3.
北京は、私が住んでいた頃( 2005〜2013 年)よりも静かになった。今では多くの車両が電気自動車となり、特に市街地の道路は静かである。そもそも、住民が外出する理由も減っている。中国の電子商取引市場は世界で最も活発であり、スクーターで配達できないものはほとんどない。人々は一日中、微信( Alipay )や支付宝( Alipay )といったデジタル決済システムで互いの QR コードをスキャンして現金をやり取りしている。それらのデジタル決済システムを裏で動かしているアルゴリズムには彼らの行動や嗜好に関するより複雑な情報が蓄積されている。
ハイテク国家の首都での生活には、どこか不自然なほどの静けさがある。「反体制派でなければ、ここは世界で最も安全な場所の 1 つである」と、あるヨーロッパの国の外交官は語る。習近平( Xi Jinping )が共産党、人民解放軍、そして財界のエリート層から好ましくない人物を排除するキャンペーンを始めて 10 年以上が経ち、粛清は最高位の人物にまで及んでいる。かつて人々は、一連の粛清について、「鶏を殺して猿を脅す(見せしめという意味)」という中国の古いことわざを引き合いに出して語っていた。しかし今や人々は、習は「ただ猿を殺しているだけである」と言う。知っている者が忽然と姿を消すことに、多くの市民が妙に慣れている。告発内容は何年も秘密にされる可能性がある。「人が文字通り跡形もなく消えてしまうことがある」と、さきほどの外交官は言う。それは治安維持の副産物と見なされているという。「ここでは共産党の組織や権力維持が最優先され、一般の国民の生活や命は二の次にされている」。
中国共産党指導部が長年にわたって信じているのは、テクノロジーこそが人間の営みがもたらす無秩序や混乱を国家が克服する手助けになるということである。イデオロギーの道具を「人間の魂の改造技師」と評したスターリンの比喩表現を借りて、習近平は、通りの良い「文明的な行動を推進する」という名目のもと、共産党の支配力を個人の私生活にまで拡大させてきた。中国南部の都市、広州( Guangzhou )では、生ゴミと普通のゴミを分別しなかった住民を懲らしめるために AI が活用されている。具体的には、ゴミ箱の近くにあるデジタル画面、通称「見せしめステーション( exposure station )」に彼らの顔写真を公開するという方法である。他の都市でも、ポイ捨てをする者、信号無視で道路を横断する者、そして唾を吐く者の正体を晒すために、同様のシステムが使われている。
多くの企業もこの取り組みに参加している。北京で開催された AI 搭載製品の展示会で、心理学に AI を応用する企業である朗新科技( Langxin )製の背の高い白いキオスク端末を見かけた。その機械には「感情認識トレーニング強化システム( Emotion Recognition Training Enhancement System )」と表示されていた。私はカメラの前に立ち、顔の「微細な動き( micro-gestures )」を評価された。画面には「ポジティブとネガティブの割合( Positive and Negative Proportions )」というラベルの付いた円グラフが表示された。それによると、私の感情は 76.67% がポジティブで、23.33% がネガティブだという。ネガティブな感情には、13.33% の恐怖と 6.67% の怒りが含まれていた。
朗新科技は、教師向けに同様の製品を販売しており、その中には、生徒の問題行動の兆候をスキャンする総合リスク早期警戒システム( Comprehensive Risk Early Warning system )も含まれる。このシステムは、授業、寮、支出、心理記録からのデータを組み合わせて、各生徒に赤、黄、青の「警戒( alert )」レベルを割り当てる。治安当局には、より強力な選択肢がある。北京の見本市では、別の企業が、遠隔でバイタルサイン( vital signs )をスキャンし、感情の安定性や「行動傾向( behavioral tendencies )」を含む性格診断を 15 秒で行えるソフトウェアを売り込んでいた。
中国では AI が企業でも家庭でも急速に浸透している。中国の人々は、コンピューター時代になって生活水準が劇的に向上したため、アメリカ人ほどテクノロジーに警戒心を抱かないことが多い。1970 年代には人口の 70% 以上が農業に従事していたが、現在ではその割合は 25% 未満である。投資家の李開復( Kai-Fu Lee:カイフー・リー)は、中国人は文化的にもこの種のテクノロジーを受け入れる準備ができていると示唆する。アメリカ人からすると常に監視されているというのは恐ろしいことだと彼は言う。中国では、すでにほぼすべての居住空間にカメラが設置されている。リーは、自社が開発した新しいソフトウェアの有効性をアピールした。そのソフトを使えば、オフィス内で行われるあらゆる会議を録音し、「自分が順調だと思っているプロジェクトのうち、本当はうまくいっていないのはどれか?」という指示(プロンプト)を使えば、会議の音声を分析することができるのだという。このソフトウェアはまた、口頭での約束(コミットメント)を「約束台帳( Promise Ledger )」と呼ばれる台帳に書き加えて蓄積し進捗管理する。これによって、人事評価(パフォーマンス・レビュー)の際に、スタッフにその責任をきっちり取らせることができる。言い逃れをさせないのである。私が感じたのは、このように四六時中録音されていることで、誰もが新たに仕事を引き受けることに消極的になるのではないかということである。そこで李に尋ねてみた。彼は「萎縮効果があると考える人もいます」と答える。「しかし中国ではそうではない。なぜなら、上司は権力があり、部下の意見を聞く権利があると中国では誰もが考えているからである」と彼は付け加える。「これは一種の自己選択プロセスである。このやり方が気に入らないような人間は、私の会社には入社しない」。