本日翻訳して紹介するのは、the New Yorker のWeb版にのみ掲載のCal Newportの寄稿記事です。メールが人々をイライラさせ惨めな気持ちにすることに関する記事です。記事中では、eメールはコストがかからず、いつでも使える便利なコミュニケーションツールですが、その弊害が多いことが明らかにされています。
題名は”E-mail Is Making Us Miserable”(eメールは私たちを惨めな気持ちにさせています)です。私はこれまで考えたことも無かったのですが、この記事ではeメールが悪者にされています。eメールが仕事量を増やし、絶えずメールの着信が気になるし、すぐに受信トレイがいっぱいになりイライラさせられるとして、悪者扱いされています。そもそも人間は文字でのコミュニケーションは不得手だと断じられています。また、eメールにイライラさせられる根底には、人間が持つ「繋がっていたい欲求」があり、繋がりを切らさないため早く返信をしなければならないので不安感が生まれ惨めな状態に陥ると論じられています。
確かにそうかもしれません。ちょっと会議に出ていて戻ってきたら、受信トレイにいっぱい未読のメールがあったらうんざりしますし、休みの日に会社貸与のスマホをチラッと見て未読のメールがいくつもあるのを見るとうんざりします。
でも、私が思ったのは、そのイライラはeメールのせいなの?ということです。eメールが無ければ、受診トレイに未読のメールが溜まることは無いでしょうが、仕事で必要な連絡はeメールとは別の形で来るわけで、連絡自体が無くなるわけでも減るわけでもないので、電話や直接会う形でやり取りしなければなりません。つまり、eメールが溜まることが煩わしいのではなくて、そもそも仕事がたくさんあっていろんな相手とやり取りしなければならない状況が煩わしいのだと思います。私は、eメールでやり取りすることが多くなった現代は逆に便利な時代だと思います。必要があれば電話したり、直接会ったり、Webミーティングをしたり、eメールをしたり、好きな方法が選べるのですから。
eメールが無かった時代でも、ある時代でも、いつの時代でもやるべき仕事はいっぱいあって、それを上手く処理して成果を出せる優秀な人もいれば、イライラして全く成果を出せない人もいるということだと思います。eメールが無ければ受信トレイに未読メールが溜まってイライラすることは無くなるのかもしれませんが、それはとても不便な世の中ではないかと思います。
では、以下に和訳全文を掲載します。