2.出生率世界最低の国 韓国
煌びやかな高層ビルが立ち並ぶ未来的な光景のソウルにいると、人口減少のリスクが迫っていると感じることはない。韓国の総人口の約半数にあたる 2,600 万人が暮らす首都圏は、おそらく先進工業国で最も人口密度の高い地域である。11 月にそこを訪ねたのだが、地下鉄のプラットフォームではスマホをポケットから取り出すようにアドバイスされる。電車に乗ると取り出すのは不可能だからである。地下鉄車両には赤紫色の座席がある。妊婦専用席である。まだお腹が大きくない妊婦には、妊娠を証明するメダル(首からぶら下げる)が授与される。説明する動画が繰り返し流れ、乗客に正しいエチケットを啓蒙している。ラッシュアワーの混雑の中でも、妊婦専用席は空席が目立つ。それは、実用的な配慮というよりも、妊婦を歓迎するという意を表すことを重視する行為に見える。
絶滅の前兆をいたるところで見ることができる。中年の韓国人は、子供がたくさんいた時代を覚えている。1970 年には 100 万人の赤ん坊が生まれた。団塊の世代の平均的な教室には 70〜 80 人の生徒がおり、多くの学校で生徒を午前と午後のシフトに分けざるを得なかった。今の韓国からは全く想像することができない姿である。2023 年の出生数はわずか 23 万人であった。ある粉ミルクメーカーは、高齢者向けに筋力増強スムージーを製造するために自社の設備を一新した。約 200 の児童用施設が老人ホームに生まれ変わった。同じ施設長が業務にあたり、ゴム引きの床、事務文具などが引き継がれて使われていることもある。ある田舎の学校は猫の保護施設として再利用されている。韓国人の誰もが、人口が不可避的にゼロに近づくという予測を耳にしたことがあるだろう。ソウル大学校( Seoul National University )の著名な人口統計学者であるチョー・ヨンテ( Cho Youngtae )は、私に言った、「道行く人に『韓国の合計特殊出生率は何 % か』と聞けば、みんな答えを知っている」。ほとんどが小数点第 2 位まで知っているという。韓国には優秀な人口統計学者がたくさんいる。
ソウルの外に出れば、子供たちはほとんど幻の存在である。2023 年に入学予定者がゼロだった小学校は 157 校もあった。その年、海辺の村、梨園面( Iwon-myeon )の新生児は 1 人だった。村全体が「愛らしい天使のような赤ちゃんの誕生」を祝う垂れ幕(両親の名前入り)で飾られた。朝鮮半島の南端に位置する海南郡( Haenam )のある村では、ソウルオリンピックが開催された 1988 年に生まれた新生児が最後である。
海南郡は、タンクット( Ttangkkeut:世界の果ての意 )と呼ばれる風の吹き渡る岬が有名である。その岬から遠くないところに、かつては 1,000 人以上の児童がいた小学校がある。私が訪れた 11 月にはたった 5 人だった。パステルカラーの虹がファサードを明るく照らし、正面にはタンクトップ姿でたいまつを掲げた少年の像があった。台座には「体力こそが国家の力」と刻まれていた。玄関には私のためにスリッパが一足準備されていた。脇には、過ぎ去った栄光でいっぱいのトロフィーケースがあった。また、3 人の 1 年生と 2 人の 6 年生の名前となりたい職業を紹介するポスターがラミネートして貼ってあった。1 年生はそれぞれ警察官、建築家、アイドル歌手になるのが夢で、6 年生はトラック運転手、戦闘機パイロットであった。2006 年に公開されたアルフォンソ・キュアロン( Alfonso Cuarón )監督の映画「 Children of Men (邦題:トゥモロー・ワールド)」に印象的なシーンがある。不毛な世界を描いたディストピア映画なのだが、ゴミが散乱した学校の廊下を 1 匹の鹿が駆け抜ける。私が訪れた小学校は荒廃はしておらず、廊下はピカピカで、どこも掃除されており壁もキレイだった。かつての校長室は、保護者との面談に備えてほこりが払われていたが、ほとんど使われていないようだった。隣も空き部屋で、かつて放送室として使われていたことを示す巨大音響設備が設置されていた。様々な高さのマイクが 5 本残っていた。まるで一夜にして全員が蒸発してしまったかのようであった。
この学校の責任者イ・ヨンミ( Lee Youngmi )は、スパイラル製本機( spiral-binding machine )やラミネーター( laminator ) など、ピカピカの機器類が並ぶメインオフィスに、警戒しながら私を迎え入れた。ジンジャーティーとクッキーを勧めてくれた。彼女が着任した 10 年前、生徒数は 60 人だったという。しかし、周囲の町はすっかり寂れてしまった。日が暮れるまでろうそくが灯されていた大規模な家畜市場はなくなり、醸造所、製材所、警察署、郵便局も姿を消した。多くの保護者が市民生活の中心地として維持しようと戦ったわけだが、今いる子供たちは遊ぶ相手がいないと不満を漏らしている。教師たちは、昔の韓国のスーパーヒーローが登場する漫画になぞらえて、今いる 5 人の児童を「イーグル 5 兄弟( the Eagle Five Brothers )」と呼んでいた。リーは孤独に慣れていた。私を部屋に残して出ていく際に、彼女は反射的に暖房を消した。
6 年生を受け持つ教師のカン・ウヨン( Kang Wooyoung )は 20 代の男性であるが、やはりあきらめ顔だった。教え子 2 人は 1 年からずっと見てきたという。2 人は仲が良いか尋ねた。彼はその質問に困惑したようだった。確かに 2 人は時々ケンカはするが、同時に 2 人は他に同年代の子供を知らないのである。「メリットは、生徒たちと親密になれることである」と彼は言った。「デメリットは、集団の中で社交性を身につけられないことである」。 6 年生の 1 人に障害があるため、その子のために特別支援学校教諭が 1 人雇われているが、その経費を正当化するのは難しい。子供たちの生活パターンが、見知らぬ新入生の登場や片思いの苦しみの拗らせで乱される可能性は低い。この小学校は来年閉鎖されるかもしれない。カンは、自分の子供時代の夢を叶えて新卒で教師になった。今もこの仕事が大好きである。しかし、町に友達は 1 人もいない。
午後の授業が始まろうとしていた。2 つのオプションがあった。 3D プリンターと、リーが 「新しいスポーツ ( new sport )」と呼ぶものである。火曜日に行われる新しいスポーツについて、彼女は私に詳細を教えてくれなかった。過去にはバレーボール、バドミントン、サッカーの授業があった。それらは人員が潤沢でないと不可能であり、今は無い。リーは私を連れて学校内を案内してくれた。遺物の雰囲気が漂う博物館のようだった。照明はないが装備が充実している体育館、ちょっとしたステージを備えた薄暗いカフェテリア、見捨てられた巨大な運動場、荒れ果てた野球場などを見た。人口動態の現実に唯一対応したと思われるのは、1 人で卓球の練習をできる自動卓球マシンであった。
世界の終わりは、通常、パニックと英雄の物語としてドラマ化されることが多いが、人口減少は地味にひたひたと迫りくる大災害である。前述の映画「トゥモロー・ワールド」のある場面で、クライヴ・オーウェン( Clive Owen )演じる主人公が、ミケランジェロ( Michelangelo )のダヴィデ像( David )やピカソ( Picasso )のゲルニカ( Guernica )などの美術品を所蔵する所有者に向かって、「 100 年後にはそれらを見る哀れな奴は 1 人もいなくなる。君は何が目的で蒐集しているんだ?」と問う。問われた人物は答えた、「そんなこと考えたことはないさ」。