ここまで進んだ!四肢再生の研究!将来、切断されてしまった手足の再生が可能になる!

2.生体電気信号の研究

 レヴィンは1969年にモスクワで生まれました。子供の頃、彼は昆虫を観察したり、電気製品の部品を調べたりするのが好きでした。ある日、彼は喘息の発作を起こしたのですが、彼の気を紛らわせるために父親がテレビの裏を開けて中の部品などを見えるようにしてくれました。テレビの中身をじっと見て驚いたレヴィンは、送られてきた電波を画像に変換する仕組みを知りたいと思いました。また、7歳から本格的に昆虫を採集するようになり、同時に物理学や天文学の本を夢中になって読むようになりました。彼は子供の頃を回想して、テレビ等の電子部品をいじくりまわすのと同じくらい卵から毛虫が生まれて変体してさなぎになり蝶になるのを観察するのも好きだったと言います。彼は、彼はラジオを分解したり組み立てなおしたりすることで電子部品についても詳しくなりました。

 レヴィンは8歳か9歳の頃には、父親の助けを借りて、サイバネティックス(人工頭脳学or制御工学)に関する本を読み始めました。サイバネティックスとは、コンピューティング(情報理論)の大家であるノーバート・ウィーナーが1940年代後半が提唱した通信工学と制御工学を融合し、生理学、機械工学、システム工学を統一的に扱うことを意図する学問のことです。いわゆる制御システムなどを研究します。サーモスタットなどの制御システムでは、自律的に制御が行われます。つまり、センサーが室温の変化を検出すると適温になるまでヒーターかクーラーを稼働させますが、それは自動的に行われます。そのような自律的な制御が行われている際、センサーからヒーターかクーラーを稼働させるべき指令が出されています。制御システムでは、システム内で指令が行き交うことによって自動的に制御が為されます。制御システムでは、指令によって驚くほど複雑なタスクも制御することができます。自動車を自動運転モードにして速度を維持することも、動物の代謝を調節することもできます。指令が各部位間を行き来して全体が上手く機能しているので、生きている生物には制御システムが組み込まれているようであるという人がいますが、確かにそうです。

 レヴィンの両親はソビエト連邦で反ユダヤ主義に直面し、さまざまな苦労をしてきました。それで、1978年に、彼が9歳の時、ユダヤ人用のビザを取得して、家族でマサチューセッツ州リンに移住しました。その途上では、イタリアで難民キャンプに3か月滞在しました。レヴィンの父親はソビエトで気象予報用のコンピューターを開発していましたが、移住してからは、Compugraphic社という出版社に就職しました。彼は、会社で使われなくなった古い機器類を自宅に持ち帰りました。フォートラン(初期のプログラミング言語)で駆動する白黒のモニターを備えた古いコンピューターなどもありました。レヴィンが両親にパックマン(ゲーム)をやりたいと言った時、父親がレヴィンに言ったのは、ゲームがしたかったら自分でプログラムを書いてゲームを作れということでした。

 レヴィンはプログラムを書いてゲームを作ることに成功しましたが、その頃には、彼の興味はゲームをすることからプログラミングに移りました。また、彼は自分の部屋の中に粗末な生物学研究所を作って遊んでいました。彼は薬品などを注文した際に、届け先は「聖アウグスティヌス研究所」という名前をでっち上げて、そこに送るよう指定していました。彼は、そこで行った実験で、豆が発芽して成長して茎を伸ばす時に磁場がどう影響しているかを調べたりしました。

 1986年、レヴィンが17歳の時、彼は父親と一緒に万博を見にバンクーバーへ行きました。バンクーバーの古書店で、整形外科医ロバート・O・ベッカーがサンショウウオや他の動物に対して行った実験について説明した「生体電気信号:電磁波と生命の泉」という本を見つけました。その本の中に記されていた実験は、生体電気信号がサンショウウオなどが成長する際や手足が再生される際に果たす役割を調べることが目的でした。(サンショウウオは切断された手足や尾を再生することができます。足を付け根から切り取って、それを尾の有る部分に移植すると、尾は足の形に変わっていきます。)その本の内容は当時の彼にとって非常に興味深いものでしたので、ベッカーの他の著書も読んで、何世紀も前から生体電気信号は医学的見地から注目を集めていたことを知りました。ローマ皇帝ティベリウスの元奴隷であるアンテロースは、海辺で魚(シビレエイ)を踏んで痛風の痛みが和らぐことを発見しました。17世紀のヨーロッパでは、電気療法が勃起不全や他の病気の治療で行われていました。19世紀には、イタリアの内科医ルイージ・ガルヴァーニは、生物の体内で電気が発生すると主張しました。彼がカエルの解剖をする際に、切断用と固定用の2つのメスをカエルの足に差し入れると痙攣しれいるのを認識し、カエルの足の中に「動物電気」が発生していると主張しました。この現象、生体内で化学的作用によって電流が発生する現象は「ガルヴァーニ電気(もしくは、ガルヴァーニズム)」と呼ばれています。メアリー・シェリーが書いた小説「フランケンシュタイン」では、死体を縫い合わせたものに電気をかけて生き返らせていますが、これはカルヴァ―ニズムがモチーフになっています。

 20世紀になると、生物電気信号に関する研究は盛んになりました。1909年に、電流を水槽の水の中に流し続けると、サンショウウオの幼生がより速く成体になることが発見されました。続く数十年で、多くの研究者が再生と傷の修復に関与している生体電気信号のパターンに関する研究を続けました。そうした中で、細胞の生命維持のためには電気が不可欠であることが判明しました。細胞膜には、イオンチャネルと呼ばれる小さな弁がちりばめられています。イオンチャネルは、イオンと呼​​ばれる電荷を帯びた原子を流入および流出させることにより、細胞内部は負に帯電した状態に維持し、細胞外部は正に帯電した状態を維持します。一部のイオンチャネルは、外部の電圧に反応して開いたり閉じたりし、電気信号に反応して細胞の行動を変更させます。すると、さらに電圧が変化し電気信号が変わり、反応が繰り返されます(フィードバックループが作られる)。生体電気信号を使って細胞間で情報がやり取りされ、細胞間には生体電子信号を使って膨大で複雑な情報をやり取りするネットワークが形成されます。それによって、遺伝情報の転写、筋肉の収縮、ホルモンの放出の制御が為されています。多くの医薬品はイオンチャネルに影響を及ぼすことによって効果を出しています。不整脈やてんかんや慢性疼痛の治療薬などが該当します。

 レヴィンは1988年にタフツ大学に入学した時、コンピューターサイエンス専攻に進むことに決めました。そうすれば、人工知能の研究ができると思ったからです。しかし、彼はまた、生物学にも興味がありました。生物を研究すると、まさしく小さなロボットのようでしたので、それを研究することはコンピューティングに取り組む際に役立つように思えました。また、彼は単細胞のアメーバにも記憶する能力があることに興味を持ちました。というわけで、彼は生物学も同時に専攻しようと思いました。

 レヴィンは研究者に電話をかけたり、生体電気信号に関する資料は何でも読んでいました。彼は自分が目を通した資料の一覧表をタフツ大学生物学の教授であるスーザン・エルンストに見せまいた。彼女はその多さに驚きました。しかし、彼女はレヴィンを自分の研究室に受け入れることは出来ないと言いました。というのはそんな余裕が無かったからです。しかし、翌日になって、彼女は気が変わりました。研究意欲の強い学生を拒むことは教育者がすべきことではないと思ったからです。彼女は彼に電話しました。話し合って、彼はウニの胚を使った電磁場の影響を研究することになりました。その研究は取り組む前から非常に困難を極めるだろうと予測されていました。

 レヴィンはエルンストの研究室で何の遠慮もせず研究に集中して取り組みました。彼は、他の研究室から器具や装置を借りたりしましたが、人手も借りていました。ですから、エルンスト(既に引退していますが)は、知らない学生が彼女の顕微鏡の使っているのを度々目にしました。それは彼の研究を手伝っている他の研究室の学生たちでした。彼は学部生でしたが、父親と共同で小さなソフトウェア開発会社を経営していました。また、エルンストと共同で2つの論文を発表しましたが、いずれも彼が筆頭著者でした。彼は1996年にハーバード医科大学で博士号を取得しました。生物が左と右を認識する仕組みを突きとめた画期的な研究が認められてのことでした。彼の論文アドバイザーを務めた遺伝学者クリフォード・タビンは彼の研究を称賛しました。タビンは当時のことを回想して言いました、「彼の研究はこれまでの常識を打ち破る画期的なものでした。また、彼の研究は生物学の根幹を為す重要なものでした。全く新しい着眼点から為された研究で、生物学の常識を変えてしまうようなものでした。」と。