量子コンピュータって何?今さら人に聞くのはちょっと・・・大丈夫!この記事を読めば大体のことは分かる!

4.量子コンピュータを完成させるのは結構難しい

 サンタバーバラにあるグーグルの研究所では、多くの量子ビットを一度にもつれさせることを目的としています。何百枚ものコインを並べてそれぞれがネットワークで繋がっていると想像してみて下さい。これらのコインを操作して意図したとおりの挙動をさせようとすると、驚くような数学的効果が得られるのです。その一例が、1990年代にベル研究所でショアの同僚だったラヴ・グローバー(Lov Grover)が開発したグローバーのアルゴリズム(Grover’s algorithm)です。「グローバーのアルゴリズムは、非構造化データ分析に関するものです。非構造化データ分析を上手く活用している例の1つがグーグルです。100万個もの引き出しが付いた巨大なクローゼットがあって、そこから必要なものを素早く取り出す方法を見つけるようなものだとイメージしてもらうと良いと思います。」と、その研究所の創設者であるネーヴェンは言っていました。 その引き出しの1つにテニスボールが1個入っているとします。1人でそのクローゼットの中を探し回ると仮定すると、平均すれば50万個の引き出しを開けなければボールは見つかりません。「驚くかもしれませんが、グローバーのアルゴリズムは、たった1,000ステップでテニスボールを見つけ出すことができるのです。グローバーのアルゴリズムでは、量子力学の潜在的な能力の巨大さを窺い知ることができます。」とネーヴェンは言いました。

 ネーヴェンのキャリアは実に多彩です。彼は、もともと経済学を専攻していましたが、弦理論(string theory:粒子を0次元の点ではなく1次元の弦として扱う理論、仮説のこと。ひも理論、ストリング理論ともいう)の講義を受けたのをきっかけに物理学に転向しました。その後、計算論的神経科学(computational neuroscience)を専攻して博士号を取得し、南カリフォルニア大学の教授に採用されました。南カリフォルニア在学中に、彼が率いるチームがアメリカ国防総省(U.S. Department of Defense)が主催する顔認識コンテストで優勝しました。その後、ネーヴェン・ビジョン(Neven Vision)社を設立し、ソーシャル・メディアで使われるフェイスフィルター機能(face filters:AIによる顔認識機能を用いた拡張現実(AR)機能)の技術を開発しました。彼は、Googleでは、画像検索やグーグル・グラス(Google Glass:グーグルが研究開発プロジェクトで開発しているヘッドマウントディスプレイ(HMD)方式の拡張現実ウェアラブルコンピュータ)の開発に携わっていたのですが、公共ラジオで量子コンピュータの話を聞いたことがきっかけで、量子コンピュータの研究に移りました。私が彼から聞いたところでは、彼の究極の目標は、量子コンピュータを人の脳に接続することで、意識の起源を探ることだそうです。

 ネーヴェンの顔認識技術への貢献が大きいことは広く知れ渡っています。もしあなたがスナップチャット(Snapchat:登録した個人やグループに向けて画像などを投稿するSNSアプリ)で犬のふりをしたことがあるなら、それは彼のおかげです。とはいえ、彼の開発した顔認証関連の技術が応用されて、徹底的に管理され常に監視されるディストピア的な未来の到来が早まったのも事実です。しかし、彼がここ数年専ら研究しているのは量子力学の分野です。彼の研究チームは、世界有数の科学雑誌に掲載された研究論文の中で、量子力学関連で粒子の奇妙な特質について発表しました。塊になって集まる光子について記したもので、時間結晶(time crystal)について記したものでした。時間結晶とは、全く同じ物理条件でエネルギーを加えているにもかかわらず、時間(試行回数)によって結果が変化する現象のことで、ここでいう結晶とは物質ではなく状態をさす物理学上の用語であり、時間結晶とは時間によって物理法則が変化する(対称性が破れている)現象もしくは状態です。「論文には、文字通り同じような現象が十数個記されているのですが、どれもこれも空想上のものに思えるばかりで、理解するのは非常に難しいと思います。」とネーヴェンは言いました。ネーヴェンが私に教えてくれたのですが、物理学者のマリア・スピロプルー(Maria Spiropulu)の研究チームが、グーグルの量子コンピュータ(シカモア(Sycamore)プロセッサ)上で、時空を超える概念的な近道であるホログラフィックワームホール(holographic wormhole:適切に設計された量子系の特性が重力系で予想される特性と一致する場所)の量子シミュレーションに始めて成功したそうです。その成果は、先日、ネイチャー(Nature)誌でも取り上げられました。

 グーグルが発表した量子コンピューティングに関する科学的成果は、時に他の研究者から精査されて批判を浴びることがあります。ネイチャー誌に掲載された例の論文の著者の1人は、彼らが論文に記したホログラフィックワームホールは 「想像できる限り最小の粗雑なホログラフィックワームホール 」と評していました。Qubit(量子ビット)という名前の犬を飼っているスピロプルーも同意見のようで、彼女は「本当にとても粗末なものです。」と言っていました。テキサス大学オースティン校の教授で量子コンピューティングを専門とするスコット・アーロンソン(Scott Aaronson)は、「これだけの実験を行っても、実際にどこまで例の論文に記された内容が正しいのかということについて、大きな議論があります。本当に詳しく精査しなければならないと思います。」と述べています。また、量子コンピュータが、古典的なコンピュータに今すぐに取って代わるわけでもないのです。「量子コンピュータは数を数えるのが苦手なんです。それを、私たちはようやく4まで数えられるようにしたところです。」と、グーグルの研究員であるマリッサ・ジュスティーナ(Marissa Giustina)は言います。

 ジュスティーナは、量子もつれに関する研究では最先端を行く1人です。2015年にオーストリアでアントン・ザイリンガー(Anton Zeilinger)教授の研究室に所属していた時に、彼女はクラウザーが1972年に行った実験を改良して実行しました。10月には、ザイリンガーもノーベル賞受賞者に選ばれました。ジュスティーナは、「あの時は、『あなたの上司のノーベル賞受賞おめでとう!』という電話が引っ切り無しにかかってきました。」と言いました。彼女は、近い将来複雑な粒子の動きをモデル化するかも知れないが、今のところ基本的な計算さえ満足にできない量子コンピュータについて少し不満げでした。彼女は言いました、「量子力学の概念は、私たちが日常生活で体験していることと相反するものです。それでとても理解が難しいのですが、とても美しいと感じられることもあるのです。」と。

 グーグルの量子コンピュータで量子もつれの研究をする際の主な問題は、フォールトトレラント (fault-tolerant:障害許容設計)でないことです。グーグルのシカモアプ(Sycamore)ロセッサは、平均すると1,000ステップに1回エラーを起こします。しかし、典型的な実験では、1,000をはるかに超えるステップ数の処理が必要です。そのため、意味のある結果を得るためには、研究者は同じプログラムを何万回も実行し、信号処理のテクノロジーを駆使して、山のようなデータの中からわずかな量の価値ある情報を絞り出す必要があります。シカモアプロセッサが動作している間に、量子コンピュータのプログラマーが量子ビットの状態を測定できれば現在の状況が改善されるかもしれないのですが、量子ビットが重ね合わせの状態であるのを測定するとなると、特定の値を想定する必要が生じ、それが演算能力を悪化させるのです。ここで言う測定とは意識的な観察者によって行われる必要はありません。従来の量子コンピュータは、熱擾乱などの環境ノイズによって量子の状態がすぐに変化してしまうという大きな弱点を持っているのです。「量子ビットが存在するために静かで冷たく暗い場所で確保せれることは、量子コンピュータの能力を発揮させるために必須です。」とジュスティーナは言います。グーグルのシカモアプロセッサは、太陽系外からの放射線に晒されると故障することがあります。

 量子コンピューティングの黎明期、多くの研究者は測定の問題は御しにくいのではないかと心配していましたが、1995 年にピーター・ショア(Peter Shor)は、量子もつれを利用して量子コンピュータのエラーを修正することで、ハードウェアの高い不具合率を改善できることを示しました。ショアの研究は、当時モスクワにいた理論物理学者アレクセイ・キタエフ(Alexei Kitaev)の目に留まりました。キタエフは、1997年にトポロジカル(topological)量子コンピュータと呼ばれる新しい動作原理に基づく方式を提唱して、ショアのハードウェアを改良しました。トポロジカル量子コンピュータでは物質のもつトポロジーを用いて量子情報を保護します。カリフォルニア工科大学の理論物理学者のジョン・プレスキル(John Preskill)は、現在同大学の教授であるキタエフについて、畏敬の念を込めて語りました、「彼は非常に創造的で、技術的にも非常に造詣が深く、私が知る限り、何のためらいもなく天才と呼べる数少ない人物の1人です。」と。

 私は、カリフォルニア工科大学の研究室でキタエフに会いました。広い研究室でしたが、他には誰もいませんでした。彼はランニングシューズを履いていました。彼は、いつも昼間は四六時中量子力学について考えて、それが終わると1時間ほど歩いて頭をすっきりさせます。懸命に思索した日には、歩く時間が1時間よりも長くなるそうです。カリフォルニア工科大学から北へ数マイル行ったところにウィルソン山(Mt. Wilson)があります。ウィルソン山は、1920年代にエドウィン・ハッブル(Edwin Hubble)が当時世界最大の望遠鏡を使って、宇宙が膨張していることを推論した場所です。「ウィルソン山には100回くらい行ったかな?」とキタエフは言いました。キタエフは、考えている問題が本当に難しい時にはウィルソン山を飛び出して、さらに向こうにあるボールディー山(Mt. Baldy)付近までハイキングするそうです。ボールディー山は標高が約1万フィート(3千メートル)もあり、山頂にはいつも雪が残っています。

 キタエフが量子コンピュータのことを思索すると、おのずとバールディ山に辿り着くことになります。「私は1998年に30年後に量子コンピュータが実現すると予言しました。現時点では、それが間に合うかどうか分かりません。」 とキタエフは言いました。キタエフの提唱したトポロジーを用いて量子情報を保護するスキームは、機能的な量子コンピュータを構築するための最も有望なアプローチの1つであり、2012年には、その功績によって世界で最も賞金の高い科学賞であるブレークスルー賞(Breakthrough Prize)を受賞しています。その後、グーグルが彼をコンサルタントとして雇入れました。これまでのところ、誰も彼のアイデアを実現できていません。

 プレスキルとキタエフは、カリフォルニア工科大学で量子コンピュータ入門コースの講義を共同で行っていました。その講義は大好評で、いつも学生が溢れんばかりです。しかし、2021年にアマゾンがカリフォルニア工科大学のキャンパス内に大規模な量子コンピューティング研究所を開設すると発表したことにより、2人は袂を分かちました。プレスキルはAmazon Scholar(アマゾン学者:大学で教育と研究を続けながら、大規模な技術的課題に取り組み、パートタイム的にアマゾンのための研究も行う)になりました。一方、キタエフはグーグルに残りました。以前は2人の研究室は同じ建物の隣同士だったのですが、現在は別々の建物で研究をしています。彼らは依然として同じ大学の同僚なわけですが、私が見た感じでは、もはや2人は協力して何かを研究するということはしていないようです。