフコースや公園に暮らしているカナダガンの群れの例です。そのカナダガンが渡りをしなくなった理由は、おそらく、その群れのどこかの世代で何らかの理由で群れ全体で渡りをしながら初めて渡りをする幼鳥に技能を伝承するということが途切れたことにあると思われます。それで、経路を見つけて遠くまで飛ぶという技能を代々伝えていくことが出来なかったのだと思われます。