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1933年にシカゴで開催された万国博覧会では、「アメリカン・チャンバー・オブ・ホラーズ(恐怖の部屋)」と呼ばれる展示があった。 ストロベリー・ブレッド・スプレッド(Strawberry Bred-Spred)なる商品は、イチゴジャムの瓶詰に見えたが、中身はペクチン、赤色着色料、干し草の種子(hayseeds)だった。黄色いセロファンで包装された麺は、卵麵のように見えたが、中身は無色透明のセロファンで包装されたものと全く同じだった。瓶入りのバニラ・エキス(vanilla extract)は非常に高価だが、メーカーの悪だくみによって瓶が異様に厚くなっており、見た目と異なり、内容量は僅かだった。世界大恐慌(The Great Depression)の影響が色濃かったのだ。多くのアメリカ人が疲弊していたが、多くの食料品メーカーも生き延びるために必死だった。しかし、1906年に連邦純正食品・薬品法(Pure Food and Drugs Act)の成立後に誕生した食品医薬品局(FDA)には、まだ大きな権限は無かった。前述のジャム等が回収されることはなかった。危険な薬でさえ回収されなかった。ストロベリー・ブレッド・スプレッドのような製品を回収する権限はまだなかった。そうした背景があったので、万博で「恐怖の部屋」展示が作られたのだ。その展示は、全国を巡回し、食料品の表示の不正の認知度を高めた。
アメリカでは、商取引に関して、大衆が衝撃的な事実を知るようになると新たな規制が制定される。1905年、アプトン・シンクレア(Upton Sinclair)が著書「ジャングル(The Jungle)」を発表した。食肉加工業の杜撰さを指摘していた。読者は、ソーセージにネズミの糞やおがくずが混じっている可能性があることを認識した(この本のおかげで、連邦純正食品・薬品法の成立が促進された)。1937年にも大衆が驚くべき事実を認識した。安全性が確認されていない抗生物質、エリキシル・スルファニルアミド(Elixir Sulfanilamide)を服用して100人以上が死亡した。それを受けて、1938年に連邦食品・医薬品・化粧品法(Federal Food, Drug, and Cosmetic Act)が制定された。包括的で規制力が強い法律であった。現在でも、アメリカの食品関連規制の基礎となっている。
連邦政府は、栄養や健康に関する教育・啓蒙を熱心に続けてきた。農務省(USDA)は栄養ガイドライン(nutritional guides)や食生ピラミッド(food pyramids)を作成した。1970年代には、サタデー・モーニング・カートゥーンPSA(Saturday-morning-cartoon P.S.A.s)が作成された。ミシェル・オバマ(Michelle Obama)主導で、子供の肥満を防止する「レッツ・ムーブ(Let’s Move!)」キャンペーンも行われた。残念ながら、進歩の度合いは緩やかだ。栄養表示(Nutrition labels)が義務付けられたのは1990年のことだ。果汁の%表示(per-cent-juice labelling)が広く導入されたのは1994年、トランス脂肪表示(trans-fat labelling)は2006年である。「他の国の表示は、もっと優れている。」と、マイケル・ポーラン(Michael Pollan)は私に語った。南米、アジア、ヨーロッパではパッケージの前面にジャンクフード警告表示がある。イギリスでは赤・黄・緑でジャンクフードの危険度を示す表示を導入している。食品医薬品局が2016 年にファストフード情報開示規制を導入した。消費者はビッグマックのカロリーを知ることができるようになった。同様の規制をジャンクフードにも導入する必要がある。消費者が食べるものの本質をもっと明確に分かるようにすべきである。
明示することが何よりも重要だ。それが無いから、シーハンがスーパーマーケットで商品の粗探しをしているのだ。全粒粉(whole-wheat-flour)の訴訟は良い例だ。全粒(Whole wheat)とは、全粒穀物(whole grain)を意味する。つまり、小麦粒の3つの部分、繊維質の多いふすま(bran)、栄養豊富な胚芽(germ)、でんぷん質の多い胚乳(endosperm)を含む。全粒は、胚乳だけを含む精白小麦粉(white flour)よりも体に良いことが広く知られている。法律上は、精白小麦粉を含むすべての小麦粉製品は「小麦(wheat)」と呼んで問題無い。それで、実際よりもヘルシーに見えるように偽装されることが少なくない。シーハンは、偽装の手段をいろいろと教えてくれた。カラメル色を加えたり、パンの外側にオーツ麦(oats)を加えたりする。そうすることで、パンのボリュームやコクを出したり、まだら模様をつけたりする。多くのメーカーが曖昧な表示を使う。マルチグレイン(multigrain)とかハニーオーツ(honey oat)とかハニーウィート(honey wheat)とかである。シーハンは、神妙な顔をして言った、「『巨大食品メーカーは人々を太らせ、怠け者にする陰謀を企んでいる』という人も少なからずいる。本当にそうだとは思わない。しかし、巨大メーカーは、全粒粉の味はあまり消費者に好まれないと言うかもしれない。」と。
私はハーバード大学のガーセンに、曖昧な表示を規制する方法について尋ねた。「私が当初考えていたよりもずっと難しい問題です。」と、彼は言った。「過剰な表現や欺瞞的な表現をするインセンティブが非常に高いのです。合理的な消費者なら騙されることはない。しかし、騙される者がいることも確かです。だから多くの食品メーカーがそれを止めない。そして、多くの食品が、多くのブランドが、欺瞞的な表示をしている。その数は決して少なくない」。シーハンがカントリー・クロックの訴訟の最中で知ったのだが、消費者調査機関、世界最大のミンテル(Mintel:ロンドンに本拠を置くグローバルな非公開の市場調査会)等が、食品メーカーに変化する規制に対応する方法を助言している。マーガリンやファットスプレッドをヘルシーなものでナチュラルなものに思わせる方法も助言している。何人かのミンテル社の社員と話した。彼らはシーハンの主張に同意する点は多いと言っていた。「興味深いのは、植物性バター(plant butter)ね。革命的な新製品で、ここ2、3年話題になってるのよ。」と、1986年から製品トレンドのアナリストを務めるリン・ドーンブレイザー(Lynn Dornblaser)は言った。彼女は笑った。「どう考えても、マーガリンだわ。しかし、製品名称を変えることで、売れ行きが大きく変わるのよ。植物性バター(plant butter)というネーミングが抜群だったのよ。植物由来(plant-based)と謳うのも効果があるのよ。何と言ったって、植物由来(plant-based)という語はホットでクールだもの」。
被告企業は通常、シーハンの訴えを却下させようとする。「どこもそうですよ。いつもうんざりさせられます。」と、シーハンは語った。「被告企業が私をわざと怒らせようとしていると感じることもある」。彼は、カントリークロックの訴訟に関するホーバスからの返答を読んだ。「なんてずうずうしい!彼は、『訴訟に明示された事実は無い』と言っている。信じられない。事実はない?だって。頭おかしいだろっ」。シーハンは、この訴訟の見通しについて強気だった。シーハンは、全粒穀物(whole-grain) を謳ったチーズ・イット(Cheez-Its)の訴訟を引き合いに出した(チーズ・イットは、ケロッグがサンシャインビスケット部門を通じて製造するチーズクラッカーのブランド)。カントリークロックの訴訟は、裁判で争われることとなった。被告企業は、「オリーブオイル使用 (Made with Olive Oil)」という表示は単にフレーバーを伝えるためのものであると主張した。裁判官はそれを一笑に付した。「大手メーカーのアカンタビリティーは、このような体たらくな弁護士に委ねられているのです。」と、ポーランは私に言った。「シーハンのやり方が理想的だとは思わない。でも、これは国が認めている方法なのです」。
シーハンがカントリークロックの対応を嘆いていた頃、議会では民主党が食品表示の規制を大幅に変更する食品表示近代化法案(Food Labeling Modernization Act)を提出した。ニュージャージー州選出のフランク・パローン・ジュニア(Frank Pallone, Jr.)下院議員は言った、「私たちは皆、食料品店に買い物に行くと、分かりにくい成分表示に辟易としています。 ヘルシー (healthy)という謳い文句ばかりなのにもウンザリです。」と。この法案は、消費者が 家族のために正しい食品を選択する ことを容易にするものだ。同法案の共同提案者のコネチカット州選出のリチャード・ブルメンタール(Richard Blumenthal)上院議員は、同法案は時代遅れの(antiquated)規則を改革するものだと言う。パッケージ前面の表示、アレルゲンの明示方法が変わる。誤解を招く表示を抑止するためのガイドラインも明確化されるという。法案が成立すれば、消費者に恩恵がもたらされる。加工食品業界は大混乱に陥るだろう。業界の反発は必至である。それが理由で、この法案が成立する可能性はほとんど無い。