2.データのビジュアル化の進化 – 18、19世紀
ラングレンがスペイン王室に手紙を書いた際に数値をグラフ化したのは革新的な出来事でしたが、データのビジュアル化において次に革新がもたらされるたは約150年のことでした。1786年にスコットランドのエンジニアであるウィリアム・プレイフェアが出版した本「The Commercial and Political Atlas(通商的・政治的地図帳)」は革新的でした。タイトルにAtlas(地図帳)と謳っているものの、その本には旧来の地図は1枚も載っていませんでした。代わりにプレイフェアはたくさんのグラフを載せていました。グラフを見ると彼が何を伝えたいかがすんなり分かるほど見易いグラフで、彼には驚くほどの才能があることが明らかでした。その本によって、データのビジュアル化の歴史における彼の地位は不動のものとなりました。彼は横軸が時系列の折れ線グラフ、棒グラフ、円グラフを考案しました。今日、エクセルで作れるようなグラフのほとんどは彼が考案したものです。
プレイフェアは著書の中で、過去数十年にわたるイギリス海軍の支出を示すグラフを使用して、グラフの作り方を説明してしました。そのグラフでは、時間を横軸(x軸)に示し、支出額を縦軸(y軸)に示されていて、各点を結んでギザギザの折れ線が左から右方に引きます。そういったグラフが発明されてから数世紀も経っている現代では信じられないかもしれませんが、そうしてできた折れ線グラフは当時の人々にとっては直感的に理解できるものではありませんでした。プレイフェアは、時系列に推移が分かる折れ線グラフを世界で初めて作りましたが、当時の人々にグラフが示していることを理解してもらうのには大変苦労しました。彼はその本の読者に、イギリス海軍のある年の支出を読み取り、それを縦の棒線で示し、その右隣には次の年の支出を示す縦の棒線を引くということを繰り返すという指示を出していました。読者は指示に従うことで、毎年の支出額を示す棒グラフを完成させることが出来ました。当時の人々は、その棒グラフなら何となく理解することができました。
ファン・ラングレンは経度の差の推定値を線上にいくつも配すことで事実を抽象化して示しましたが、プレイフェアのグラフはそこから進化していて時間という視点を追加していました。彼は、それを自然に思いついたのかもしれません。フレンドリーとワイナーは、プレイフェアが若かった時に、彼の兄が長期間にわたって日々の最高気温を記録していた方法について言及していました。その記録を見て、プレイフェアは温度計が沢山並べられて、1本1本が日々の最高気温を示している光景をイメージしたのではないかと推測されます。そのイメージがあったので、プレイフェアはそこから温度計の外観のイメージだけを取り除くことによって、日々の温度を示す棒グラフを思い付いたのではないかと推測されます。また、日々の最高気温を示す縦棒の頂上に点を書き入れて、各点をを左から右へ繋げることで、折れ線グラフを思い付いたと推測されています。横軸(x軸)に時間を示すことによって、プレイフェアは、単なる数字の羅列を視覚的に直感的に認識できるようにしたのです。それは非常に画期的なことで、産業革命の時代には、グラフは非常に重要なものであることが証明されました。