動物が磁場を認識する能力
真のナビゲーション能力とは、ランドマーク(目印)が無くても遠くの目的地に到達する機能です。もしあなたが誘拐犯に捕らわれ、目隠しされたまま何千キロも離れた周りに人気のない場所に連れていかれて放置された場合、家に帰りたいと思うなら、真のナビゲーション能力を発揮するしか選択肢はありません。
そのためには、コンパスが必要ですし、それの使い方を熟知していなければなりません。たとえば、磁北(磁石が指す北)と真北(地図上の北)は同じではないとことも認識していなければなりません。それができない場合は、太陽の動きを基に方角を正確に認識出来なければなりません。しかし、誘拐犯があなたに緯度を教えることなど無いでしょうから、それは容易なことではありません。もし、暗くなってから移動する場合には、誘拐されたのが南半球でないことを祈るしかありません。というのは、南半球では北半球の北極星のように極を示す星がないからです。南半球であれば、ガリレオ・ガリレイと同じくらい夜空の星座の季節ごとの動きについて知識が無いと正しい方角は分からないでしょう。今挙げてきたことが全て可能で方角が正確に分かったとしても、地図が無いことが問題となります。目的地が現在地から見てどの方向、どのくらいの距離にあるかが分からなければ、目指す方向に正確に進める能力があったとしても役に立ちません。
一部の動物種は明らかにそのような地図を持っています。また、動物行動学者はそれを「map sense(地図感覚)」と呼びます。それは、どのようにして認識しているのかは謎のままですが、現在地と目的地の位置関係を認識する能力です。「map sense(地図感覚)」がある動物種にとって、地理的な認識能力は進化の過程で得られた能力で、遺伝によって引き継がれているもので、生まれながらにして備わっているものです。ヨコエビ(小さな甲殻類で海辺の砂浜で見られる。)も生まれながらにして、海を見つける方法を知っています。スペインのヨコエビは、脅威を感じると、大西洋岸の砂浜のヨコエビは西へ逃げ、地中海岸の砂浜のヨコエビは南に逃げます。ヨコエビを生む母体を産卵前にどこか別の場所から連れてきて、土地勘の無い場所で産卵させ孵化させても、ヨコエビは正確に海のある方角に向かいます。同じようなことは鳥類でも見られます。生まれて初めての渡りを1人で行う鳥類は、なぜか本能的に目的地を知っています。
しかし、どうして鳥類はそのようなことが出来るのか?本能だけでは説明がつきません。2006年、ワシントン州の動物行動学者たちは、ミヤマシトド (深山鵐)を群れごと捕獲しました。毎年カナダからメキシコに渡るのですが、飛び立って直ぐのワシントン州で捕らえました。そして、それらを窓が無く外の見えない小屋に入れてニュージャージー州へ移送しました。先ほどの誘拐犯とやっていることは同じですが、今回は捕まったのが鳥類であり、実験目的であるという点が異なっています。その群れを解放すると、幼鳥(今回が初めての渡りで、渡りをした経験が無い)は、南を目指して飛びました。ワシントン州で捕まった時に向かっていたのと全く同じ方角に飛んだのです。しかし、成鳥は西南西に飛びました。移送された距離と方向を認識して飛ぶ方向を修正していました。それが出来たのは、本能によるものでは無く、後天的に会得した能力によるものだと思われます。また、多くの鳥類で確認されていますが、長距離の渡りをする鳥類は、初めての渡りをする時にナビゲーション能力が強化されます。多くの場合、未知のことを知ってさまざまなことが認識できるようになります。他の実験によって明らかになっていますが、ミヤマシトドの成鳥は正しい軌道から1万キロ以上離れたところへ移送されても、正しい目的地へ向かうことが出来ます。
どうしてそんなことが可能なのか?現在、最も説得力のある説は、ミヤマシトドが地球の磁場を利用しているというものです。鳥類にはそうし能力が確かにあります。実際に、そうした能力を混乱させることが可能で、伝書鳩を鉄鉱石の鉱山の頂上で放つと、鉱山から離れるまで上手く飛ぶ方向を定めることが出来ません。多くの動物行動学者がそうした現象を研究し、同種の事例がないか調べた結果、分かったことがありました。それは、多くの鳥類のくちばしに、自然界に存在する鉱物で最も磁性の強い物体であるマグネタイトの小さな塊があるということでした。同じものがイルカやカメやバクテリアや他の生物にも見られました。興味をそそる発見で、一部の動物種の体内にはコンパスの針が組み込まれているという説は瞬く間に多くの人が知ることとなりました。
しかし、体内にコンパスの針が組み込まれているという説には、より詳細な研究が進むにつれて、少し辻褄が合わない部分が出てきました。一つには、くちばしにマグネタイトがある鳥類がナビゲーション能力を発揮させる際には、東西南北の方位を認識する能力を使っていないということです。私たち人間がコンパスを使用するのは方位を知るためですが、鳥類のマグネタイトはその目的では使われていないのです。地球の磁場の傾きを認識するために使われていたのです。つまり、両極から赤道に向かって地表を移動する際、地表面と磁場との間の角度が変わりますが、それを認識していたのです。しかし、磁場の傾きを認識しても、角度によって極点からどのくらいの距離にいるのかを把握することが出来るものの、南極か北極のどちらに近いのかは分かりません。鳥類のマグネタイトには何らかの役割があるのでしょうが、コンパスの針の役割は果たしていないようです。さまざまな実験が進められた結果、もっと奇妙なことが浮かび上がってきました。それは、マグネタイトがある鳥類は、光がマグネタイトの磁力に何ら影響を及ぼさないにもかかわらず、赤い光を浴びると時として方向を見失うということです。
この奇妙な現象には、特定の動物の網膜に存在しているクリプトクロムというタンパク質が関与していると思われます。一部の動物行動学者は次のように理論付けしています。クリプトクロムの分子に1個の光の光子が当たると、分子の中の1個の電子が所定の位置で揺れ動き、いわゆる「ラジカル対」と呼ばれるものが生成されます(ラジカル対は、不対電子を持った分子2つが対となったもの。一方は移動してきた電子を含んでおり、他方は移動により電子が欠けている)。続いて、対となっている分子2つにおいて電子がスピン(自転)状態となりますが、それは地球の磁場に対する分子の相対的な方向に依存しています。この理論によれば、一連のそうした反応によって動物は常に周りの磁場がどのように変化しているかを認識することが出来るのです。
上のことを完全に理解出来ない場合には、気にする必要はありません。なぜなら、クリプトクロムと動物のナビゲーション能力の関係を研究している研究者でさえ、それがどのように機能しているかを正確には理解できていないのですから。そうした研究者の中には、クリプトクロムが本当はナビゲーション能力と関係が無いのではないかと疑う人も少なからずいます。それでも、地球の磁場は沢山の動物種のナビゲーション能力にとって重要であることは明白です。非常に重要であるので、さまざまな動物種が進化の過程で地球の磁場の極性や強さや傾きを認識する能力を獲得してきました。動物は、そうした能力を使うことで、移動する際の問題が解決出来るようになったのです。そのように動物が地球の磁場を利用しているという説は、筋が通っていますし、どの動物種にも当てはまります。また、地球上のどの場所でも通用します。というのは、磁場は地球上のどこに行っても在るからです。もし、磁場を検出する手段が1個だけでなくいくつもあれば、昼でも夜でも、好天時でも荒天時でも、空中でも地上でも、水中でも地中でも、磁場を頼りに移動することが出来ます。
多くの動物種のナビゲーション能力は地球の磁場を利用しているということが分かってきたわけですが、かつては、目的地まで効率よく移動する能力は、高度な分析力と高度な機器が必要で、人間に特有のものであると考えられていました。しかし、そうではなく多くの動物種が保持している能力であることが分かってきました。多くの鳥類に、鮭と同様にナビゲーション能力が備わっています。隙間を開けずに2列に並んで進むイセエビも素晴らしいナビゲーション能力を持っていて、方向感覚を失うことは不可能であるように見えます。バリーが著書で説明しているのですが、イセエビの目を覆い、棲んでいた海の水を満たした不透明なコンテナに入れ、コンテナの中には糸でつ吊るした磁石をぶら下げてブラブラさせて(磁場を認識させないため)、そのコンテナをトラックに積み、トラックをボートの停めてあるところまで移動させ、コンテナをボートに積み込み、目的地までボートを走らせ、そこでイセエビを海中に放しました。驚くべきことですが、イセエビは迷うことなく戻るべき場所(棲んでいた場所)に向かって、正しい方向を進んでいきました。