AI で小説を書くことは間違いなのか?シンセと作曲の関係から創作における AI の役割と限界を考察!

Open Questions

Is It Wrong to Write a Book with A.I.?
AI を使って本を書くのは間違っているのか?

The nature of authorship isn’t as straightforward as it seems.
著作権の本質は、見た目ほど単純ではない。

By Joshua Rothman  April 3, 2026

1.

 1980 年に発売された TR-808 をご存じだろうか。ローランド( Roland )社製の辞書ほどの大きさのドラムマシンである。重さは 11 ポンド(約 5kg )で価格は 1,200 ドルだった。ドラムマシン自体は何十年も前から存在していたのだが、技術的には前例のない製品だった。従来の製品はプリセットした音(スネア、キック、ハイハット等の)​​を使って、プリセットしたリズム(フォックストロット、ワルツ、ボサノバ)を奏でるのが一般的だった。一方、TR-808 はコンピューターを内蔵しており、ミュージシャンが独自の音色やパーカッションパターンをプログラムできた。これらを組み合わせて、より長い楽曲のようなシーケンスを作成し、自動再生させることも可能だった。

 TR-808 が発売された当初は、ほとんど誰もその活かし方が理解できなかった。生産中止となるのに時間はかからなかった。その後、中古価格が約 90% も下落した。買いやすくなったことで多くのミュージシャンが中古の TR-808を購入し実験を始めた。このマシンはすぐに数々のヒット曲の制作に役立った。マーヴィン・ゲイ( Marvin Gaye )の「セクシャル・ヒーリング( Sexual Healing )」、ホイットニー・ヒューストン( Whitney Houstone )の「すてきな Somebody ( I Wanna Dance with Somebody )」などである。エレキギターに匹敵するほどに影響を与え始めた。当時、多くのミュージシャンが TR-808 を使えば誰かと協力する必要がないことに気づいた。妥協する必要もない。自分の独自のビジョンを追求して楽曲を制作できる。彼らは、このマシンの誇らしげな合成音とパターンベースのロジックを利用して、新規に独特のジャンルを生み出した。エレクトロ( lectro )、ダンス( dance )、ヒップホップ( hip-hop )などである。

 今日では TR-808 などが生成したサウンドを至る所で耳にする。すぐにそれと認識できる。しかし、TR-808 とその派生楽器を使った作曲方法が広く普及していることは、あまり知られていない。多くの楽曲が、シーケンサー( sequencer:音階・長さ・音量などを順番に外部機器に送信するソフトウェア)、パターン、ループを用いてコンピューター上で作曲されている。4/4 拍子のリズムグリッド上に音符が完璧に同期して配置される。サウンドデザイン、つまりバスドラムの独特な音色やシンセサイザー・スイープ( Synth sweep:シンセサイザーの音色を時間経過とともに連続的に変化させ、「シューーー」という風のような上昇・下降音を鳴らす音響効果)は、しばしば楽曲の個性を決定づける。さらに言えば、ミュージシャンはもはや制約に縛られることはない。素晴らしい楽曲を作るのに、音楽理論を知っている必要もない。楽器さえも不要である。シンセサイザーやサンプルを使って、ノブを回してコードを移調したり、ドロップダウンメニューから交響楽団を選択すればよいのである。今では、地球上のどの楽器でも生み出したことのないサウンドを作曲することができる。リスナーは喜んで新しい音の世界を受け入れている。伝統的な楽器が取って代わられたわけではない。私たちは今でもアコースティックギターを聴いている。が、それらははるかに広大なシンセサイザーの世界の中に存在しているのである。

 芸術的な人工知能の未来がこのドラムマシンの物語とほぼ同じ道をたどると仮定する。現在は、その物語のどのあたりにいるのだろうか?おそらく 1983 年に TR-808 の後継機である 909 が発表された年あたりだろう。両機の違いは歴然で、マービン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」とマドンナ( Madonna )の「ヴォーグ( Vogue )」を聴き比べればわかる。当時、電子音楽はまだ斬新すぎて、反対意見を持っている者が多かった。様々な批判があった。コンピューター楽器は音楽性も才能も必要とせず、その音は本質的にぎこちなく表現力に欠けるという批判が多かった( たしかに、一部のミュージシャンはまさにそのとおりであった)。機械で作られた音楽には、汗だくで奮闘する人間がジャムセッションをするような魂が欠けているとする批判も多かった。独創性がないとの批判も多かった(一部の人にとっては、この非人間的なところは好ましいものであった)。また、電子音楽がミュージシャンの仕事を奪うと心配する者も多かった。ちなみに、1930 年代に録音音楽に反対したアメリカ音楽家連盟( American Federation of Musicians )は、TR-808 を使いこなした先駆者の 1 人であるドン・ルイスが演奏した際にピケを張った。著名なプロデューサーの多くが、ドラムマシンは作曲の過程では役立つが、録音の完成版には使用すべきではないと主張した。多くのリスナーが、根本的なレベルで電子音楽は間違っていると感じていた。つまり欺瞞とごまかしの一形態であり、音楽そのものを破壊すると捉えていたのである。

 こうした懸念はすべてもっともなものだった。しかし、電子楽器はあっという間に普及した。その創造性、表現力の高さの前で、そうした懸念は色褪せていった。電子楽器によって多くの人々が音楽制作に携わるようになった。それを巧妙かつ楽しく、そして心に響く方法で使いこなすものが続々と現れた。彼らの音楽がリスナーの人気になった。「イッツトリッキー( It’s Tricky:Run-D.M.C.の楽曲)」や「プラネット・ロック( Planet Rock:Afrika Bambaataa and the Soul Sonic Force の楽曲」、「ボーン・スリッピー ( Born Slippy:Underworld の楽曲」、「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー ( Nothing Compares 2 U:The Family の楽曲」など作品は、反論の余地が全くない出来栄えである。したがって、AI の普及がドラムマシンと同じ道を歩むと仮定するのであれば、AI で作られたアートが自動的に偽物、あるいは駄作であるとする批判は、すぐに説得力を失うだろう。そもそも、何がアートとして認められるかは、ツール自体によって決まるのではなく、ツールがどのように使われるかによって決まるのである。