The Limits of A.I.-Generated Miyazaki
AI生成ジブリ作品の限界
The launch of GPT-4o inspired a rash of A.I.-generated Studio Ghibli-style images. They may bode worse for audiences than for artists.
GPT-4o の発表により、AI で生成されたスタジオジブリ風の画像が急増した。これらはアーティストよりも鑑賞者にとって悪い前兆となるかもしれない。
By Kyle Chayka April 2, 2025
真に「人間的( human ) 」な芸術作品は何かと問われれば、スタジオジブリ( Studio Ghibli )の作品を挙げたい。84 歳の伝説的な宮崎駿監督( Hayao Miyazaki )によって設立されたこの日本のアニメーションスタジオは、手描きの絵、豊かで有機的な色彩、壮大な物語、そして子供時代の揺れる感情、大人になる途上のほろ苦い経験の数々を思い起こさせる。私たちアメリカのミレニアル世代( millennials )は、子供時代に英語に翻訳され配信されたジブリ作品をたくさん見た。「となりのトトロ( My Neighbor Totoro )」、「もののけ姫( Princess Mononoke )」、「千と千尋の神隠し( Spirited Away )」などは、私たちの青春を象徴する作品である。ジブリ映画では、どの作品でも懐かしい郷愁と悲痛な心の痛みの両方を感じられる。映画に登場する不吉な森の生き物、欲深い銭湯の幽霊などは、宮崎監督のストーリーラインを表現するために不可欠のものである。かつて確実に存在したが、現在では失われたつながりを思い出させるものである。先週、オンライン上に OpenAI の最新バージョンの ChatGPT によって生成された何千ものジブリテイスト( Ghibli-esque )の生成画像が溢れた。残念ながら、それらがジブリ作品のように郷愁を誘うことはなかった。
最新バージョンは GPT-4o である。旧バージョンでは繰り返し特定のキャラクターの画像を生成すると次第に忠実度が下がった。その欠点は改善されている。ユーザーは、プログラムのチャットウィンドウ内で画像を直接生成できる。現在、最新バージョンは有料アカウントでしか使えない。昨年公開された OpenAI の画像ジェネレーター DALL-E 3 では、不格好な手の画像が生成される可能性が高かった。意味不明なテキストが生成されることもあった。同じキャラクターの画像の生成を繰り返そうとすると忠実度が著しく低くなった。対照的に、最新バージョンが生成するテキストは正確で明確である。特定のキャラクターの生成を繰り返しても忠実度が下がることはない。手描き風の画像も写真と見紛うスーパーリアリズムの画像も忠実に再現できる。3 月 25 日の公開時のデモンストレーションでは、CEO のサム・アルトマン( Sam Altman )を含む OpenAI の幹部数人が GPT-4o に自分たちの自撮り写真を「アニメフレーム」に変換するように指示した。その結果、くっきりとした線で描かれたアニメ画像が生成された。トーンシェーディング(アニメのセル画に特徴的な影の塗り分け方。平板で境界線のはっきりした陰影をつける)が施され、背景に綺麗なイチジクの葉が描かれていた。 良く見ると、手の指が 4 本のキャラクターも生成されていたが、おそらく、私以外は誰も気づいていないだろう。グラント・スラットン( Grant Slatton )というエンジニアが、このデモを見た後、自分の家族写真をスタジオジブリ風のアニメに変換した画像を X に投稿した。元の写真は、彼と妻がペットのコーギー犬と一緒に浜辺にいるものである。生成された画像では、彼らは宮崎監督作品の定番である輝く瞳を持ち、髪にボリュームがあり、シワの入った柔らかい服を着ている。それらがこの画像に不思議なほど説得力をもたらしている。ピクセル化されたあごひげなどの欠陥もあったが、よく見なければ分からない。スラットンの投稿は現在、5 千万回近く閲覧されている。ジブリ風の生成画像の投稿が急増している。その中には、暗殺未遂の後に反抗的に拳を振り上げるドナルド・トランプがジブリ風になったものもある。ツインタワーに衝突する旅客機のジブリ風画像もある。宮崎監督作品の世界に似つかわしくないものも少なくない。中でも最低な生成画像は、木曜日( 4 月 3 日)にホワイトハウスの公式アカウントが投稿したものである。ドミニカ共和国出身の麻薬密売容疑者が逮捕され泣きじゃくる写真がジブリ風に味付けされていた。しかし、これを見ても私はほとんど驚かなかった。この政権は、以前に国外追放される人々を題材にして ASMR 動画を投稿して悦に入っていたのだから。(訳者注:ASMR 動画とは、聴覚や視覚への刺激で心地よい感覚を得られる動画や音声コンテンツ。ASMR は Autonomous Sensory Meridian Response の略で「自律感覚絶頂反応」と直訳される)
OpenAI がデモでジブリ風のアニメを使用したのには意図があった。「新しいテクノロジーを導入する際の最初のデモには、多くのアイデアを注ぎ込んでいる」とアルトマンは後に X に投稿している。彼はそれ以来、GPT-4o へのリクエストが膨大でサーバーがフル稼働していると自慢している。ジブリ風生成画像の氾濫は、AI の模倣能力の進化が新たなステージに入ったことを示すものである。これまでの AI ツールが生成する画像や動画にはややもすると不自然さが残っていた。時に不格好だった。それが、インターネットミームを生み出してきた。たとえば、2023 年のミッドジャーニー( Midjourney:テキストから画像を作成する AI プログラム)で生成されたローマ法王( the Pope )が派手なダウンジャケットを着ている画像、AI で生成されたレトロな曲をラップ調で歌うジェイ・Z( Jay-Z ) の音声などである。これらの場合、AI が完璧なリアリティを生み出すことができなかったことが魅力の一部であった。現在流布している AI 生成のジブリ風画像は、特徴的な色彩と輪郭が魅力的であり、かなりのレベルである。AI による模造品である馬鹿にすることはできない。
現在ネット上に溢れているジブリ風生成画像が魅力的なのは、GPT-4o の能力の高さを証明するものである。しかし、それ以上に重要なのは、宮崎監督が創り出した元の画像のレベルが高いことである。先週 X でバズった投稿の 1 つは、「アートが身近になった」と自慢している。仲の良い男性 6 人組の写真が、3 つの異なるスタイルに順番に変換されている。しかし、身近になっているのはアートそのものではなく、アートのコピーでしかない。絵画の写真を撮って極端にしたバージョンでしかない。AI で生成したジブリ風画像が氾濫しているが、皮肉なことである。というのは、宮崎監督は AI テクノロジーの嫌悪者であるからである。2016 年に投稿された動画の中で、彼は AI 技術でアニメを作ることについて、「生命に対する侮辱を感じる」と述べている。彼のライフワークが生成 AI の元ネタになっていることは、侮辱であるだけでなく著作権侵害の可能性さえある。OpenAI は、芸術家ではなく映画製作スタジオのスタイルをコピーすることは許可されていると主張する。おそらく、ディズニーはこの主張を支持しないであろう。アメリカでは、既に多くのアーティストが OpenAI などの AI 企業を訴えている。彼らの芸術作品を AI ツールに学習させることで、彼らが確立したスタイルが侵害されたと訴えている。これらの訴訟は法廷で審理中である。その結果は AI 生成画像が今後どのように扱われるかを大きく左右するだろう。ちなみに、2023 年に AI が生成したアートの著作権は保護されるか否かが問われた裁判では、保護されないとの判断が下されている。
もちろん、これまで多くの芸術家が何度も複製によって被害を被ってきた。絵画は版画の出現、さらには写真の出現を生き延びてきた。絵画という古い手法が生き延びてきたのは、洞察と表現の核となる部分をコピー作品では表現しきれないからである。ヴァルター・ベンヤミン( Walter Benjamin )が 1933 年の評論「 The Work of Art in the Age of Its Mechanical Reproduction (邦訳:複製技術時代の芸術)」に書いているのだが、「オリジナル作品の存在は真正性の概念の前提条件である」。大聖堂の写真は、大聖堂自体がなければ意味をなさないのである。スタジオジブリのスタイルの複製は、その映画に触発された宮崎監督の美学に対する私たちの共通の感情がなければ意味をなさない。私たちが今この瞬間に心配しなければならないのは、何かを創造したいという衝動に駆られている芸術家ではなく、薄っぺらな模倣品を見て満足している者たちである。宮崎監督がスタジオジブリで手がけた最新作「君たちはどう生きるか( The Boy and the Heron )」は、自伝( autobiography )、日本の歴史( Japanese history )、アニミズム( animism )、シュールレアリズム( surrealism )を独自に融合した作品であり、自身を超えて生き続ける何かを創造したいという、まさに芸術家自身の衝動を探求している。この作品のエネルギッシュな抽象表現は、私たちの魂の奥底に浸透し、芸術がテクノロジーの脅威に対処する 1 つの方法とを示している。現在、宮崎監督のスタイルを模倣した AI 生成画像がインターネットミームとなっているわけだが、これを芸術作品が今後どのように扱われるべきかを考える端緒とすべきである。♦
以上
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