アメリカは高齢化し過ぎ?もう限界!高齢者層が未来を食い潰す―若者を犠牲にする「老人支配」の現実!

3.高齢化社会の問題

 老人支配は、現在のアメリカが抱える問題の正しい診断名なのだろうか?「カレント・アフェアーズ( Current Affairs:政治と文化に関するトピックを左派的な視点から議論する隔月刊誌)」の編集者であるネイサン・J・ロビンソン( Nathan J. Robinson )は、モイン教授の認識には瑕疵があると主張する。ロビンソンは「高齢者が問題なのではない( Old People Aren’t the Problem )」と題した論文を出している。高齢者全員が裕福で権力を持っているわけではない。実際、2019 年には 65 歳以上の人々の資産の 70% は、アメリカの高齢者のわずか 10% に属していた。「富は高齢者にも若者にも集中しているわけではない」とロビンソンは記している。「実際には富は金持ちに集中しているのである」。彼が指摘しているのは、現在のアメリカにおいて進歩的な思想を推進するために最も尽力してきた政治家は、84 歳のバーニー・サンダース( Bernie Sanders )である。実際、サンダースは全く衰えを見せていない。サンダースが年齢を理由に強制的に引退させられたら、世界はもっとギスギスするのではないか? 「階級闘争は老若の対立と多少重なる部分もあるが、連邦政府が採用すべき政策は富と権力の再分配を目的としたものでなければならない。それ以外はあり得ない」とロビンソンは結論づけている。「そうでなければ、より若い支配階級に搾取されるだけである」。

 また、若さを重視することも重要であるが、年齢を重ねることで得られる知見を最大限に活用する方法を学ぶことも重要である。先月、とある研究チームが「加齢と科学的イノベーションの狭まり( Aging and the Narrowing of Scientific Innovation )」と題した論文を発表した。その中で 1960 年から 2020 年の間に論文を発表した 1200 万人以上の科学者の業績を分析している。科学者の加齢について、主に 2 つの理論があると彼らは説明している。1 つは、経験によって「知識の重荷( burden of knowledge )」を担う能力が向上し、それによって科学者は成長するというものである。もう 1 つは、加齢によって必然的に科学者の創造性や革新性が低下するというものである。その論文は、様々な分析を試み、より微妙な状況を明らかにした。高齢の科学者は全く新しい発見をする可能性は低くなるが、「これまで関連付けられていなかったアイデアを結びつけることで、組み合わせによるイノベーションに長けていく」のである。高齢の科学者が古い論文を引用するなど、科学者が歳を取ると懐かしい業績や発見などばかりに目を向けるという現象が生じる可能性はあるものの、これは必ずしも問題ではない。逆に、研究分野における「連続性( continuity )」が担保され、若い科学者に時代を超えて通用する古いアイデアを紹介することになる。この論文に記されているのだが、科学界全体で高齢化が進んでいる可能性があるが、年齢的なバランスを取り戻すには、若い科学者の能力を高めるだけでなく、年配の科学者との連携を強化する必要がある。この論文の著者たちは「世代を超えたフラットな共同研究( intergenerational, flat collaborations )」を推奨している。

 若者による統治を表す言葉で広く受け入れられているものはない。ジュベノクラシー( Juvenocracy )という語はほとんど定着していない。さて、多くの人々、特に多くの若者にとって、モイン教授が描写する老人支配の現実は、技術全般の急速な進歩、特に人工知能の超破壊的な可能性によって、若者が権力を握っているという感覚と並行して存在している。AI 構築プロジェクトは少なくとも 1950 年代にまで遡るが、今日の AI 開発は主に 40 代以下の人々によって主導されているようである。AI の最も先進的な思想家たちは、人間の規模と速度で思考することを必要とする旧来の世界は、自動推論の普及によって時代遅れになると、ほとんど喜びをもって宣言している。もちろん、AI がもたらすメリットの 1 つは、科学と医学のさらなる進歩である。AI が期待通りに機能すれば、人々はさらに長生きになり、より繁栄することができるだろう。私たちは、一方では加速する技術革新、他方では寿命の伸長によって生じる保守的な衝動という、2 つの相反する要素の間で、さらに宙ぶらりんな状態に陥るだろう。

 若者と高齢者の間の断層は確かに存在する。私は 40 代半ばで、幼い子供が 2 人いる。ロングアイランドで学校予算が否決された数少ない学区の 1 つに住んでいる。残念ながら、新予算が否決されれば、個別指導、音楽、スポーツなどのプログラムが大幅に削減されるだろう。こうしたリスクを喜んで受け入れて予算案を否決したのは、わずかな増税にも警戒する高齢の有権者だろうと、私の知人のほとんどは考えている。Facebook では、子供たちのためのサービスを求める親と、「私の時代にはそんなサービスはなかった」と言う高齢の住民との間で議論が交わされている。町には新しい住宅を建設できる空き地や空きビルがたくさんあるが、住民は不動産価値を守るために、新たな開発を拒否し続けている。現状維持が支配している。しかし、過去に固執しているのは高齢者だけではない。回顧的な雰囲気が至る所に漂っているようである。いろいろな人と話をしてもこの町で未来への希望を口にする人はほとんどいないような気がする。私たちが老人支配社会に生きている兆候の 1 つは、多くの人々が、活力にあふれ、誰もが若かった昔のアメリカを懐かしんでいることかもしれない。

 老人支配を打破するには、未来を受け入れることが不可欠である。高齢者は未来に関心を持ち、その形成に積極的に参加したいと願うべきであり、同時に、自分たちより若い世代が舵取りをする権利を認める必要がある。また、若い世代も自分たちの未来には老いも含まれることを理解しなければならないし、現在の社会を築き上げた高齢者から学ぶ必要もある。老人支配が社会の重荷となっているとすれば、私には実際にそうであるように思われるのだが、その弊害の 1 つは、それに対する抵抗が世代間の争いという形を取りやすいことにある。しかし、実際には、若者による高齢者の打倒しか進歩に繋がる道がないわけではない。進歩は常に起きている。前進し続けている長い歴史の中で、若い世代と高齢者はわずか数十年しか隔てられていない。進歩は、私たちが受け継いだ世界よりも良い世界を後世に残したいと願っているという共通の認識に基づいているのである。♦

以上