なぜ知識人たちは終末を語り始めたのか?アメリカでシナリオ思考が隆盛! 生物兵器戦争は世界を滅ぼすのか?

The Weekend Essay

The Rise of the “Scenario,” a Trendy Way of Forecasting our Dystopian Future
ディストピア的な未来を予測する流行の手法、「シナリオ」の台頭

In “Biological War,” Annie Jacobsen imagines society collapsing from a man-made plague—part of a wave of such prophecies. But what do we miss when we try to predict the future?
アニー・ジェイコブセンの新著「生物兵器戦争( Biological War )」は、人為的な疫病によって社会が崩壊する様を描いている。これは、近年相次いでいる予言の一つである。さて、未来を予測しようとする時、私たちは何を見落としているのだろうか?

By Gideon Lewis-Kraus July 25, 2026

1.

 1989 年の秋、ソ連の選りすぐりの科学者数名がモスクワ郊外の辺鄙な町、オボレンスク( Obolensk )に召集された。精神病院のような外観の施設で、大量殺戮のための画期的なテクノロジーについて話し合いがなされた。もし宇宙空間からこの施設での活動を監視していたとしたら、それは決して技術的に不可能な話ではないわけだが、敷地内をうろついたり、パジャマ姿でバレーボールをしたりする多くの患者の姿が目に入っただろう。彼らは役者で、恐ろしい企ての偽装工作のために、精神異常者を演じるために雇われたのである。施設の中心にある 8 階建てのガラス張りの建物は、表向きはワクチン製造に使われていたが、実際には極秘の国防施設だった。ロシア語で「バイオプレパラート( Biopreparat )」、つまり「生物学的製剤( biological preparations )」のための施設である。招集された科学者の 1 人は後にこれを「水素爆弾の開発以来、ソ連で最も野心的な兵器開発計画」と評した。そこで行われた最新の実験により、インフラをまったく傷つけずに敵国を全滅させることができる兵器の実現可能性が実証された。それは、数時間以内に拡散し、数日以内に感染者を死に至らしめ、既存のあらゆる治療法に抵抗するように遺伝子操作された病原体だった。

 この計画は明確な条約違反である。1969 年にリチャード・ニクソン( Richard Nixon )大統領はアメリカが秘密裏に進めていた生物兵器開発計画を一方的に中止した。続く 6 年間で国際社会は生物兵器禁止条約( the Biological Weapons Convention:略号 BWC )を批准した。生物兵器の開発・生産・貯蔵・取得・保有・移転(拡散)が平時も戦時も全面的に禁止された。これは極めて微小な生命体を規制するための協定だったが、空母が通り抜けられるほどの大きな抜け穴があった。例外規定があり、防衛目的での生物兵器開発を認めている。この例外規定は大きな問題であるが、それ以外の問題の方が大きかった。そもそもこの条約には国際的な検証・査察の仕組みが実質的に皆無だったのである。おそらくソ連だけがこの条約を破ったわけではない。

 オボレンスクでもっぱら議論されたのは、「キメラ( chimera )病原体」である。複数の異なる病原体から取り出した微小組織を混在させて作った人工病原体である。このようなことは、原理的にはこの 20 年前から可能と考えられていた。感染の初期段階では、その病原体は既知の病気に似ている。そのため、標準的なワクチンや薬剤での治療が可能に見える。そこで、抗生物質が投与される。すると、最初の段階では鳴りを潜めていた病原体の中の別の性質が活性化する。適切な治療が為されず放置された感染者は、耐え難い苦痛に見舞われ、死に至る。治療を施された感染者もまた、異なる形の苦痛に襲われる。やはり死に至る。感染拡大の第一波は、多くの人を死に至らしめるだろう。第二波は、敵対政権に対する国民の信頼を決定的に損なうだろう。いつの世でも、感染症による大量死は、混乱による大量死の前兆となる。

 バイオプレパラートの作業の多くは、シベリアの森林地帯にあるロシア国立ウイルス学・生物工学研究センターで行われた。通称ヴェクター( VECTOR )である。生物研究のための最高封じ込め施設であった。いわゆるバイオセーフティーレベル 4 ( BSL-4 )の施設である。当時、生きた天然痘菌( smallpox bacteria )の公式に認められた保管施設 2 つのうちの 1 つだった。ちなみにもう 1 つはアトランタの疾病対策センター( the Centers for Disease Control and Prevention )である。同施設の冷凍庫には、エボラ( Ebola )、マールブルグ( Marburg )や他のウイルス性病原体のサンプルも保管されていた。各国の諜報機関が以前から認識していたように、ロシア連邦はソ連が中断した事業を引き継いでいた。2019 年 9 月 6 日にヴェクターで爆発が発生し、作業員 1 人が 3 度の火傷を負って医療施設に搬送された。ロシア当局は事故の原因をガスタンクの欠陥と発表した。消防隊が消火にあたり大惨事は回避された。

 これまでの記述はすべて真実である。これは、アニー・ジェイコブセン( Annie Jacobsen )の新著「生物兵器戦争:シナリオ( Biological War: A Scenario )」の現実版序章と言えるだろう。これは、ジェイコブセンの「核戦争( Nuclear War )」の続編とも言える作品である。前作と同様、やや現実離れした話であり、同時に由来や性質の違う複数のものが 1 つに混ざり合っていてキメラ的でもある。歴史的資料と現代の情報源から得られた調査報道の要素と、現実と重なるものの憶測に基づくフィクションの要素が融合している。ジェイコブセンは次のように述べている。「これから述べるシナリオは、遺伝子組み換え生物兵器が実戦に投入された後の数時間、数日、数週間について記したものである。大統領顧問、国防総省職員、医師、微生物学者、疫学者、外交官、国会議員、大量破壊兵器対策に取り組む CIA 職員、連邦緊急事態管理局職員への独占インタビューから得られた事実と予測に基づいている。また、多数の死傷者が出る大規模な生物学的インシデントやテロ攻撃に備えて訓練を行っている初期対応者(消防士、救急隊員、警察官、医療従事者など)にも話を聞いた」。彼女はさらに、「取材を続ける中で、国防総省が実施する生物兵器戦争のシナリオをかなり具体的にイメージできるようになった」と述べている。

 ジェイコブセンの新著はヴェクターでの新たな火災から始まる。今回は延焼が抑えきれず、ウイルスは 1 週間も経たないうちにアメリカ全土に広がる。連邦政府は戒厳令を敷く。国家の機能は損なわれる。大統領は地下壕に一人閉じ込められる。おそらく永遠にその状態が続く。地上では、100 万人もの武装した兵士が防護服を着用して巡回している。それ以外のほとんどの人は死んでいる。ネタバレを気にする必要はない。なにせジェイコブセン自身が序文の最後に、この本は「ディストピアで終わる」と警告しているからである。

 この物語の中で展開される架空の出来事は、大部分において非常に説得力のある詳細に基づいている。彼女は時折、メインの物語の流れを中断して、背景を理解する上で必要と思われる「歴史の教訓」についての説明をする。危険なのは、信憑性のある終末論は、同時に現実離れしているように感じられる可能性があることである。不確実性の恐怖は、管理可能なリスク、つまりどこかの誰かが責任と先見性を持って管理するリスクという言葉に翻訳される。謝辞の中でジェイコブセンは、この物語の綿密なリアリズムは単なる文学的手法に過ぎないことを読者に思い出させようと試みている。彼女が敢えて説明したのは、この本のタイトルは「生物兵器戦争:一つのシナリオ」であり、「生物兵器戦争:唯一のシナリオ」とはしなかったことである。他にもいろんなタイトルの案があったが、いずれもより凡庸だったという。