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こうしたことを踏まえると、奇妙なことに気づく。人間が何かを表現するようになって以来ずっと顔を描いてきたにもかかわらず、写実主義( realism )が標準になったのはごく最近のことである。学者フェイ・バウンド=アルベルティ( Fay Bound-Alberti )が著書「 The Face: A Cultural History (未邦訳)」で指摘しているように、3 万年まえに描かれたショーヴェ・ポン・ダルク( Chauvet-Pont d’Arc )洞窟の壁画から、紀元前 3 ~2千年と推測される古代キュクラデス( Cycladic )文明の彫像に至るまで、人間の顔の特徴を明確に示す表現は見られなかった。ただし、例外もあった。古代エジプトである。現在でも理由は不明で論争中である。ファラオ(王)は自分の像の顔を描かせる際に、永遠性を強調して理想化するのが基本だった。しかし、一部のファラオは、あえて身体的な特徴や年齢などを隠さず描写させた。これにより、非常に写実的で人間味のある美術様式が花開いた。最も顕著な例はセヌスレト 3 世( Senusret III )で、神殿内に彼自身の像が数多く建てられた。若く筋肉質な身体の上にある巨大な皺だらけの顔は険しく、老いている。数世紀後、ギリシャとローマでは、いわゆる厳格様式( Severe style )と呼ばれるギリシャ彫刻の時代が到来し、顔の特徴がより明確になり、身体の輪郭もより鮮明になった。ソクラテス( Socrates )の醜さは、数多くの魅力に欠ける彼の彫像の表情から容易に推測できる。カエサル( Caesars )とされる彫像や胸像が多く残っているが、現実と誇張が混ざり合っているとはいえ、いずれも彼であると容易に識別できる。しかし、それらは、西ローマ帝国( Western Roman Empire )の衰退とともに作られなくなった。ちょうどキリスト教が勃興した頃である。この信徒たちは、旧約聖書( the Old Testament )とユダヤ教( Judaism )から偶像崇拝を罪とする概念を受け継いだ。デイヴィッド・ル・ブルトン( David Le Breton )が著書「 Face (未邦訳)」の中で指摘しているのだが、4 世紀のキリスト教の教会法集である使徒憲章( Apostolic Constitutions )は、プラトンの理想国家から詩人が追放されたのと同様に、画家をキリスト教世界から完全に追放することを推奨した。それがしばらく続くこととなる。個々の英雄を象徴的に描くことは避けられ、主に宗教的なイメージを描くことが優先された。そこでは再び写実主義が唾棄され、象徴的な価値が優先された。旧体制が復活したのである。
ルネサンス期になって、その傾向は再び崩れることになる。ファン・エイク( van Eyck )、カンピン( Campin )、ピエロ・デッラ・フランチェスカ( Piero della Francesca )などの画家たちによって、15 世紀に自然主義的な肖像画が花開いたのである。絵画における内面描写の典型は、やはり誰でも知っているであろう「モナ・リザ( Mona Lisa )」である。イタリア語では「ラ・ジョコンダ( La Gioconda )」として知られる。微笑んでいるようにも無表情にも見える顔が特徴的である。バウンド=アルベルティ( Bound-Alberti )はモナ・リザの微笑みがいかに謎めいているかを詳述している。ウィトゲンシュタインは、またしてもこの決まり文句をさらに強調する。「モナ・リザの謎めいた微笑みについて考える時には、どのような状況で、どのような物語の中で、人はあのように微笑むのだろうか、ということを考えなければならない」。どのような物語かを考えるとなると、時間の経過を意識しなければならない。その前のことも後のことも含めて、人生の全体像を理解する必要がある。しかし、結局のところ、怒っていても笑う者がいるし、喜びで泣く者もいる。もし私があなたの笑顔を幸福と解釈するなら、それは私が知っている喜びを現す特徴的な表情があなたの顔に見えたからである。私とあなたは、感情表現の根底にある文化を共有しているのである。モナ・リザが人々の想像力の中で長く愛され続けている理由の 1 つは単純明快さにある。私たちは彼女に質問したくなるのである。彼女はどんな気持ちでいるのか、何を考えているのか。そして、ハムレット( Hamlet )やジェームズ・ボンド( James Bond )が生きていると信じるのと同じように、彼女が生きているとは信じていないにもかかわらず、私たちは彼女の顔を見ると、まるで生きているかのように反応してしまうのである。
写実主義の復活がもたらした予期せぬ結果の 1 つは、人体への関心の高まりだった。例えば、解剖学は 13 世紀のヨーロッパでは大学のカリキュラムに登場し始めていたのに、中世を通じてほとんど廃れてしまっていたのだが、レオナルドのスケッチが示すように再び多くの芸術家が興味を持つようになっていた。同時に、同じく由緒正しく、人間の外観に深く傾倒したもう 1 つの芸術である人相学( physiognomy )も復活した。ギリシャ時代から、十分な技術があれば、人の外見から内面の腐敗を読み取ることができると考えられていた。内面の腐敗を人は行動や話し方を変えて隠そうとするが、どうしても表情に出てしまうと考えられていた。人相学に関する論文は 16 世紀と 17 世紀に再び現れ、18 世紀と 19 世紀には隆盛を極めた。人相学で最も権威があったのは、スイスの詩人であり哲学者でもあるヨハン・カスパー・ラヴァター( Johann Kaspar Lavater )だった。彼の著書「観相学断片( Physiognomische Fragmente )」は、人相学の完全な手引書であり、1775 年から 1778 年にかけて 4 巻で出版され、ヘンリー・フュースリー( Henry Fuseli )とウィリアム・ブレイク( William Blake )による顔やその他の身体部位の挿絵が載っていた。この本は売れに売れた。後に、この本の携帯版や女性用や要約版なども出版された。そして世紀末には、ル・ブルトン( Le Breton )が記しているように、「ラヴァターの元を訪ねることや、人相学を極めた者たちにアドバイスを貰うことが流行った。そのためにスイスを訪れる者も多かった」。人相学の流行は凄まじかった。ジョルジュ・サンド( George Sand )はラヴァターのファンだった。オノレ・ド・バルザック( Honoré de Balzac )も同様で、彼は人相学は予言的であると指摘した。バルザックは、運命に縛られた登場人物を創作する際にラヴァターの著作を利用した。サミュエル・ベケット( Samuel Beckett )はバルザックの作品の登場人物を「ゼンマイ仕掛けのキャベツ」と揶揄し、バルザックを近代小説の反面教師と見なした。18 世紀のナポリのある最高裁判事は、頑なに自白を拒否する有罪判決を受けた囚人が出れば、別室に連れて行き、自らその囚人の顔をつぶさに調べた。もし囚人の顔に生まれつきの堕落の証拠が見られたら、死刑判決を支持した。逆に見つからなければ釈放した。
こうした考え方には深刻な批判があった。モンテーニュ( Montaigne )は、人の外観や表情だけで魂の美しさは測れないと主張した。その最大の証拠として、もし顔かたちで魂がわかるなら、偉大な哲学者ソクラテスほど凡庸な人間(あるいは劣った人間)はいなかったはずであると指摘した。ディドロ( Diderot )とダランベール( d’Alembert’s )が編纂した「百科全書( Encyclopédie )」の人相学の項目では、それを「想像上のばかげた」ものと評している。ヘーゲルは人相学者を、市が立つたびに雨が降ると不平を言う商人と同じであると主張した。しかし、人の外観から中身がわかるという考えはなかなか消えなかった。写真が発明されたことは、そうした考えを信奉する者の後押しとなった。私たちが今では大規模にやっていることだが、顔が「撮影」され蓄積されると、つぶさな比較が可能となる。つまり顔のタイプに関する原始的なデータベースを組み上げることができた。優生学の父フランシス・ゴルトン( Francis Galton )は、犯罪者が共有しているとされる「常軌を逸した( deviant )」特徴を探すために、膨大な数の肖像写真を比較し研究した。彼の友人であるイタリアの犯罪学者チェーザレ・ロンブローゾ( Cesare Lombroso )もこれに同意し、「生まれつきの犯罪者( born criminal )」の特徴には、後退した眉と重い顎が含まれると示唆した。
遺伝学、心理学、神経科学が台頭し、20 世紀になると人相学は再び不名誉な地位に追いやられた。今日では、ラヴァターからロンブローゾに至るまで、人相学の提唱者たちは人種差別者なみに忌避される存在となった。しかし、実際には、巧みに顔を読み取ることさえできれば、そこに隠された性格を明確に読み取れるという確信は、決して消え去ることはなかった。20 世紀後半で最も影響力のある顔面理論家は心理学者のポール・エクマン( Paul Ekman )である。彼は言語や文化の違いを超えて世界中の人々に共通する「普遍的感情( universal emotions )」があると主張した。幸福、悲しみ、怒り、驚き、嫌悪、恐怖、軽蔑の 7 つが、あらゆる文化に共通して見られると主張した。さらに、それらの感情表現はあまりにも一瞬であるため、制御できないと主張した。これらの「微表情( microexpressions )」を見つけ出し、エクマンが開発した顔面動作符号化システム( Facial Action Coding System )などを用いて分類・測定すれば、人間の魂への鍵が手に入るとも主張した。彼のアイデアは想定外に広く受け入れられた。彼の執筆した書籍はベストセラーとなり、ピクサー映画「インサイド・ヘッド( Inside Out )」やフォックスのドラマシリーズ「ライ・トゥ・ミー 嘘の瞬間( Lie to Me )」の制作に携わり、スコットランドヤード、TSA 、FBI 、CIA などで研修を行った。その魅力は明白である。似非科学的ではあるものの、人の顔に現れた表情から中身がわかるというのは魅力的に思える。問題は、基本感情の枠組みだけでは人間の感情をすべて網羅できるわけではないことである。また、顔の筋肉の動きだけで内面を決めつけるのは不正確で信頼性が低いという批判も多い。エクマンが特定した 7 つの表情によるシステムは、パッケージとしては有用なところもあるが、硬直的になりがちである。また、再び顔が内面を知るために解読すべき対象となった。