なぜ知識人たちは終末を語り始めたのか?アメリカでシナリオ思考が隆盛! 生物兵器戦争は世界を滅ぼすのか?

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 この物語は、フランクフルトの「混雑したディスコ( crowded disco )」で幕を開ける。1 人のアメリカ人男性旅行者が狩猟目的でシベリアに向かう途中でフランクフルトに立ち寄る。彼はそこで、人間を最も残虐な方法で殺すために作られた肺ペスト( pneumonic plague )菌に感染した。もし彼が通常の肺ペストに感染していたら、症状が現れた時点で既に寝込んでいたはずである。しかし、彼は体調が悪くなるどころか、信じられないほど気分が良い。陶酔感さえ覚える。この肺ペスト菌は、神経化学的に高揚感をもたらすように巧妙にデザインされていた。感染者は躁病的になり、どうしようもなく社交的になる。しかし、帰路のテキサス行きの飛行機が巡航高度に達する頃には、彼はもはや陶酔感を感じなくなった。肺が壊死し始め、彼はトイレに血まみれの黒い吐瀉物を吐き出す。壊死した組織からは「腐敗した悪臭」が漂った。まわりの同乗者はその臭いを近くにいた赤ちゃんの汚れたおむつのせいだと考えた。

 理論上、彼が乗っていた飛行機を着陸後に隔離する時間はまだある。アメリカの諜報機関はヴェクターの事故を知っている。偵察衛星が爆発発生から数分以内に報告した。大統領が緊急の深夜会議を招集するのに要した時間はわずか 11 時間だった。この対応の速さは新型コロナの影響によるものである。保健当局は「パンデミック中に犯した過ちは二度と繰り返してはならない」と自らに言い聞かせており、この状況を新型コロナより深刻であると認識している。作中で CIA 長官が言うように、「ヴェクターの病原体保有量を考えると、武漢よりも悪い状況に陥る可能性は十分にある」。封じ込めは喫緊の課題である。国防長官(作中では戦争長官であるが)が予防措置として核攻撃を提案する。熟議の結果、最終的には核による壊滅は新たなパンデミックよりも好ましくないと判断される。ロシア政府はまだ相応の懸念を表明しておらず、アメリカ大使館からの緊急メッセージにも応答しない。ロシア政府はすでに国民に対し、「今回の事故は周辺地域に何ら脅威を与えるものではない」との声明を出している。

 ロシアの公式発表は、地元住民に死者が出始めた時点で通用しなくなる。そこで、クレムリンは、死因を肺ペストを媒介する可能性のあるマーモットのせいにするという筋書きに転換する。マーモットは森林に生息する動物で、シベリアの人々は生の内臓に薬効があると信じている。多くの密猟者がおり、生鮮市場で普通に売られている。これは、1979 年に実際に起きた事件を想起させる筋書きである。ソ連の別の研究所の近くで数十人の町民が誤ってエアロゾル化した炭疽菌によって死亡したのだが、その死因が「闇市場で売られた汚染された肉を積んだトラック」によるものとされた。ジェイコブセンの小説で、アメリカの諜報機関がロシアの説明を信用しないという結論に至る理由は、過去にさんざん欺瞞的な説明を繰り返して来たことにある。さらに言えば、季節が晩春だからである。マーモットは冬眠している。

 ドミニカ共和国にまで感染が広がるのに 3 日もかからなかった。同国海軍が決死の覚悟で脱出を図るがアメリカ軍の圧倒的な力で阻まれた。しかし残念ながら、肺ペストは既にアメリカ本土にも蔓延していた。ロサンゼルスのスキッド・ロウの近くでは、貧困層や多くの病人が救急医療施設に押し寄せた。彼らは泡立った痰の塊のような吐瀉物を撒き散らした。同地の医療関係者には、肺ペストに適切に対応する能力が備わっていない。肺ペストが発生するのは 100 年ぶりのことだった。終末的な光景が繰り広げられる。ゾンビ映画や一人称視点シューティングゲームでおなじみの光景とほぼ同じである。機動隊はパニック気味で、血まみれの狂乱した群衆に発砲した。撃たれた者は自分たちが何らかの悪質な人口抑制策の対象になっているのではないかと疑った。こうした陰謀論が、生々しく恐ろしい映像とともに、冷笑的なインフルエンサーによってたちまち拡散された。多くの住民が武器を取り、路上のホームレスを虐殺した。公衆衛生上の危機に対する反射的な対応として、医療チームと法執行機関が最前線に派遣されたわけだが、彼らは住民の怒りの標的とされ駆逐されただけだった。

 「生物兵器戦争」のここまでの内容は、近年の史実を指数関数的に残虐にしたバージョンと言える。描写されるのは、市中の混乱した絶望的な状況から、行政の機能不全状態に移っていく。国家備蓄している抗生物質が、各地の配送センターに分配される。受け取りの指示は医療従事者、軍関係者、政治家、警察官にのみ秘密裏に伝えられる。しかし、この情報はすぐに広まってしまう。医療物資の保管所は、必死で生き延びようする武装した市民で溢れかえる。ジェイコブセンは、この本を書く際の事前調査で、元上院民主党院内総務のトム・ダシュル( Tom Daschle )に話を聞いている。彼が指摘したのだが、そのような緊急事態において最も脅威となるのは、悪夢のような状況を生き延びるためだけに非人道的なことをする市民である。隔離命令が発せられるも、従う者はいない。連邦政府は完全な戒厳令へと段階的に進んでいく。大統領はインターネットを遮断する。

 連邦緊急事態管理庁( FEMA )の地下にある機密情報処理室( SCIF )や国防総省では、コンピュータによる感染シミュレーションが行われる。予測結果は、完全な防護服を着ている者や極限的な孤立状態で暮らしている者を除いて、アメリカの全国民が 6 日以内に感染してしまうというものだった。ジェイコブセンは、 新型コロナパンデミックの最悪期には、100 人に 1 人程度が死亡していたと書いている。作中では信頼できるロシア報道官による統計資料から、この非定型細菌性肺炎( atypical bacterial pneumonia )の致死率は、その 25 倍になると想定される。大統領と多くの高官は極秘の場所に無事避難する。政府の継続性を確保するための極秘プロトコルである「権限委譲計画( Devolution Plan )」が始動する。連邦政府は自給自足モードに移行した。抗生物質はせいぜい数百万人分しかない。当局は 8,000 万人のアメリカ人を歩く屍として切り捨てるしかない。

 コンピュータによる感染シミュレーションの予測結果は、もっともらしいように見えた。しかし、不正確であることが判明する。抗生物質の有効性は、実際にはゼロである。抗生物質を服用すると、最初の病原体の中に隠された 2 番目の病原体が活性化される。これは「キメラ細菌兵器のブービートラップ機構( chimera weapon’s booby-trap mechanism )」である。この肺ペストのゲノムには、急性神経症状を引き起こす馬脳炎( equine encephalitis )の遺伝子が組み込まれている。「通常の肺ペスト感染では抗生物質による即時治療が有効であるが、ここで抗生物質を投与することは、死刑宣告に等しい。同時に、医学への信頼も完全に崩壊する」。推定致死率 25% は誤りだった。正確にはその 4 倍だった。生き残る者はごくわずかである。完全な隔離状態にある者か、完璧な細菌防護装備を身に着けている者に限られる。

 時折、ジェイコブセンは読者に対し、「このシナリオは SF ではなく、科学的事実に基づいている」と念を押す。彼女は実際の出来事を取り上げ、それを少しだけ修正することで、彼女の反事実的なシナリオが単に想像できるだけでなく、必然的であるかのように見せている。議論の余地のある出来事もいくつかある(例えば、ロシアが実際に「キメラ細菌兵器( chimera weapon )」を開発したと主張しているが、これは証明されていない)。これらを除けば、彼女は近年の出来事から十分な証拠を基に、恐ろしい未来を描き出している。決して突飛な話ではなく、説得力がある。しかし、最後には、彼女の方法論的なこだわりが、創作上の制約のように感じられるようになる。彼女は、肺ペストが猛威を振るった後のアメリカの風景を 2012 年のアフガニスタンになぞらえている。「都市中心部に大規模な要塞化された軍事施設」があり、「疲弊した武装兵士が村の警備を常時行っている」と記している。この比喩は奇妙なほど盛り上がりに欠ける。慰めにしかならないが、想像のはるか上をいく出来事を綿密に描いて現実味を持たせようとする著作は、得てして平凡な結末に陥りがちである。真に前例のないことの問題点は、それに対する適切な前例がないことである。