サスペンスとは何ぞや? キャスリン・シュルツによるサスペンスの考察

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 哲学者や神学者あるいは悩める市井の人々にとって、人生に関する根本的な疑問とは、それが何を意味するのかということである。つまり、人生の目的は何なのか、人生とは一体何なのか、自分の存在する意義は何なのか、というような疑問である。しかし、多くの者にとって、ほとんどの場合、人生が投げかける主な疑問は、その意味ではなく、そのプロットに関するものである。言い換えれば、E・M・フォースターが指摘したとおり、 次に何が起こるのかということが重要なのである。昇進できるのか?誰が選挙に勝つのか?先週ディナーに誘った女性から電話がかかってくるのか?ジーニー・メイ( Jeannie Mae )は金曜の夜に息子がしたことがバレた後、日曜の教会に顔を出すだろうか?

 人生においても、文学作品においても、サスペンスとはこのような不確実性への反応であり、将来がどうなるかを知りたいという欲求によって生じる動揺した状態である。不確実性は人が生きていく際に常にそこら中に存在しているものである。そのため、サスペンスは私たちの感情の中にいつも存在している。私たちは、どんなことでも、どんな規模のことでも、サスペンスを感じることができる。法廷で判決が読み上げられる前の沈黙はサスペンスに満ちているが、誰かがあなたにテキストメッセージを送信していた時に iPhone に表示される「・・・」の表示も同様である。郵便受けまでの道のりもサスペンスに満ちている(合格通知は届いているだろうか?)。天気もサスペンスに満ちている(結婚式当日は雨が降るのだろうか?)。フューエルメーターがガソリンが空であることを示していれば、最寄りのサービス ステーションまでの 15 マイル( 24 ㌔)の退屈なハイウェイドライブも極めてサスペンスに満ちたものになる可能性がある。

 小説を読む際、通常、サスペンスはどんな内容であっても読者を楽しませてくれるものである(もちろん、自分がサスペンスに耐えられないことを知っていてサスペンス作品を完全に避ける読者、ネタバレ満載のあらすじを探して読んでしまう読者、超速で読み飛ばす読者はサスペンスを楽しめないだろう)。もちろん、それに耐えられず、サスペンス作品を完全に避けたり、ネタバレ満載のあらすじを探したり、最後まで読み飛ばしたりする人もいる)。しかし、現実世界のサスペンスには、2 種類のサスペンスが存在している。待ち遠しいような気がするポジティブなものと、恐れおののくネガティブなものである。ポジティブ・バージョンのサスペンスは、ある体験を先延ばしにすることによって、その体験がより楽しみなものになる。食事を空腹になるまで待った方がおいしく感じるのと似ている。それが理由で、表彰式等で多くの MCたちが「 Drumroll, please(ドラム連打、お願いします)」などと言って、重大な発表を遅らせているのである。19 世紀の偉大なサスペンスの巨匠、ウィルキー・コリンズ( Wilkie Collins )は、作家仲間に「 make ‘em wait(読者を焦らせろ)」と忠告したことで有名である。巧みにその手法が取り入れられた作品と出会うと、私たちは非常にわくわくする。小説家アンソニー・ドーア( Anthony Doerr )がかつて述べたように、「読者は延長戦に突入することを望んでいる」。

 しかし、人は誰しも不幸や惨めさが延長されることを望んでいない。恐怖が延長されることには耐えられない。せいぜい、耐えられるとしたら、それが軽くて短いものの場合のみである。歯医者のドリルで歯を削ろうと準備している間くらいなら不快とはいえ待てるかもしれない。しかし、最悪の場合、それは人生で最も激しい苦痛の 1 つとなる倍もある。曖昧な超音波検査結果に関して放射線科医からの報告を待つ時に感じるサスペンス、門限を過ぎても帰宅しない子供を待つ時に感じるサスペンスなどは、誰もが経験したくないものである。こららの懸念が深まる状況がその後何ごともなく無事に解決したとしても、サスペンスが長く続いたのとは対照的に安堵心は一般的に束の間のものでしかない。味わった恐怖心を考慮すると割に合わない。愛する人が留守電に応答しない状態が何時間も続くと、不安はますます募る。疲れる。それが数時間も続けば思い込みが激しくなり、自動車事故で亡くなったに違いないと確信する。その後、スマホが壊れただけだったと判明しても、安堵してホッとする時間は 2 分ほどしかないだろう。

 しかし、不思議なことに、予期と恐怖の間には歴然とした違いがあるにもかかわらず、両者は驚くほど似ていると感じることがある。生検の結果を待つのは、初デートで恋人が現れるのを待つよりずっと嫌なものであるが、緊張で胃が痛くなり、他のことは考えられないという体験は、ほとんど同じもののように感じられる。実際、ある意味、サスペンスがどう感じられるかを決める最大の要因は、それが何であるかということではなく、どれだけのサスペンスを経験するかということにある。カフェイン、オピオイド、大気汚染と同様に、サスペンスは用量反応の法則に支配されている。

 サスペンスを感じる度合いには、2 つの要素が影響する。待ち望んでいる出来事の重要性と、その結果の不確実性の度合いである。重要な出来事と大きな不確実性の両方が存在している状況では、その原因が何であれ、もたらされるサスペンスは極端なものになる。自分の娘が脳外科手術のために手術室に運び込まれるのを見るよりも、彼女がオリンピックの 400 メートル走のスタート位置につくのを見る方がはるか心地良いものであるが、どちらの状況もサスペンスは最大限に高まる。結果の不確実性が十分に高ければ、リスクがはるかに低い状況でもサスペンスになり得る。また、リスクが十分に高ければ、結果の不確実性が非常に低い出来事でもサスペンスになる。質問の答えを 95% 知っていると確信している場合、質問相手の返答を待っている間はあまりサスペンスを感じないだろう。ただし、それが「結婚してくれますか?」という質問である場合は強烈にサスペンスを感じるかもしれない。

 サスペンスを経験する方法のもう 1 つの要因は、それを経験する期間である。トマス・ハーディの小説のクリフハンガーな状況のように、人生でも続きが気になるような瞬間が訪れることがある。長期休暇前の金曜日に心配な医療検査を受けたことがある人ならわかるだろう。言い換えれば、現実世界のサスペンスとは、文学作品のサスペンスと同様、情報と時間の関係から生まれるものである。しかし、その関係は複雑で、サスペンスは時間の経過とともに増加する傾向にあるが、その変化は直線的なものではない。私はそれを経験的に知っている。私はパートナーと付き合い始めた頃に別々の州に住んでいたのだが、不思議な現象に気づいた。彼女に会う日が近づくにつれて、それを待つ苦痛が増したのである。その後、私たちは結婚し、子供を持つことになったわけだが、彼女の妊娠の最終段階で、同様に奇妙な現象を経験した。出産が近づくにつれて、それを待つ苦痛が大きくなったのである。論理的に言えば、赤ちゃんを待つのが辛い度合いは、出産まで日が長い時の方が大きいはずであるが、実際にはその逆だった。妊娠 23 週目よりも 36 週目の方がはるかにサスペンスを強く感じられたのである。情報と時間の全体的な関係が劇的に加速する中で、サスペンスを定義する情報と時間の関係はどのように変化したのだろうか。現在では選挙投票日の夜に候補者陣営はソーシャル・メディアに釘付けになりながら常に各投票所の結果や窓口調査の結果や各種予測が飛び込んでくるのを待っているが、彼らが感じているサスペンスは 1796 年に選挙戦を繰り広げていた者たちより大きいのだろうか。当時は、通信手段が無かったので、各地から使者が駆けつけるてくるのをじっと待つしかなかった。

 サスペンスをどのように経験するかを決める最後の要因は、完全に個人差がある。サスペンスに敏感な者とそうでない者が存在している。世の中には、未来について生まれつき興味がない者がいる。一方で、未来を予測したいという衝動を抑えようと何年もかけて努力し、今この瞬間に集中しようとしている者もいる。今に集中すべきというアドバイスは、賢明なことのように思える。というのは、未来について考えれば、幻影に膨大なエネルギーを費やすことになりかねないからである。しかし、ほとんどの人にとって、そのアドバイスに従うことは極めて困難である。なぜならば、未来を予測する能力は進化の過程を経て獲得したもので、常に人類が絶滅せずに生き延びる上で最も重要な能力の 1 つだからである。人類が次に何が起こるかを予測するのに膨大な時間を費やすのは不思議なことではないのである。哲学学者のダニエル・デネット( Daniel Dennett )がかつて言ったように、人間は 「予測マシン( anticipate machines) 」になるようにできているのである。

 未来を予測する能力を人類は脈々と遺伝という形で受け継いできたのだが、中にはその能力が強力な者もいる。実は私のパートナーがそうである。彼女は非常にせっかちである。社交的ではなく、理屈っぽいところがある。並外れて好奇心が強いため、サスペンスには耐えられないと認識しており、未解決の謎には容赦がない。このような性格特性には、賞賛すべき良い点が少なくないのだが、妊娠中という、ミクロとマクロの謎が何重にも絡み合う、ハイリスクで不確実性の高い状況下では、ある意味弊害でしかない。赤ちゃんが腹を蹴るのを最初に感じるのはいつなのか?次の超音波検査で何がわかるのか?赤ちゃんは 12 月に産まれるのか 1 月に産まれるのか?午後 2 時に産まれるのか午前 4 時に産まれるのか?健康な状態で産まれるのか、それとも新生児治療室( NICU )に入らなければならないのか?これらの疑問が、妊娠が判明した日から出産するまで、どんどんと積み上がっていく。普通の妊婦はつわりや坐骨神経痛に苦しみながら妊娠期間を過ごすが、私のパートナーは主に好奇心に苦しみながら妊娠期間を過ごさなければならなかった。