世界中に押し寄せる少子化の波?このままでは子供がいなくなる!

6.子供を持たないことを選択する者が多い

クリスマス直前、アメリカの出生率が過去最低を記録したというツイートが拡散すると、一部のリベラル派は紙吹雪を吹き飛ばした。ある若い女性は「すごい、みんな、頑張れ!!!!!!」とツイートし、2 万 6 千回リツイートされた。あるコメディアンはフォロワーに「我慢して!!!!!」と呼びかけた。昨年、哲学者のアナスタシア・バーグ( Anastasia Berg )と編集者レイチェル・ワイズマン( Rachel Wiseman )は、いずれも非の打ちどころのない進歩主義者であるが、「 What Are Children For? (未邦訳:子供は何のためにいるのか?)」なる著書を出版した。その内容は、思慮深く、微妙で、かなり限定された条件付きで、出産はまあまあ良いことであるという主張にまで発展している。作家モイラ・ドネガン( Moira Donegan )のレビューは痛烈で、相反する感情を持つアメリカ人女性にとっては、こうした助言は邪魔くさいと指摘した。ドネガンは、赤ちゃんは良いものだと強調する必要性を感じている左翼は、結局は左翼ではないかもしれないと主張する。「常に意識しているわけではないかもしれないが、あるレベルでは、ミレニアル世代の出生促進論者( pro-natalists )は、ロー対ウェイド判決で失った自由は価値がなかったと感じているかもしれない」。

 リプロダクティブ・オートノミー( Reproductive Autonomy:生殖に関するすべてのことを自分で決められる権利)がかかっていることを考えると、ドネガンの気持ちは完全に理解できる。ほとんどの左派アメリカ人も同様であるが、出生促進論議に不信感を抱いている。ウィスコンシン大学マディソン校( the University of Wisconsin-Madison )のフェミニストの人口動態研究者のリー・センデロウィッツ( Leigh Senderowicz )は、「女性の身体を道具として扱わずにこれを行う方法は基本的にない」と語った。国連によると、出生促進政策をとる国は民主主義的でない傾向があるという。イタリアのピエモンテ地方( Piedmont region )で実施された出産ボーナス制度には、ファシズムへのオマージュのように思える名前とロゴが付けられていた。経済学者エバーシュタットは、「中国では、『申し訳ありませんが、ウォンさん( Miss Wong )、あなたは未婚なので飛行機には乗れません』と言う仕組みが整っている」と語る。地元の党当局者はすでに、月経周期を追跡するために戸別訪問を行っている。ロシア政府は先日、「子供を持たないプロパガンダ」を犯罪とする法律を可決した。これにはテレビやソーシャルメディアで子供を持たない幸せな夫婦を表現することも含まれる可能性がある。

 進歩主義者の中には、子供を持たないというプロパガンダに抵抗がない人もいる。バースストライク運動( the BirthStrike Movement )は、「子供を持たないことは、気候変動を逆転させるために人が下せる最も影響力のある決断である」と宣言している。これは理にかなっているように思えるかもしれないが、人口減少の進行は遅いので気候変動の最悪の影響を緩和するには役立たないだろう。既に生まれた多くの子供たちが、涼しい地球を既に熱くしている。著書の中で、バーグとワイズマンは、少子化が環境保全に寄与するという論理は、そうでなければ表現しにくい個人的な好みに道徳的正当性の覆いを与えているだけであると主張する。ある学者はこれを「生殖能力の社会的政治的武器化( socio-political weaponization of fertility )」と呼ぶ。

 リベラル派が、人口減少の経済的影響を緩和する確実な方法として移民を挙げるのは正しい。イタリアでは現在看護師が不足しており、ドイツでは配管工が不足している。今日生まれた赤ちゃんがデュッセルドルフの流し台の詰まりを解消することはできない。しかし、移民ですらその場しのぎの手段に過ぎない。2100 年までに、世界の国々の 97% で出生率が人口置換率を下回ると予測されている。その間、移民推進政策をとる国が多いであろうが、引き続き移民排斥の声は下火にならないであろう。昨年、ソウルはフィリピンから乳母( nannies ) 100 人を輸入する試験的プログラムを推進した。このプロジェクトは、場当たり的なものであったが、非常に物議を醸した。普通に考えればそれは予想できたことである。韓国の女性は、ベトナム人の嫁がリンゴの皮を間違った方向にむくと叱責することで知られているからである。アメリカのリベラル派は、文化の腐敗に対する恐怖を外国人嫌悪( xenophobia )とすぐに結びつける。しかし、韓国は長い間中国の属国であったし、その後日本の植民地となったため、文明の存続という問題は、アメリカとは少し異なる意味合いを持っている。そして、リベラル派でさえ、たとえば言語の多様性の喪失については当然ながら感傷的になる傾向がある。フィンランドの人口統計学者アンナ・ロトキルヒ( Anna Rotkirch )は、昨年エストニアで生まれた赤ちゃんは 1 万人にも満たなかったと指摘する。「エストニア語はどうなってしまうのか?」と彼女は言った。「これは遠い未来の話ではなく現実に起こっていることである」。

 最も洗練されたリベラルな議論では、出生率の低下は、より深刻な根底にある問題、つまり経済の不安定さと不完全なジェンダー革命の兆候であると解釈されている。男性も女性も家族を養うのに苦労しているが、家庭における父親の参加は、仕事における母親の参加よりも遅れている。より寛大な福祉国家、より公平な文化であれば、より多くの子供が生まれるはずである。しかし、そうではないようである。フィンランドは、新しく親になった人全員に、便利で高品質の製品が詰まった「ベビーボックス( baby boxes )」を提供していることで有名である。スウェーデンは、特に父親の育児休暇の延長とフレキシブルな勤務時間を制度化している。北欧諸国は親になるには素晴らしい場所であるが、出生率はアメリカよりも低い。また、出生率の増減は予算の問題から説明できるものでもない。保育料はウィーン( Vienna )では事実上無料で、チューリッヒ( Zurich )では極めて高額である。しかし、オーストリアとスイスの出生率は同じである。

 民主党支持者における無子率は共和党支持者よりも大幅に高い。これは教育の二極化が一因となっているようである。出生率の低下は、子供の適切な発育には多大な個人的な配慮が必要であるという認識と相関していると思われる。一部の経済学者は、最近の出生率の低下は世代交代のせいだと考えている。1990 年代生まれの人は、子供がほとんど放っておかれた時代を思い出す可能性は限りなく低い。今日の働く母親は、以前の世代の専業主婦の母親よりも、積極的な子育てに多くの時間を費やしている。大学卒の母親は、学位を持たない母親よりも、子供と過ごす時間が週に約 4 時間長く、親戚の近くに住む可能性も低い。高度に熟練した労働者が重用される経済においては、長期にわたる教育とそれに続く長期の職業訓練が、安定した収入を確保する唯一の方法のように思える。しかし、家族を作ろうとするのを遅らせれば遅らせるほど、家族を持つ可能性は低くなってしまう。

 誰もが望む数の子供を持てるくらい経済的に余裕がある状態になる権利がある。このことには誰もが同意するだろう。しかし、「余裕がある( afford )」という言葉は人によって意味が異なる。達成志向の文化( achievement culture )が強い沿岸諸州では、個室、ピアノのレッスン、ラクロスチーム、ロシア式数学、単一産地のオーガニックピーナッツバターなどがその条件に加わる。

 人類の歴史の大半において、子供を持つという行為は誰もがあまり深く考えずに行っていたことであった。今や、それは多くの選択肢の中の 1 つにすぎない。世界的な出生率の低下の包括的な説明は 1 つしかない。それは、出産が特別なこと、つまり神や先祖あるいは未来に対する義務と見なされなくなることによって、人々が出産を控えるようになったというものである。リプロダクティブ・オートノミー(生殖に関するすべてのことを自分自身で決められる権利)を自己満足( self-indulgence )と同一視することは女性蔑視である。子供を持たない者が愛情深く良心的な介護や看護に専念することは少なくない。同時に、消費の論理における単なる好みの問題として、子供と高価なディナーやベニス( Venice )への休暇を天秤にかける世界観には、少し不快感を覚えるものがあることを認めるべきである。