量子コンピュータって何?今さら人に聞くのはちょっと・・・大丈夫!この記事を読めば大体のことは分かる!

3.量子もつれ(quantum entanglement)とは?

 量子コンピュータの研究の根底には「量子もつれ(quantum entanglement)」と呼ばれる科学的概念があります。核分裂が瞬時に膨大な回数繰り返されて爆発が起こるのと同じで、量子もつれが瞬時に膨大な回数繰り返されて量子コンピュータは駆動します。私にも詳しいことは分からないのですが、量子コンピュータは量子の奇妙な性質を利用することで、かつてないパワーを持つテクノロジーを生み出すことができるのです。量子もつれを誰にでも理解できるように説明することは容易ではありません。量子もつれは、私たちの日常感覚から大きくかけ離れた様々な事実を提示するからです。それでも、ここで説明を試みたいと思います。あなたと友人が、もつれた2枚のコインを、結果を見ずにひっくり返すことを想像してみてください。ここでの、2枚のもつれたコインというのは、片方が表であれば、他方はその逆の裏になるというものです。それぞれのコインが裏か表かという結果は、あなたがコインを覗き込んだときに初めて決定されます。もし、あなたが自分のコインを調べて、表が出たことを確認したら、友人のコインはおのずと裏であることが分かります。もし、あなたの友人が自分のコインを見て表が出たことを確認できたなら、あなたのコインは裏であることが分かります。このことは、常にそうで、あなたと友人がどんなに遠く離れていても関係ありません。もしあなたがドイツ、あるいは木星に旅行しているとしても、自分のコインを見れば表か裏か分かるわけで、瞬時に友人のコインがその逆であることが分かるはずです。

 もし、あなたが量子もつれが理解できないと感じたとしても、恥じることはありません。世の中の大抵の人がそうなのですから。そもそも世界中の科学者たちがその構造を理解し始めるまでに、1世紀の大半を費やしたのです。物理学における多くの概念と同様、量子もつれは、アインシュタインの「思考実験(Gedankenexperiments)」の中で初めて記述されたものです。量子力学では、粒子の特性は、一度測定された時点で初めて固定値となるとされています。測定される前は、粒子は多くの状態を同時に持つ「重ね合わせ」の状態で存在し、その状態は確率で記述されていた。(物理学者エルヴィン・シュレーディンガー(Erwin Schrödinger)が提案した有名な思考実験では、放射性物質が原子崩壊すると放出される毒の入った瓶が置かれた蓋つきの箱に閉じ込められた猫が、生と死の間の状態にあり、重ね合わせの状態にある例として示されています)。アインシュタインは量子もつれには懐疑的でしたので、晩年になって量子力学のパラドックスを見出すことに注力しました。それで、彼は1935年にボリス・ポドルスキー(Boris Podolsky)とネイサン・ローゼン(Nathan Rosen)という物理学者と共同で、量子力学において明らかなパラドックス(矛盾)があると主張しました。量子力学の理論に従えば、2つのもつれた粒子は、どんなに距離があっても存在しうるはずです。しかし、2つの粒子が非常に離れている場合には、2つの粒子間で情報が光速度を超えて伝わることになります。アインシュタインら3人は、「情報は光速度を超えて伝達できないはずで、量子力学の記述は不完全である。」と記していました。しかし、その後数十年間で、量子力学の他の仮説が繰り返し実験によって証明されたことによって、アインシュタインらが主張したパラドックスは無視されるようになりました。科学史家のトーマス・リックマン(Thomas Ryckman)は、「アインシュタインの主張は当時の物理学者たちの常識に反していたため、物理学者のほとんどが、アインシュタインの量子力学に対する敵意は老害の兆候であると考えた。」と書いています。

 20世紀の中頃には、物理学者たちは粒子加速器や核弾頭の研究に専ら没頭していたので、量子もつれはほとんど注目されませんでした。1960年代初頭、北アイルランドの物理学者ジョン・スチュアート・ベル(John Stewart Bell)は、誰の手も借りず独力でアインシュタインの思考実験を5ページの数式に埋め尽くされた論文にまとめ直しました。彼は、1964年にそれほど有名ではない物理学誌「Physics Physique Fizika」でその論文を発表しました。その後4年間、彼の論文は一度も引用されることはありませんでした。

 1967年、コロンビア大学の大学院生だったジョン・クラウザー(John Clauser)は、図書館でベルの論文が掲載された雑誌の製本版をたまたま手にして、ベルの論文に目を通しました。クラウザーは、量子力学の理解には苦労していて、関連する講座を3回受講してようやく理解できるレベルになったところでした。後に彼は言っていました、「私は、当時、量子力学は間違っているに違いないと確信していました。」と。ベルが発表した論文によって、クラウザーは自分の異論を実証することができるような気がしました。リチャード・ファインマン(Richard Feynma)ら教授陣の忠告を無視して、彼は量子力学の理論が不完全であることを証明しようと決意しました。アインシュタインの主張が間違っていないことを証明する実験を行うことを決意したのです。1969年にクラウザーはベルに書簡を送り自分の考えを伝えました。ベルから直ぐに返信の手紙が届きました。返信の手紙には、自分の論文について手紙を送ってきた者はこれまで1人もいなかったと記されていました。

 クラウザーは、カリフォルニアのローレンス・バークレー国立研究所(Lawrence Berkeley National Laboratory)に移り、ほとんど予算もない中で、世界で初めて意図的に2つの光子をもつれさせることに成功しました。2つの光子を約10フィート(3メートル)離れさせて観察しました。片方の光子の属性を観察すると、もう片方の光子が瞬時に逆の結果を示しました。クラウザーはスチュアート・フリードマン(Stuart Freedman)と共著で、1972年に成果を論文で発表しました。実は論文の内容はクラウザーにとってがっかりするものでした。というのは、アインシュタインが間違っていることを決定づけるものだったからです。クラウザーは、量子力学の不可解に思えた理論が実際には有効で正しいものであること、アインシュタインが量子もつれ理論は人間の直感と相反して「不気味な遠隔相関」であり間違いであると見なしたことは誤りであること、量子もつれは宇宙の仕組みであり正しいことを認めるしかありませんでした。「私は今でも量子力学を十分には理解できていません。」とクラウザーは2002年に語っていました。

 クラウザーは、2つの粒子がもつれ合うということは単なる思考実験上のものではないことを証明したわけです。それは現実のものであり、なおかつ、アインシュタインが考えていたよりも奇妙なものだったのです。その奇妙さは、スタンフォード大学で物理学の博士号を取得しLSD愛好家でもあるニック・ハーバート(Nick Herbert)の関心を引きました。彼はテレパシーや死後の世界とのコミュニケーションなどの研究を行っていました。クラウザーはハーバートに自分の研究成果を説明し、ハーバートは量子もつれを利用して光速度よりも速く通信できる機械を提案しました。その機械を使えば、時間をさかのぼってメッセージを送ることができると提案していました。ハーバートのタイムマシンの設計図は、最終的には実現不可能であると判断されたわけですが、多くの物理学者が量子もつれを真剣に考えるきっかけとなりました。「ハーバートの論文には荒もあったわけですが、物理学に計り知れない進歩をもたらす火種となりました。」と、物理学者のアッシャー・ペレス(Asher Peres)は2003年に回想していました。

 アインシュタインがパラドックスを指摘して、その指摘は必ずしも正しくなかったわけですが、それによって量子力学の理解はさらに深まったわけです。最終的に分かっているのは、粒子が光よりも速く信号を送ることができるということではなく、2つの粒子がいったんもつれ合うと、粒子は別々の物体ではなく、宇宙の2つの部分に同時に存在する1つのシステムとして機能するということです(この現象は非局所性(nonlocality)と呼ばれています)。1980年代以降、量子もつれの研究は、理論物理学と実験物理学の双方において、飛躍的な進歩を続けています。今年の10月にクラウザーはその功績によりノーベル物理学賞を共同受賞しました。ノーベル委員会(Nobel committee)はプレスリリースで、量子もつれを「量子力学の最も強力な特性」と評していました。ベルはこうした顛末を見届けることなく、1990年にこの世を去りました。彼が1964年に発表した論文は既に17,000回も引用されています。