フルトンVS井上の一戦を見て思うこと!ボクシングはスポーツであり、興行であるーそこが他のスポーツとは違う!

The Sporting Scene

Why the Best Boxers Don’t Draw the Biggest Crowds
最高のボクサーが最大の観衆を集めないのは何故?

Viewers flock to novelty matches involving influencers and retired greats. The sport’s most skilled fighters make a smaller splash.
インフルエンサーや引退した偉大なボクサーによる珍妙な対戦が多くの視聴者を獲得しています。それが、最も熟練したボクサー同士の対戦が注目されないという状況に繋がっています。

By Kelefa Sanneh  July 28, 2023

 7月25日の火曜日に、ニューヨークでは午前7時30分頃、カリフォルニアでは午前4時30分頃でしたが、アメリカのボクシングファン(ボクシングファンは、残念ながら数としては決して多くありません。が、熱狂的な者が少なくありません)が”ESPN+”のアプリを開き、今年最も熱望された試合の1つを固唾をのんで見守っていました。スーパー・バンタム級(リミット122ポンド)のトップファイターであるスティーブン・フルトン(Stephen Fulton)が、バンタム級(リミット118ポンド)から転向してきた日本のスター選手で、全階級を通じて最もエキサイティングで優れたファイターの1人と目されている井上尚弥(Naoya Inoue)と対戦しました。フルトンはフィラデルフィア(Philadelphia)州出身です。しかしながら、地元フィラデルフィアに多くのファンがいるわけではありません。井上と比較するとその差は歴然です。それが理由で、この一戦は東京で開催されました。会場となった有明アリーナ(Ariake Arena)のチケットはソールドアウトで超満員となっていました。このことが理由で、残念なことに、ここアメリカでは、この一戦はそれほど多くの者の関心を引きませんでした。

 ほとんどのスポーツでは、競技力の高さと名声の間には信頼できる強固な相関関係があります。勝利を重ねることでスターになりますし、勝ち続けることでその名声はさらに高まります。しかし、ボクシングは他のスポーツといささか異なるところがあります。名声を掴むためには、単純な実力だけでは十分でないのです。多くの観衆を集められる能力も必要とされます。最も名声を得られ、最大の報酬を得られる資格は、最大の観客を集めることができる者にのみ与えられるのです。特にアメリカで顕著なのですが、ボクサーとしてスターになろうとするならば、勝ち続けるだけでは不十分です。ボクシング界では、強いという理由が人気者になるという結果を保証しないこともあります。むしろ、人気者であるという理由が強くなるという結果をもたらすことが多いのです。つまり、人気が高いボクサーは、マッチメイキングで交渉力が高まりますから対戦相手を自由に選べます。勝てそうな相手を選べるわけです。また、圧倒的な声援を背に戦えるホームタウンで戦うこともできます。そういう意味で、人気が高いことが勝利に繋がるのです。近年、最高のファイター同士が拳を交える機会、本当のビッグファイト(biggest fights)の開催が少なくなっています。ボクシングの熱狂的なファンにとって、今週は特別な1週間です。フルトン対井上というカードに加えて、土曜日(7月29日)の夜にはテレンス・クロフォード(Terence Crawford)とエロール・スペンスJr.(Errol Spence, Jr.)のウェルター級(リミット147ポンド)の無敗の強者同士の待望の対戦も実現します。クロフォードは、「本物のビッグファイトだ!」と語っていました。しかし、クロフォードとスペンスJr.は両者ともに圧倒的なレコードを誇っているにもかかわらず、どちらかといえば控えめな性格の持ち主で、人気は圧倒的というほどではありません。この試合はペイ・パー・ビューで85ドルで観られるわけですが、熱狂的なボクシングファン以外はそれほど観たいと思わないかもしれません。

 ペイ・パー・ビューで視聴契約者数が膨大に膨れ上がるのは、ビッグネーム(big names)同士の対戦です。もはや最も腕の立つファイターではないとしても(もともと大した腕が無かったとしても)、とにかくビッグネームが必要なのです。2020年にマイク・タイソン(Mike Tyson)とロイ・ジョーンズJr.(Roy Jones, Jr.)という2人の年老いた伝説的なボクサーがエキシビションマッチ(exhibition match)のために再びリングに上がり、多くの観客を魅了しました。フロイド・メイウェザーJr.(Floyd Mayweather, Jr.)は、2015年に実質的に引退しましたが、いくつかの珍奇な試合をするためにカムバックしました。先日は、ずぶの素人のジョン・ゴッティ3世(John Gotti III:有名ギャングの息子)と対戦していました。元俳優で有名ユーチューバーのジェイク・ポール(Jake Paul)は、ボクシングに真剣に取り組み膨大な視聴回数の獲得に成功しています。まあ、彼の場合は人気が高いというよりは悪目立ちしている部分もあります。彼の試合を観るためにペイ・パー・ビューの契約をした者の中には、彼がボコボコにされるのを観ることを期待していた者も少なくないようです。8月5日(土)にポールは、人気のベテラン総合格闘家のネイト・ディアズ(Nate Diaz)とボクシングの対戦をする予定です。ディアスは、プロボクシングの試合をするのは初めてです。昨今では、多くのインフルエンサーがボクシングの試合をしています。さながら、インフルエンサー・ボクシングという独自の分野が確立されたような感があります。そうした状況は、ミスフィッツ・ボクシング(Misfits Boxing)という組織が作り出したものです。その組織は、インターネット上やSNS等で有名な者同士の試合の場を提供しています。視聴者は、スキルが低く強度の低いファイトを見せつけられるわけですが、大騒ぎに乗っかって結構楽しめるようです。直近では、ミスフィッツが主催する予定であった1つの試合が中止になりました。試合に先立って記者会見があったのですが、一方が対戦相手(イスラム教徒)にソーセージを投げつけて威嚇したことが原因でした。そのソーセージは豚肉でできていました。ソーセージを投げた者にはミスフィッツ・ボクシングから解雇通知書(termination letter)が送られました。もう1つの試合も同日に予定されていたのですが、そちらは予定通り実施されました。それはタッグマッチ(tag-team match)だったのですが、試合が終わった瞬間に勝利者チームの2人が仲間割れをし、激しい罵り合い、取っ組み合いが繰り広げられました。

 理論的には、ベストファイトが最大の観客を集めると考えられます。それは、最大のギャラを生み出しますし、ファンも満足しますし、対戦した両者の実入りも多くなるはずです。しかし、実際にはそんな簡単な構図ではなく、最強のボクサー同士が戦う機会はそれほど多くありません。タイソン・フューリー(Tyson Fury:現WBCヘビー級チャンピオン)は、ヘビー級で最強の1人と目されています。彼は、今年の初めに、誰が最強であるかを決めるために、ヘビー級の3団体(WBA、IBF、WBO)統一チャンピオンのオレクサンドル・ウシク(Oleksandr Usyk)と交渉していました。しかし、両者は対戦合意には至りませんでした。現在フューリーは、フランシス・ガヌー(Francis Ngannou)とボクシングマッチをする準備を進めています。金銭面では間違いなくビッグマッチですが、競技面ではそうでもありません。ガヌーは、総合格闘技(mixed martial arts:略号MMA)界の超大物で、今年初めまでUFC世界ヘビー級チャンピオンでした(金銭面の折り合いがつかずUFCを離脱)。両者の対戦は、10月28日にサウジアラビアで行われる予定です。ヘビー級チャンピオン同士の激突といえば間違いなくビッグマッチなわけですが、ちょっと眉唾物ではあります。というのは、ガヌーは総合格闘技界では超大物なのですが、実はボクシングをやったことがないのです。素晴らしい興行になると思われますが、拮抗した試合にはなりそうもありません。

 フューリーは、対戦相手をウシクではなく総合格闘技界の超大物ガヌーとすることで、より大金を手にでき、敗戦するリスクも大きく減らせます。ウシクは、母国ウクライナ以外ではあまり人気が無いとはいえ超絶的な技巧を有しています。また、ガヌーはボクシングは素人であるにもかかわらず、UFCでチャンピオンであった時よりも巨額のファイトマネーを手にするでしょう。実際、それが彼がUFCを離脱した理由でした。UFCはクロスオーバーファイト(異種格闘技戦)を売りにしていて依然として絶大な人気を誇っていますが、かつてのようにビッグマッチを次々と開催するような勢いはもはやありません。一般的な格闘技ファンにUFCのファイターで誰を思い浮かべるかを聞くと、UFCを離脱してプロレスラーになった女性総合格闘家ロンダ・ラウジー(Ronda Rousey)や、2年以上試合に出ておらず、オバマ時代から総合格闘技戦で1勝しかしていないコナー・マクレガー(Conor McGregor)の名を挙げる人が多いでしょう。ガヌーがUFCを離脱した後、UFCでライトヘビー級を長年支配してきたジョン・ジョーンズ(Jon Jones)がヘビー級チャンピオンになりました。が、UFCの現在の各階級のチャンピオンのほとんどは、アレクサンダー・ヴォルカノフスキー(Alexander Volkanovski)のように知名度は高くありません。このオーストラリア人はUFCパウンド・フォー・パウンド・ランキング1位の優れたファイターですが、アメリカでは全く人気がありません(これまでのところ)。MMAに関連するウェブサイト「ブラッディ・エルボー(Bloody Elbow)」を運営しているネイト・ウィルコックス(Nate Wilcox)は、先日、UFCは知名度が高くないアスリートと取引する方が有利なのかもしれない、と主張していました。なぜなら、そうしたアスリートは、低賃金である上に交渉力も低いからです。UFC会長ダナ・ホワイト(Dana White)はそのようなことは決して言っていませんが、先日、成功して既に大金を手にしているファイターのモチベーションを高めるのは難しい時が多いと言っていました。彼は言っていました、「彼らのやる気を復活させて、試合に出させて戦う気にさせるのは非常に難しい。」と。

 多くのボクサーや関係者は、素晴らしい試合を求めるファンが、格の低い試合を観戦することにも同じくらい喜びを見出していることに気づいています。 クロフォードがスペンスと対戦するという噂がボクシング関係者の間で出始めてから何年も経ったわけですが、それ以降、2人は他の選手と戦うことで多くの金を稼いできました。引き分けとなれば話は別ですが、土曜日の対戦は2人に対する評価の大きな転換点となるでしょう。おそらく、勝者は地球上で最も偉大な格闘家として称賛されるでしょうが、敗者は、おそらく永久にその評判を落とすことになるでしょう。現時点での掛け率を見ると、クロフォードが僅かに人気で上回っています。それぞれを推す声を見ると、それぞれに理にかなった言い分があるようで、どちらが勝者になるかは全く見通せない状況です。そうはいっても、どちらかの陣営が、そもそもこの対戦に合意しなければよかったと密かに思っている可能性があるかもしれません。この対戦が実現したのは、多くのボクシングファンが実現を熱望したことも理由の1つです。クロフォードとスペンスの両者には、特に遺恨があるわけでもありませんし、一般的な視聴者を引き付けるような謳い文句もありません。どちらかが、明確な嫌われ者であるわけでもなく、両者のバックボーン(出身国や人種や宗教)に根ざした対立が存在しているわけでもなく、対戦を煽って盛り上げる要素はいささか欠けているのかもしれません。それでも、無敗でチャンピオンに駆け上がった偉大な黒人アメリカ人ボクサー同士の対戦で、ファンが待ち望んでいたものです。懸念される点が無いわけではありません。スペンスは2019年に交通事故に巻き込まれ瀕死の重傷を負いましたが、完全に体調が戻ったか否かは気になるところです。クロフォードは、ユリオルキス・ガンボア(Yuriorkis Gamboa)とショーン・ポーター(Shawn Porter)との対戦でかなり強打を食らっていましたが、ダメージが抜けきっているか否かも気になります。とはいえ、最も気になるのは、ファンが待ち望んでいたこの対戦が、どれほどの視聴者を獲得できるかという点です。ボクシング界にとっては、ペイ・パー・ビューの契約者数がどこまで増えるかが気になるところです。

 7月25日(火)の午前中に行われたフルトンと井上の試合は、アメリカでの有料視聴者数はおそらくあまり印象的なものではないでしょう。しかし、視聴した人たちはきっと満足できたはずです。体格で劣っている井上がフルトンのサイズに苦戦すると予想していた者も少なくありませんでした。バンタム(リミット118ポンド)からスーパー・バンタム(リミット122ポンド)に階級を上げた井上が、4ポンドの壁を苦にするか否かに注目が集まっていました。軽量級では4ポンド(約1.8キロ)の差がとてつもなく大きいからです。しかし、井上は初回からまばゆいパフォーマンスを披露しました。現在最も印象的なキャリアを誇るボクサーが、噂にたがわぬ圧倒的なパフォーマンスを披露しました。彼は、最も優れたボクサーの1人であることを自ら証明しました。しかし、土曜の夜には、さらにすごいパフォーマンスを披露する者が現れる可能性があります。それがクロフォードかスペンスかは分かりませんが、相手を圧倒し井上を凌駕する圧巻のパフォーマンスを披露する可能性もあります。井上にはホームアリーナ・アドバンテージ(home-arena advantage)がありました。もっとも、彼はそれが無くとも問題無く相手を一蹴していたでしょう。井上は普通にボクシングをしただけかもしれませんが、出色の出来でした。フルトンを有効なジャブで苦しめ、まるでレーザーのような右ストレートを打ち込み、それらを織り交ぜた予測不可能な連打も浴びせました。解説者(元ボクサー)のティモシー・ブラッドリーJr.(Timothy Bradley, Jr.)が第3ラウンドが始まる前に言いました、「井上はこの試合を簡単に見せている。ワンサイドに見えるが、決して退屈な試合ではない。」と。終焉は第8ラウンドに唐突に訪れました。井上の強打がフルトンの後頭部をコーナーのクッションに激突させました。その直後にレフェリーが両者の間に割って入り、もう十分だと宣しました。井上の戦績は25戦25勝 (22KO) 無敗となりました。4階級制覇も達成しました。どうしても、マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao)を思い浮かべずにはいられません。言わずもがなですが、パッキャオは、フィリピン人ボクサーで、階級をいくつも上げて勝ち上がりました。派手な打ち合いを何度も演じてセンセーションを巻き起こしました。また、活躍はボクシング界だけにとどまらず、歌を歌ったり、ライブを開催したり、大統領選候補になったり、まさしく世界のセレブの1人になりました。井上がパッキャオのようにバラードが上手く歌えるか否かは不明です。しかし、彼が優秀なボクサーであることは明らかです。目の肥えたボクシング・ファンにとっては、それだけで十分なのです。♦

以上